短編

□誰にも渡さない。
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早苗の細い指が白い布を掴み、それを己の右腕に巻いていく。
先ほど彼女に水ですすがれた傷が、白に隠れて見えなくなっていった。

どうせすぐ治るのにと小さく呟いた声は聞こえてしまったらしく、ダメですとぴしゃり返される。


「幸村様、無理はなりませぬと何度申したら」

「わかっておる」


外で鍛錬をしていた筈なのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


幸村が元服する前から女中をしている彼女は、相変わらず慣れた手つきで手当てを施している。
戦場ではそうじゃないが、大抵怪我をした時は彼女が手を焼いた。

今日もいつの間にか出来た擦り傷を、万一があっては大変だと水ですすぎ薬を塗ったのだ。
まぁ、怪我をしたと彼女に言ったのも幸村であるからそこまでしなくて良いと強くは言えない。


「幸村様、動かないで下さい」

「なぁ早苗」


懸命に腕ばかり見ている早苗に、意地の悪い考えがむくむくと沸いてきて。
焦った声が聞こえるのが嬉しくて思わず笑んだ。


「そなた幾つになった?」


咎める様に呼ばれていた俺の名が止む。代わりに聞こえたのは気の抜けた短い音。
やっと腕から目を離した早苗と、幸村の目が合う。いっぱいに見開かれている彼女の目が、満月の様だと思う。

暫し待っても答えない早苗にもう一度聞くと、はっとして息を飲んだ。


「十と九になりました」

「嫁には行かぬのか」

「行き遅れましたよ」


誰かが世話を焼かせるので。そう付け足した早苗は眉尻を下げてからりと笑う。
昔からその笑顔を見ると無性に叫びたくなって、泣きたくなって、苦しくなって、結局一緒に笑うのだ。

再び包帯を巻きつける作業に戻った早苗が、時折ちらりと俺の顔を見ながら口を開く。


「幸村様は考えてないのですか?」

「婚儀をか」

「私ども女中はその話ばかりしておりますので」


そうかと適当に相づちを打つと、すぐ見透かされて真に御座りますと加えられた。
まったく、彼女には適いそうも無い。


早苗の手元から目線をはずし、夕暮れに成りつつある空を見る。
これが終わったら夕餉であろうか。今日は何が出るだろうか。

少し呆けて居たら、右からはいと早苗の優しい声が聞こえる。
来るぞと身構えると、やはり今日も彼女が布の上から傷を叩いた。


昔、俺が悪さをし怪我した時からずっとこうされる。
今思えば俺が悪い時は強く、そうじゃ無い時は優しくて区別した立派なしつけだとわかるが、体が条件反射として覚えてしまっている。
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