その他長編
□レフトロスト!
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ちょ、ちょっと待て。
疑問が次々と溢れてくる。頭の整理がしたい。
私の前に立つ青年は、私の左腕と言う大きな物を懐に仕舞ったにも関わらず、その服をまったく膨らませたりしなかった。
もしかしてもしかすると彼の懐には名高い四次元ポケットが仕込まれているのだろうか。
いやいやいや。これよりもっと疑問あるでしょう。
「私……死なないの?」
「死にませぬ」
どういう事だ。相変わらず左肩から下は感覚も何も無いし、しかし痛みも全くない。
気持ち悪すぎる体験だ。
あと青年は何者だ。
会社でこんな恰好してたら目立つし、まずこの景気の中雇って貰えるはずがない。
「あなた何者?」
「某は精霊に分類されまする」
「精霊なの?」
精霊とは違いまするが、近いものに御座ると青年は言う。なにそれファンシー。
仕事のしすぎで夢でも見てるんだろうか。やばいやばい、過労死するかも。
ひとまず落ち着いて、いすに座る。近くにおいてあった資料をペラペラと捲った。
分厚いファイルを持ち上げて、それを、頭に打ち付ける。
「如何なされた!?」
「……夢なら早く覚めろむしろ寝てる場合じゃないのよ私!」
早く悪夢なんかから抜け出して、仕事の続きをしなければ!
痛む頭にさらにファイルを打ち付けるが、一向に覚める気配がない。夢夢。これは夢だ!
私今レム睡眠してるんだ。
だんだん痛くなってきた。なんでこんな痛いのかわからないぐらい痛い。
……もしかして腕取れたのは本当なのだろうか。え、うそ。
振り向けば相変わらず青年が私を見ている。なんなのやめて下さい。
「貴殿の御手が取れたのは、某に訳がありまする」
「はぁ」
「御手は戻せましょう」
おんてって、私の左腕の事か。戻せるならすぐ戻してくれよ。
精霊な青年は何を考えているのかさっぱりわからない。
私からすればただのイジメなんだが。
さらりと後ろに一本長い髪を揺らした青年は、爽やかに笑う。
まるでこの世の綺麗さを全部全部詰め込んだかのような笑顔。そして案外幼い。
「戻して欲しくば、某に協力して下され」
「……はい?」
それはつまりだ。彼は私の左腕を戻せるけど、今はあえて戻さないと。
私は当然戻して欲しい。気持ち悪いし説明も出来ないし意味不明だし。
その気持ちを知っておきながら、戻さないと彼は言う。
あ、もしかして。
「人質みたいな……?」
「そう言うことに御座る」
最悪だ。それってつまり、しばらく無期限でこのままって事だよね?
理解してきた途端に怒りが沸々と沸いてくる。
許さん、何の恨みがあってこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
怒りに身を任せた私は、そのまま右手で彼にビンタを喰らわせた。
つもりだった。予定だった。
だがしかし、それが出来なかったのである。
「某は人外の身。触ればしませぬ」
右手は青年の顔下半分を素通りしたのである。空を殴ったかのように私に感覚はない。
もちろん相手にも感覚は無かっただろう。
もう夢だと思い込む余裕はない。
「某にお力添えを頂けますか?」
「ものに、よります」
もう、現実と認めるしかない。本当は夢であって欲しいけど。
青年は満足そうに笑うと、私に宜しく願いますると深々とお辞儀した。
そう言えば、さっきから私彼のことを青年青年呼んでるが、名前はあるのだろうか。
聞いてみようかな何時までの付き合いかわからないし。そう思って口を開き掛けた時、どこか遠くから声が聞こえた。
確かとっても古いその曲を歌うのは、私の知る限り一人しかいない。
どうしよう、青年が彼に見つかったら、事態は非常に悪くなる。
なのに私はあわあわと慌てるしかできなくて、そうこうしてるうちにオフィスに彼が入ってきてしまった。
「あれ、渋沢さんまだ居たの」
きょとんと目を見開いた童顔のその先輩。どうやら無事原稿を渡して貰えたみたいだ。
いつもはこの時間まで大変だなでもまだ早い方だな良かったねとか思うのだが、今だけは素直に良かったねと言えない。
さてどうしようと咄嗟に自分の後ろに青年を隠したが、私と青年の体格差じゃそれも無駄だったろう。
ああ、ちゃんと説明できたら良いんだけど。
「神原先輩、お疲れ様です」
「渋沢さんも一人でお疲れさま」
……え、一人?
先輩の言葉に首を傾げる。後ろの青年を見れば、別になんとも思ってないような顔をしていた。
もしかして、幽霊と一緒で見える人にしか見えないのだろうか。
「見えないの……?」
「見せようと思えば出来ぬ事はありませぬ」
もしかして夢なのかなとまた私が疑い始めた時、青年が先輩に近付いた。
何するのか見ていると彼は先輩の体に腕を通して。もちろん私が触れないようにそれもすり抜ける。
先輩がぼーっとしている私を見ているが気にせず青年の一挙一動を見ている。
彼は何をするかと思いきや、先輩の頬を後ろから両手でつついたのだ。
「え、何!?」
「……嘘でしょ」
信じたくないが、全部本当なんだ。へこんだ先輩の頬を見て確信した。
変なことに巻き込まれたみたいだ。