能ある鷹は愛する獲物の為に爪を斬る

□じゃがいもの憂鬱
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誰か来たみたいだ。
そう思ったのは菊さんも同じの様で。彼が先に立ち上がった。
菊さんが開けたふすまの向こうでは、ぽち君がお出迎えするのかとてとてと駆けていた。愛くるしい。

俺まで出迎える必要は無いだろう。どうせ宅配便かなにかだ。
時計を見ながら朝ご飯の続きを頬張る。白米の甘さをよく味わって。


どこか遠くでこんにちはと間延びした、とある声が聞こえた気がした。
その声の持ち主を、俺の脳みそは瞬間的に察知して名前をはじき出す。菊さんではないこの声は。

沢庵に伸びていた箸が止まってしまった。
なんで自分がこんな風になってしまうかはわからないけど、止まってしまったのだ。なかなか動けない。


「神原さんだ」


無意識のうちに呟いてしまったその名前。何故か口の中で転がったその名前が特別なものに思えて。
違和感だらけの自分の口に、沢庵を詰め込んだ。

にしても、どうして彼がここに。


口の中でこりこりと良い音を出しながら、俺はどうしようかと狼狽えた。
出迎えるタイミングは完璧に見逃してしまったし、でもここに居るのもなんだか落ち着かない。

どうしよう。思わず座り直した。


「あっ!」


廊下から声がした。菊さんが珍しく叫んだようで。
それとどうじにごとりとなにか重たそうな音がしたけど、なにかわからない。
ただ彼の身に何かあったことは明白だ。

箸を放り投げて、俺は玄関へと足を急がせる。
こんな家の中でなにかあるとは思えないけど、万が一の事を考えて。


「菊さん!」

「唯人さん……」


菊さんまであと五メートルと言うところで、俺の足は自然と止まってしまった。
倒れてしまったりしてはいないだろうかと考えていたが、それはまったく違ったのだ。

玄関に居たのは菊さんと神原さんの二人だけ。それにはなんの問題もない。
ただ、彼らが抱きしめあっていると言うのが大問題なのだ。


バクリバクリと心臓が騒ぐ。今にもそれは破けてしまいそう。
乾いた口はえとかあとかの母音しか発しない。


「神原さん……どうして」

「……あ、唯人君お早う」


へらりとなんも無かったかのように菊さんを腕の中に収めたまま笑う神原さん。
俺の事なんか構わないと言わんばかりに、慌てる様子もない。

形が変わるんじゃないかと思うぐらい大きく膨らんでいた心臓が、しゅるしゅると萎んでいく。
どうしてだろう、破裂じゃなく小さく締め付けられて消えてしまいそうだ。

いつもは幸せになる笑顔が今はとても辛い。
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