能ある鷹は愛する獲物の為に爪を斬る
□メルト
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暴力的で。
横暴で。
鬼畜で
みんなから恐れられていた“貴方”。
でも私は怖くなかった。
でも私は弱かった。
でも私は隣にいた。
だって――。
《メルト》
土曜日の早朝。
休日だと言うのに耳元で喧しい携帯のアラーム音。
見向きもせず手でパタパタと探り、それを掴んだと同時に横のボタンを押す。
きっと神様は早く起きろって言ってるのね。把握。
「……うぅ。休みの日なのにアラーム掛けるなんて」
胸元まで伸びた栗色の髪。
それに手ぐしをかけながらため息を吐く。
今日は何か用事――あぁ、この間のアルフレッドさん達とフラワーパークに行った時の写真が現像に出してそのままだった。
いい加減取りに行かなくちゃ。控えは財布だっけ?そんな事を考えながらベッドを立ち上がった時だ。
「……あっ」
机の上に置いてある赤を主張した花柄のシュシュ。
みんなで遊びに言った時にアルフレッドさんが選んでくれた物。
彼は強くて優しい。
いつも思い切り良くてにこにこしている癖に、実は凄く寂しがりで繊細で。
「そうだッ」
私はポンッと手を叩く。
「今日、アルフレッドさんに会いに行こう!」
写真を引き取ったらそのまま花蓮ちゃんの家に行こう。
どうせあの子の事だから何処にも行かずに引きこもっているだろうし、それじゃあアルフレッドさんが可哀想だ。
とびっきりお洒落して出掛けよう。
それで彼を驚かせてやるんだ。
フワリとしたピンクのスカート。
黒いインナーに薄手のカーディガン。
自慢の茶髪も整え、メイクもばっちり決めた。
部屋の姿見の前に立つと、そこには栗色の髪を流した自分。
昔は目元より伸ばしていた前髪。それを切っただけでもこんなにも雰囲気が変わる。
――縛らない姿は昔の私に近い。
このまま出掛けても良いんだけど、私は櫛とシュシュを手にとった。
つむじを中心に分け、二つに結って行く。
アルフレッドさんや花蓮ちゃんには、明るく元気な“稲葉すみれ”でありたい。
内気で泣き虫で鈍臭い私は知られたくない。
昔の私を知るのは、今も昔もあの人だけで良い。
「――“うん。今日も可愛い”」
△ ▼ △
朝はあんなに晴れていたのに今では重苦しい鉛空。
でも私にとってそんな事どうでも良い。
――早く花蓮ちゃんとアルフレッドさんに見せてあげたいな。
写真は全部綺麗に写っていた。
手土産にハンバーガーも買って来た事だし、今日は三人でアルバム作りをしよう。
花蓮ちゃんは分からないけど、アルフレッドさんは喜んでくれるかな。
『すみれッ今日は本当にありがとう!』
ふふっ。そんなの笑顔を思い浮かべると顔が緩んでしまう。
ほら、空はこんなにも曇っているのに、貴方がいるだけで心は満たされるんだよ。
自転車を漕いで行くと、いつものカーブミラーが見えて来た。
ここを曲がるとすぐに花蓮ちゃんの家。
――だけど。
「あれ?」
彼女の家の前に止まる一台のバイク。
気のせいかな。凄い見覚えがある。
近付けば花蓮ちゃんの家の玄関に立つ金髪頭。
Gパンにパーカー。腕に付いたミサンガを揺らしながら何回もインターフォンを押している。
ああこれは。あの極太眉を見ずとも分かった。
――英治だ。
しかも手にはフラワーアレンジメント。
透明な袋に入ったそれは聞くまでもなく花蓮ちゃんへのプレゼント。
本当に暇人なんだねこの人(他人の事は言えない)。
「……やっぱ出ねぇな。桜坂の奴」
外出してんのか、英治は溜め息混じりにこちらを向いた。
咄嗟に隠れようと思ったけどもう遅い。
バッチリ眉毛が、もとい目が合った。
うん。後ろに誰かいるとは思わなかったんだろうな。しかも私。
「な、なんでテメェがここに居るんだよばかぁあああ!」
ずざざざッと後退り玄関にぶつかる彼。
予想通りの反応だったよ。鳥肌が立つぐらい。
「べ、別に桜坂に会いに来た訳じゃ無いんだからなッちょっと近くまで来たから寄っただけで――!」
「わぁあ。何それ花蓮ちゃんにプレゼント?」
「だから違ぇって言ってんだろ馬鹿!」
そんなに動揺しまくって顔を真っ赤にしていたら認めていると同じ。
でも運悪く花蓮ちゃん達はいないようだ。
思わず吹き出すと英治の顔は更に赤く染まる。
「そ、そういうお前は――」
彼の言葉が止まった。
自転車のカゴに入ったマックの袋を見つめていた。
「……すみれ」
はい?
「またメタボ野郎にちょっかい出しに来たのかコラァアアアア!」
「ぐぇッ」
襟元を拳で巻き取られ、そのまま勢い良く前後に振られる。
理不尽だ理不尽過ぎる!
「何回メタボ野郎と関わるなって言えばお前の鈍臭くて能率悪い頭は理解するんだッああ゙!?」
「だ、だったら何でフラワーパークの時に」
「あれは特例に決まってんだろ!」
「あ、あははは知ってる?女の子はダメだと言われれば言われるほど恋に目覚め――」
「寝言は寝て言え馬鹿ッ!」
ぎゃッ思い切り額に頭突きを食らわせられた。
同時に襟を解放され痛みに身体を震わせていると、英治まで頭を抑えて地面に座り込んでいた。
馬鹿だ。自分でやっておいて自分までダメージ食らってるよこの人。
「邪魔だ早く帰れ」
「えぇええ。嫌だよ折角来たのに」
何気に遠いんだよ花蓮ちゃんの家。
「ひ、一人で帰りたくないなら途中まで話し相手になってやっても良いぞ。どうせ帰り道――」
「英治と帰るぐらいならストッキング被って町内ブリッチして帰った方がマシ」
「どんな例えだばかぁ!」
ポツリ――。
頬に落ちて来た雫。思わず空を見上げた。
どんよりとした空から大きめの雫が落ちて来る。
最悪だ。間違いなく豪雨になる。
こんな事なら花蓮ちゃん達が留守と分かった時点で喫茶店に行くべきだった。
英治はと言えば本降りにならない内に帰るつもりなんだろう。
チッと舌を鳴らし、ハンドルに掛けていた半キャップを被る。
でもポケットから鍵を取り出し、差し込む寸前で動きを止めた。
何を思ったのか。私を見て小さくため息。
尋ねる暇も無かった。
彼は半キャップを外し、ずかずかと近づいて来る。
そして力任せに右手を引かれた。
「来い」
「……えっ」
「俺は濡れても構わねぇけど、お前はそうはいかないだろ」
まさか家主が居ないのにここで雨宿りするつもりか、と瞳が細まり太い眉毛が下がる。
い、いや。そんなつもりは無いけど。
「でも」
「良いから早く」
強引に手を引かれ、引きずるよう走らされた。
次第にポツリポツリと落ちるペースが早まる雨音。
そして秒差置いて雨は凶器に変わった。
ビー玉を叩きつけるような音を伴って、容赦なく私達に打ちつけて来る。
英治は一旦手を離すと、走ったままパーカーを脱ぐ。
そして戸惑う私の頭に掛けて来た。
「――――公園まで走るぞッ」
ぐいっと手を引かれ、思わず身体がよろける。
でも貴方は手を離さなかった。
力強く握っていてくれた。
冷たくて痛い雨の中でパーカーは暖かくて、微かに紅茶の香りがした。
とても恥ずかしくて、その優しさに悲しくなって、泣きたくなった。
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