能ある鷹は愛する獲物の為に爪を斬る

□メルト
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「……結局濡れちまったな」



 私達は花蓮ちゃんの家の近くにある公園に来ていた。
 公衆トイレの下。その小さな小屋の屋根の下で腕に付いた雨を払う。
 スカートはびちょびちょ。
 靴も一歩踏む事に中から水が出て気持ち悪い。
 でも英治がパーカーを貸してくれたおかげで、上半身はそんなに濡れなかった。


――でも英治は。

「ご、ごめん」


 倍に汚れてしまった。
 例えるならな服のままプールに入ったみたいに。

「……止むまでここにいようぜ」

 英治はぷるぷると首を振って髪の水滴を払う。
 でも、そんな事で水気が飛ぶ訳が無い。
 私は見ていられなくなって手持ちの茶色い革鞄を開く。
 そこからプーさんのタオルを取り、彼に差し出した。

「これ使って」

「べ、別に要らねぇよ」

「早く拭かないと風邪引いちゃう」

「お前だって同じだろ!」

「私はハンカチあるもん」

 何なら拭きましょうか?なんて冗談を零せば、顔を真っ赤にしてぶん取られた。
 始めから素直に受け取れば良いんだよ。
 くすくすと笑えば、英治はここぞと言わんばかりに睨んで来る。
 そんな睨まれたって全然怖くない。


――私もハンカチを。


 バックの中身は現像して来た写真、手帳、メイクポーチ、財布、携帯など。
 そして目当ての物はすぐ手前にあった。
 ただ物に埋もれた底の方――細い生地の固まりを見つける。オレンジ色の折り畳み傘。
 なんだ。傘持ってるじゃん。

「英治、折りたた……」

 待って。一本しか無いんじゃ二人使えないし、この人が一本を二人で使うとは考えられない。
 それにこんなどしゃぶりの中を好き好んで移動する事も無いでしょう。
 無意味だと怒られて終わりだな。ハンカチだけ取り出して、大人しくバックを閉じた。

「……さ、最悪だ」

 声に振り向けばフラワーアレンジメントの入った袋を弄り、深くため息を零す英治。
 あちゃー。中に入っていたプラスチックの容器に入った小さな花畑は崩壊。悲惨。惨劇。
 強い雨に打たれた、というよりは走った衝撃で崩れた感じ。
 ごめん。笑う所じゃないけど笑える。

「ふふふ。慣れない事するから雨が降ったんじゃないのぉ?」

 ニヨニヨと嫌味を零せば太い眉毛の間に皺が寄る。
 だいたい英治が私無しで花蓮ちゃんの家に遊びに行く事自体珍しい。しかも奇襲。
 言い返せない事が悔しいのか、唐突に私の隣を指差して来る英治。

「お前こそ、そんなのアイツに渡すつもりか?」

 茶色い袋が濡れ黒っぽく変色したマクド〇ルドの袋。
 袋を置いた所は小さな水溜まりが出来、床を湿らせている。
 中身を想像するだけで恐ろしいのは私だけじゃあるまい。
 最悪だ。十五個のチーズバーガー買った時の恥ずかしさと値段を思い出すとショックが大きい。

「俺の警告を無視したからそうなるだよばぁか」

 ざまぁねぇな、ニヤニヤ笑う英治。
 恥ずかしさと怒りで血が沸騰していくのが分かる。特に腹が立つんだよこの眉毛。
 頭にきてハンバーガーの袋ごと顔に投げつけてやった。
 そしたら間髪入れずに袋ごとフラワーアレンジメントが顔面に飛んで来た。

 地味にケースが当たって痛いし、折角拭いた顔に雫が飛び跳ねる。
 濡れていたから衝撃で破けたんだろうな。英治に至っては顔面に紙袋の側面が張り付いていた。
 その状態のまま、お互いギロッと目を細める。


「……死ね根暗女」

「……死ね海苔眉毛」


――でも。


 顔を拭きながら私達は笑っていた。
 くつくつと肩を揺らしながら雨空を仰ぐ。
 ついこの間までの私達はお互いを裏切って、お互いの大切な物を守ろうとして、こんな風に口論出来るなんて思いもしなかった。
 だけど無くした絆がまたここにあって、昔以上に言いたい事が言える。
 一緒にふざけあって、一緒に怒って、一緒に悩んで泣ける。


「これからは奇襲も大概にしようね」

「……あぁ」


――それが凄く嬉しい。


 場が和めば話が出来る。
 他愛の無い話だけど私は彼に話し込んだ。
 最近あった事とか、家の事とか、今日間違えて目覚まし掛けちゃったとか。
 英治は相槌を打ちながら笑ったり、呆れたように肩を落としたり。
 もちろん聞くだけでなく彼自身も話掛けてくれた。


 雨は一向に止まない。
 でも、こんな時間が幸せ。


 どれくらいの時間が流れただろう。
 不意に英治の携帯から着信音が流れる。
 多分、花蓮ちゃんの指定着信なんじゃないかな。
 音がなっただけで彼はあわあわと手を震わせながら携帯を開ける。
 いつもあの子からメールが来る度にこんな感じか。

「……桜坂、買い物に行ってたみたいだな」

 ふぅん――って、いつの間にメールを送ったの。

「この雨で足止めされた所をアルフレッドが迎えに来たんだと」

「そ、それって……」

 雨が降る前に花蓮ちゃんはスーパーに行ったって事でしょ。
 つまりアルフレッドさんはこの雨が降って来た時には家にいて、花蓮ちゃんを心配して迎えに行ったって考えるのが妥当。


 ……。
 ……居留守使われたな英治。


 その事に気付いていない彼は、花蓮ちゃんにメールを返している。
 三回目の着信音が鳴った時だった。
 内容を確認した途端、いきなり立ち上がる彼。

「英治?」

「桜坂がここで雨宿りしてるなら家に来いってさ」

「き、気持ちはありがたいけど」

 多少乾いたとはいえ、まだ服は濡れている。
 このままお邪魔したって迷惑が掛かってしまうだけ。
 勿論、英治だって分かっている。

「……流石に俺は無理だな」

「じゃあ一緒に帰ってから」

「だからお前だけ桜坂の家に行くって伝えておいた」

 思わず間抜けな声を出してしまった。

「ど、どうして!」

「風邪引かれて文句言われてもかなわないからな。お前は桜坂の家で服でもタオルでも貸して貰え」

「そ、そんなの嫌だよッ花蓮ちゃんにも迷惑掛かるし私の所為で英治が濡れて――」

「お前、傘持ってるだろ」

 英治は顎でバックを示した。

 な、なんでそれを。呆然としていると隅に置いてたバックを奪われる。
 人の許可無しに開けられたバックから取り出された折り畳み傘。
 でも彼は気にもせず、さも自分の物のようにカバーを放り投げる。

「ほら」

 英治は口元を緩ませて笑った。
 傘を開き、私の手に押し付けて来た。

「お前は傘差せ。大分服も乾いて来たんだろ?」

「……え、英治は」

「俺は一旦帰るから良いんだよ。行くぞ」

 これぐらいの雨なら大丈夫だろうと、英治は濡れたパーカーを抱える。
 でもこんな事までして花蓮ちゃんの家に行っても何も嬉しくない。
 私は傘を英治に投げつけ、その場に座り込む。

「い、痛ぇなッ何すん――」

「英治が雨で濡れるなら私は動かない!」

「はぁ!?」

 ぎょッと目を見開く英治。

「英治が濡れるなら私も濡れて一旦帰った方がマシだもん!」

「ば、馬鹿言ってないで早く来いッ風邪引くだろ!」

「馬鹿は風邪引かない!」

「威張るな!」

 そんなの私が許さない。
 一緒に濡れて帰るか、雨が上がるまで一緒にいるか二択しか認めない。
 英治は困ったように私を睨んでいた。
 でも何を言っても無駄だと悟ったんだろう。
 傘を拾って再び歩み寄って来る。

「……本当に面倒くせぇ女だな」

 うるさいよ、思わず頬を膨らませる。

「分かった。分かったよ」

 英治は深いため息。

「じゃあ桜坂の家まで一緒に傘入れろ」


――――えっ。


「その変わりお前はそのまま桜坂の家に上がれ。俺はお前の傘借りて帰る」

 これなら二人とも濡れないだろ、そう言われた。

「桜坂もお前が濡れてる事は把握してるし、今更行かなかったら逆に迷惑だ」

「で、でも」

 思わず顔に熱が集中してしまう。
 この人がそんな事言い出すなんて思わなかった。
 だって花蓮ちゃんの家に行くまで私達は相合い傘するって事なんだよ?


「……し、仕方ないから入ってやる」


 英治は顔を赤め、目も合わせずに手を差し出して来た。




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