青く凛と

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黄金期と呼ばれた、3年生の引退が迫っている。
その事実は、下級生に複雑な感情を抱かせるのは十分で。部内は今まで感じたことのない空気が漂っている。不安、焦り、寂しさ。まあ色々が混ざりあった、空気だ。


 夏の日差しが容赦なく照りつけているコートで怒号を飛ばしているのは、次期部長の海堂。コートの外で練習メニューに頭を悩ませているのは、次期副部長の桃城だ。
この2人の焦りは他の部員に比べても顕著で、目に見えて分かりやすい。正直に言えばリョーマでさえ心配になる程に。

ただ、3年生は敢えて助言や手助けはしないと決めているらしく、それが余計に海堂達を不安にさせている。実際リョーマは、桃城に「避けられている気がする」と漏らされた。否定も出来なかったが、少し重く、捉えすぎな気もした。


一生懸命な桃城と海堂を遠目に眺めながら、跡部からの報酬であるファンタを口にする。家から持って来たファンタはすっかり温くなっていて、美味しさは半減だった。

「おっチビ〜!」

響き渡った底抜けに明るい声に、げっ。と眉を寄せる。
零れないように慌ててファンタを飲み干す。すると直ぐに、衝撃と重さが背中に乗っかった。

「重い」

「おチビ、明日か明後日って暇?」

文句は綺麗に流された。まだ抱き付かれたままの現状も変わらない。

「何すか?急に」

「一緒に遊ばない?」

また唐突だ。慣れているとは言え、遊ばない?なんてストレートな言葉で来るとは思わなかった。
リョーマが怪訝な表情を浮かべていることに気が付いた菊丸は、へへっと期待を込めた笑みを浮かべた。

「大石先輩は?」

「大石は受験の為の勉強。不二は、弟がしばらく家に帰って来るから外出は控えたいって言うし」

あの人は相変わらず弟が好きなんだな、と感心する。


「それにほら、ね。……桃は大変だし」

珍しく躊躇いがちに目を伏せて、菊丸は言った。

海堂と共に指導に加わった桃城は、らしくもなくキツい。明らかに指導に力が入り過ぎていると思う。
目に入るのはその様子を心配そうに見守る3年生の姿で、大石などは特に、胃が痛そうだった。相変わらず気苦労が絶えない人だな、と自分のことを棚に上げて考えていると、視線を感じたのか目が合った。

菊丸に抱き付かれているリョーマを見て、苦笑を浮かべ、来てくれた。多分、引き離してくれるのだろう。

「英二、越前が困ってるから」

宥めながら、菊丸の腕を引っ張ってくれる。ようやく解放されて、ホッと息を吐く。菊丸は、ぶーぶーと本当に口にだして文句を言っているけれど。


「因みに聞くけど、英二が越前に絡んだのは、テニス関係のことでかい?」

大石が腰に手を当てて聞いた。
聞いた本人さえ、否定を確信している質問など、ムダだ。それを伝える代わりにリョーマが肩を竦めると、大石はやっぱりと苦笑を浮かべた。

「一応、技術的な後輩指導の時間だよ。越前も、今日は講師側。把握だけはしておいてくれよ?」

「「はーい」」

自然に揃った声は、揃ったが故に、やっつけな返事に聞こえた。だから大石は呆れたように眉を下げたのだろう。

「で、おチビの予定は?」
気をとり直すように菊丸が聞く。

「明日はムリです。明後日も」

明日は、跡部の庶民の講師。次の日はその交換条件である定期的な打ち合いの日だ。
そう考えるだけでも、最近の予定は跡部と一緒のものばかりだ。向こうもそれ所では無いからだが、桃城と過ごす時間は目に見えて減った。

「えー!?」

「今日なら大丈夫です、けど何して遊ぶんすか?」

「じゃあ今日の放課後で許すよ!うちかおチビの家でゲームしよ!」

菊丸は声を弾ませる。

「いいですけど」


「だから、私語はなるべく控えて指導に専念して、って。俺の話、聞いてたかい?」
大石が困ったように言う。
やっぱり気苦労が絶えない人だ、とつくづく思った。




結局、リョーマは大石に促されて、堀尾達トリオに軽い指導をして終わった。堀尾のテニス歴ほにゃららの自慢が非常に面倒ではあったが、とりあえず加藤や水野には感謝されたからよしとする。

「おチビ、お菓子買って行こうね!」

部室には大勢の部員が居る。レギュラー陣も、手塚を除く全員が居た。その中でも菊丸の声はよく響く。


それに反応したのは、個人の評価とそれを踏まえての練習メニューを考えていた桃城だ。睨めっこしていた紙から目を上げて

「遊びに行くんすか?」と聞いた。

「うん、オレの家でゲーム。桃も来ない?」


「ああ、俺は大丈夫ッス。これ、考えないとですし」
練習メニューの紙を指さした桃城が言う。
菊丸は、「そっか」と呟いた。
その呟きが寂しそうな事も、気遣いからの誘いでもあったことも桃城には届かないらしい。いつもなら、人の感情に対して鈍い訳ではないのに。余裕の無さから来ているのなら、それこそ寂しいことだ。


「おい、桃城。俺がやるからいい」

唐突に、割り込んだ声は、海堂だった。海堂は桃城の手にあった練習メニューを奪うと、ヒラヒラと揺らして見せた。

「てめぇに任せてたらいつまでも進まねぇからな」


海堂のその行為は、かなり不器用だが気を遣った故なのだろか、と思った。最近頭を悩ませ過ぎて煮詰まっている桃城を見て、息抜きをさせようとした、気遣い。海堂自身も、きっと人のことを心配出来る心境では無い筈なのに。



「なんだと?」

けれど桃城は、海堂の言葉を額面通り受け取ったらしく、表情を強張らせて海堂を見上げる。
海堂は揺るぎない折れない態度を貫き、桃城はハッと小さく笑った。


「人のこと言えるのかよ、お前の方こそ部長としてやっていけるのか?なんなら変わってやろうか」

その桃城の言葉に、海堂は益々表情を険しくさせた。
そのたった一言で怒りに火を点けたのだろう。海堂は目を細めて拳を握りしめる。
「てめぇ、桃城!」

「あんだよ!?」

桃城は座っていたパイプ椅子を音を立てて倒して、立ち上がった。


一触即発。最近知ったそんな四字熟語が浮かんだけれど、桃城のあの言葉も、海堂を何処かで気遣ったからなのかも、と思った。いくら毎日喧嘩をする間柄でも、桃城が誰より人を大切に出来る先輩だと、身を持って知っているからだ。


悪循環にもヒートアップする海堂と桃城に反して、汗臭い部室の空気は、この猛暑にも関わらずヒンヤリと冷えきっている。
着替えをしながら、チラチラと目線を送ったり、伏せたりを繰り返している部員。ここにいる部員全員が海堂と桃城を心配していることに、早く気付いて欲しい。
大体にして、互いを認めあう2人で、今誰より青学テニス部を考えている2人が、どうしてあんなにも険悪になるのか理解出来ない。

いつもとは絶対的に違う喧嘩。部室の空気。それらを見兼ねて、さすがに止めに入ろうとリョーマも思い、見守ることを決めていた先輩達も思った筈だが。
誰より早く動いたのは厄介にも荒井だった。

「まあまあ、落ち着けよ。これからお前らは手塚部長や大石副部長みたいに」


「「うるせぇ!」」


荒井の説得に、海堂と桃城は声を揃えて叫んだ。
言い終わらない内に怒鳴られた荒井は、ビクリと、肩を揺らした。


「そもそもお前やみんなが」
「もう少し出来ると思ってたのに」

ずっと心の底に溜まっていたのだろう。ポロリと口から出た本音は再び部室を凍りつかせ、さっきよりも空気がどしりと重たくなった。

どんどんと溝が深まるのは見ていて、気持ち悪い。これからの部活は、このままでは絶対に気まずい時間になる。青学テニス部らしくない、テニスなど、いいはずが無い。
只でさえ、ここに留まる理由が多くて、悩んでいると言うのに、また気掛かりな種が増えてしまった。



「いい加減にしろ!」

海堂や桃城よりずっと、しっかりとした怒鳴り声が響く。その主は大石で、今ここに居ない手塚の分までも怒っているようだった。怒っている、と言うよりやりきれない、と言うべきかもしれないけれど。


「桃、海堂、頭を冷やして来い」

「大石の言う通りだよ、2人とも。熱くなり過ぎて、大切なことを忘れてはいけないよ」
不二が言う。

手塚以外の3年レギュラー陣も複雑な表情を浮かべて、小さく頷く。その辛そうな顔達にどうもしてやれないそのもどかしさは、リョーマの想像以上に辛いものなのだと、気付かされた。


部員全員が、桃城と海堂を見つめる。その視線には、咎めるものなど無い。けれど、2人にとっては責められていると感じてもおかしくない。

「……グラウンド100週してきます」

頭を深々と下げて、桃城と海堂は部室から出て行った。ドアが閉まった途端に皆から一斉に安堵の息が漏れた。



「……手を出せないって辛いね」

河村が呟く。それに、3年レギュラーは目は伏せて、唇を噛み締めた。
今の状況は、思っていたよりもずっと深刻だった。



ピリリリリリ。静寂に包まれる部室に鳴り響いたのは、携帯の着信音。タイミングが良いのか悪いのか、とにかく絶妙なことにはかわりない。

皆が自分の携帯を確認する。けれど、どう聞いても音は自分の近くで。リョーマはバッグに入れた携帯をつまみあげた。やっぱり鳴っていたのはこの携帯で。しかも、ディスプレイに表示された名前は、跡部景吾だった。


「おチビ、携帯買ったの?」
「無理矢理、持たされたんッスよ」

不機嫌に答えて、いつまで経っても鳴り止まない携帯を苛ついて取る。

『なに?』

『なに?じゃねぇ。俺様が電話したらとっとと出やがれ』

『電話でまで上から目線なんだね』

『お前は電話も生意気だな』

『ところでなんの用?』

『ご挨拶だな相変わらず。わざわざ明日の予定の時間を、30分遅らせたいと連絡してやってるのに』

『ああそう。どうも。それじゃあ』

『おい!あしらってんじゃねぇッ』

跡部の機嫌を損ねた、分かりやすい声色に今の状況など忘れて、リョーマは面白いと、笑みを浮かべる。電話の向こうではリョーマの表情など分からない筈だが

『馬鹿にしてんのか?』
と聞かれた。

『被害妄想ッスね。らしくもない』

『お前、次の打ち合いは覚悟しておけよ。ぶちのめしてやる』

『やってみてよ』

いつも通りリョーマが応じると、跡部はふっと声を漏らして笑った。

『上等だ。取り敢えず、明日も遅刻するんじゃねぞ』

『しないよ』

『どうだかな』

『しないって。じゃあ切るから』
リョーマはそう言って、無理矢理切った。


小さく吐息して、微笑を浮かべる。リョーマのその姿を見守っていた部員達には当然、疑問が浮かぶ。

「相手は誰?」

そう聞かれて、素直に答えて良いのか分からずに首を傾げる。
いくら全国大会が終わったと言ってもライバル校の部長には変わり無い。氷帝は必要以上に青学への突っ掛かりもあるし、取り敢えず仲が良いと言えないのは確かだ。

「意味もなく偉そうな人です」

リョーマの答えに、部員達は怪訝な表情で首を傾げた。
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