青く凛と

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 雨の中。ひとりベンチに座る越前を見つけたとき、安堵の息と共に言い様のないもどかしさと怒りが込み上げた。
手塚から越前の行方を知らないか、という電話を受けた直後からずっと燻っていたその感情は、霧雨の中で洗い流されるどころか跡部の中で暴発を起こした。
それは何も出来ないことへの不甲斐なさでもあり、越前が誰も跡部も頼らずにひとりで抱え込んでいることへの痛みでもあり、桃城達への理不尽とも取れる嫌悪めいたものでもあり。それらを全て包めた暴発だった。
だから深くは考えず、気が付けば越前の震える身体を、両腕の中に閉じ込めていた。
跡部よりも2つ年下のその身体はやはり小さく、それでもこの全身で、必死になにかを背負うとして来たことがひしひしと感じられる。雨ですっかりと濡れたその身体は夏にも関わらず冷たくて余計に胸を突いた。
けれど、一体どれくらいなのか。しばらくそうやっていると不思議と人肌の温もりを感じた。その温かい感触に、ああ、ようやく見つけた、捕まえた、と僅かにずれた思いが、文字通り温もりとなって跡部を満たした。
そうしてようやく身体を離すと、越前は眉を下げて小さく笑った。
「跡部さん、制服の替え、ある…か」
跡部が着ていた氷帝の制服の裾を掴みそう言った越前に、拍子抜けするように肩の力が抜けた。ここでそんな台詞か。苦笑したが、けれど深刻になるよりは、ずっといい。
前髪が張り付いた越前の額を軽く小突いて
「当然だろ」
と鼻を鳴らすと、越前に手を伸ばした。
その意図を違えることなく越前は、跡部の手を握り、ベンチから立ち上がる。
握った手を離すことへ名残惜しさを覚える。その名残惜しさに自分でも驚いてそれを誤魔化すように越前と繋いでいた右手で、ビニール傘を拾った。
雨粒が傘から滑り落ちて跡部の手へ落ちた。


それから、迎えを呼んで跡部邸へと越前を連れて帰った。

跡部邸へ着くなり「お前、風呂に入ってこい」と告げた跡部に、越前は珍しく渋った。普段テニスの後にはいつも他人の家とは思えないほどの我が物顔でシャワーを使っていた癖に、こんな時に渋られるのは正直面倒だ。「跡部さんが先に…」と妙に殊勝な気遣いを見せた越前には少しだけ笑いそうになったが。
「いいから入ってこい。この家に幾つ風呂があると思ってやがる。大体、お前に濡れた身体引き摺って歩かれたら迷惑だろうが。お前の家の絨毯とは物が違うのは見れば分かるだろ」
わざと煽ってやると、案の定、越前は睨むように跡部を見上げた。
普段よりはずっと力が無かったが、それでも今は十分だ。越前リョーマはこの生意気さを持ってこそ越前だ。
跡部が濡れた越前の背を押すと「分かったよ」と眉を下げて唇は尖らせて、生意気に言った。
使用人に越前をバスルームまで送らせて、その背中を見送ると跡部もまた別のシャワールームでシャワーだけを浴びた。
シャワーを終えて着替えの服に腕を通し(流石にガウンの気分では無かった)髪まで乾かし終わると、シャワールームに備えている電話が鳴った。執事からの来客の知らせだ。
跡部がエントランスへ出向くと、そこにいたのは意外にも青学の黄金ペアだった。
携帯も持たずに飛び出した越前の荷物を届ける、と越前捕獲の連絡の際に手塚から聞いていたから、てっきり手塚が来るものだと思っていたが。
「こんばんは」
と挨拶をした大石の隣で「すごいデカい家〜」と菊丸がキョロキョロしていた。
「手塚はどうしても外せない用事があるらしくてね。俺が代わりを買って出たんだ」
跡部が尋ねる前に少しだけ申し訳なさそうに言った大石が、越前の持ち物であるラケットバッグを跡部へ渡す。
それを受け取りながら「そうか」と頷いた跡部に、大石は「でも良かったよ」と安堵の笑みを浮かべて言った。
「俺達じゃ越前は見つけることは出来なかっただろうし。見つけても、越前はきっと戸惑うだけだろうからね。ありがとう跡部」
さすがは、青学の二本柱を担っただけのことはある器だ。
跡部は来て早々に率直な感謝を爽やかに言える大石に感心すると同時に、これならもっと悪化することはないだろうと、胸を撫で下ろした。
元々、越前と問題を抱えるのが現二年生であり次期主導者であることは分かっていても、それでも心配だった。けれど、手塚も、こうしてライバル校の部長である跡部に素直に礼を言って笑える、大石もいる。
越前は、越前が想い悩むその価値が有り余るチームメイトに恵まれている。
だからこそ、アイツも難儀だな。と跡部まで途方に暮れそうになった。
「ねぇ、ところでおチビは?」
大石の隣で相変わらず視線を巡らせていた菊丸が、心配そうに跡部を見上げた。
「風呂だ。ずぶ濡れだったからな」
「風邪とか、大丈夫?」
「引くならこれからだろうが、まあ平気だろ。雨の中でも平気で試合を挑んでくるような奴だからな」
跡部が苦笑を混ぜながら言うと、大石は「ああ」とその情景を思い出したのか仕方がなさそうに笑って、菊丸も僅かに間を置いてから肩を竦めた。
「そうだね。おチビだもんね」
「アイツは時々心配するこっちが馬鹿らしくなるからな。大丈夫だ」
跡部が言うと、黄金ペアはきょとん、と顔を見合わせて試合さながらの見事なシンクロで笑った。
「なんだ」
「いや、ごめんよ。でも聞けて良かったよ」
意味が分からないことを。眉を顰める跡部に、大石は爽やかに「ごめん」と繰り返す。謝られる理由が分からないから「ああ?なんだよ」としか言えない。
「何でもないよ」「何でもなくはねぇだろ」
言い合う跡部と大石を横目に、菊丸が「うん」と唐突に頷いた。何かを納得したのか、自分自身に納得をさせたのか、そんな仕草だった。
「大石、帰ろうか。おチビ、今はオレたちに会いたくないだろうし」
「いいのか?」
「大丈夫、ね」
大丈夫、で跡部に視線をやって菊丸が言う。
「そうだな」
大石もそれに深く頷いた。
菊丸も大石もわざわざここまで足を運んで何を納得したのかは知らないが、何か信頼されて、任されたことは分かった。だが、いいのかそれで。と不安だ。大丈夫じゃない。
結論付けた黄金ペアは視線を交わすと、じゃあ。と早々と跡部に向かって言う。
「跡部、越前をよろしく頼むよ」
その言葉には曖昧に頷いた。
もしかしたら照れ臭さもあったかもしれないが、それ以上に、どれだけ頼まれても今の越前にしてやれることが思い付かなかった。だから大丈夫や頼む、のその信頼は正直、躊躇う。大丈夫だろうか、本当に。
跡部の曖昧な頷きを大して気にした様子もなく、黄金ペアは大石が一礼、菊丸が「おチビをよろしくね!」と手を振って出て行った。
手の中の、越前のバッグを握りしめ、跡部は小さく息を吐く。高い天井と越前曰く無駄な広さを誇るエントランスで妙に頼りなく響いたような気がした。
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