灰男

□たとえば
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「たとえば、さ」


それは、ふいに話し出した彼女の言葉から始まった。

驚きはしたものの、少し抑えたように話す彼女の声は、二人しかいない部屋に心地よく響く。


「数え切れない人間達がうごめくこの地球上で、たまたま同じ年に生まれて、生きて。
たまたま似たような力を持っていたとして。
たまたま同じ黒の教団に入って出会った」


そこで言葉を切り、彼女は天井を見上げた。

淡い電球の光に軽く目を細め、また、少しずつ言葉を紡ぐ。


彼女は、二人でいる時、とりとめのないことをこうしてたまに話し出す。



「この世界で息をして、生を感じる。
ラビと、出逢う。
……そんな、当たり前のことができる。
それって、とてもすごいことだよね、ラビ」


「そうだな。
俺は春花と出逢えて、すげー嬉しいさ」



ふわりと微笑む彼女は、儚く、消えてしまいそうで。

とっさに手を掴んだ。
案の定、春花はきょとんとした顔でこちらを見つめている。


それでも、手を離さず、逆に力を強めた。

―春花もそれにこたえるように、きゅっと握り返す。


そしてまた。


「ラビと出逢えたのは偶然かもしれなくて、でも必然かもしれない。
でもあたしは、必然だと思いたいな」



「うん、俺も」


ぽつぽつと話す春花の声に耳を傾け、目を閉じる。


「……人はさぁ、いつか変わるけど、あたしは変わりたくない。
無理かもしれないけど、できることならこのままで。
神様がいないこの世界で、いくら願おうと無駄かもしれないけど、せめて、今この時だけは、」


「大丈夫。
春花や俺が変わっても、俺が春花を好きなことは変わんねーから」



春花は、神様とか、そういう類のものを信じていない。

「昔はね、よく考えてたんだ。
たとえばとか、もしも、とか。
―でも今はさ、ほとんど考えなくなった」


「なんでさ?」


「だって、神様がいればさ、きっと…………」

そこで、春花は言葉を切った。
少し哀しそうな顔で、微笑んで。
多分、次に言うことは分かってる。


でも、勢いに任せて、聞いてしまった。

続きは?と。


「やっぱり。聞かれると思った。
神様がいたら、今頃あたしの願いとか祈りとか、届いてもいいんじゃないかな、って。
10年間、変わらず祈ってるのに。
毎日欠かさず、願ってるのに。
それなのに、この世界から戦いはなくならなくて、犠牲はたくさんいて。
神様なんて、いないよ」


別に、自分だって信じてるわけじゃないけど、春花の表情を見て、神様はいるよと言ってあげたくなった。

―それほど、春花の顔は、悲しげで。


口を開いたところで、春花がまた、話し出した。

「…でもね、あたしはこれからも祈り続けるの。
願う相手がいなくても、たとえ届かないとしても、祈り続ける。
それで、いつかあたし自身で叶えるんだ」


天井に向かって手を伸ばし、何かを決意した、凛とした表情と強い意志を感じさせる瞳でラビを見つめ、春花はその手を握った。


「そン時は、俺も一緒さ」


「うん」



少しはにかんだような笑顔になって、春花はラビに抱き着いた。

ラビも、それに応えるように、春花を抱きしめ返した。








(願いが叶うその時に、)

(隣にあなたがいるのなら)

(目には見えない何かを)

(信じられると思うんだ。)
 

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