君に捧ぐ純情(短編)
□Dear my…
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困っている人に
「何でもします」
と言っている人を見て
自分に一体何が出来るのか
知っているのだろうかと不思議に思う
例えば自分に置き換えてみて
文学のことならば何とかなるけど
それ以外の事って何が出来るのだろう?
野分のように医学の知識があれば実践で役立つこともあるが
主に勉学に傾いてる自分の特技の使いどころは限られている
そんなオレが
お前にしてやれることって何だろう
一番大切だと言われながら
それに値するくらいのモノを返せているだろうか
「…おはようございます。」
研究室に着いて一番にする挨拶が、何時もより重苦しい喉から発せられた。
コートを脱いで鞄を置いていると、教授は後ろのデスクの椅子を回転させてこちらを向いた。
相変わらず今日の占いを見ていたのか、机の上には講義の資料ではなく別のものが広くスペースを取っている。
「なんだお前、かなり体調悪そうじゃないか。」
「大丈夫です。ちょっと風邪気味なだけなんで。今日の講義も少ないですし。」
そう言って今朝コンビニで買い込んだのど飴を放り込んだ。
体調管理も仕事の内。社会人として当然のそれを破ってしまったのには訳がある。
「そういえば昨日雪降ってたよな。たまたま車で出かけてて帰りに降ってくるから、ヒヤヒヤしながら帰ったわ。まさかお前も外出てたのか?」
「…待ち合わせしてたんですけど、結局来なくてそのまま帰りました。」
原因は恐らくそれだろうと判っていたので仕方なく白状して答えると、オレと野分の事情を知っている教授は少し気の毒そうに笑った。
「あ〜それは災難だったな。結局どれくらい待ちぼうけしたんだ?」
「…5時間ぐらいですかね?」
本当はもう少し待ったけど何となく誤魔化してしまった。
最悪ファミレスが空いている時間まで待っていたのだが、流石に23時を過ぎたので仕方なく帰ったのだ。
家に着いたらもう日付が変わりかけていて、とりあえず風呂に入って何も食べずにそのままベッドに潜り込んだ。
冷え切った身体は直ぐに風呂の温度を失ってしまって、完全に寝るまで少し時間がかかった。
眠りが浅かったのか何時もより早い時間に目が覚めて、直ぐに喉の違和感に気が付いた。
こんなことなら無理やり何か流し込んで、風邪薬を飲んでおくべきだったのかもしれない。
「5時間?!あの雪の中を?!」
案の定教授はオレの発言に驚愕したようで、更に追及される前に自分の愚かな行いを謝罪した。
「仕事に影響するって判ってて帰らなかったオレが悪かったんです。教授に移さないように今日は資料室で作業しますから」
一目で良いから会いたいとか、せめて呼び戻されるまでは一緒に居たいとか思った事が我が侭だったんだ。
ドタキャンされる割合が高いことを知っていて、それでも帰らなかった自分が悪い。
だから風邪を引いたのは野分のせいじゃない。
そう自己完結してから必要な資料を抱えて、教授に移さないために隣の資料室へ行こうと立ち上がろうとした時
「ちょっと待て、上條。」
「え?」
何ですかと答える前に教授に腕を掴まれて、額に手を当てられる。
額を包み込む掌がひんやりしていて、心地良さに一瞬目を瞑ってしまった。
「…お前、結構熱高いぞ?こんなんで資料室なんて寒いとこで作業したら悪化するだろうが。」
「…大丈夫ですよ。それより教授に移す方が問題でしょ?講義が終われば大人しく帰りますから。」
そう言って再び立ち上がろうとしたオレの頭に、教授は優しく手を置いてこちらの行動を制限した。
「移してもいいからココに居ろ。」
言葉は優しくても声に妙な迫力があって、これは逆らうと拙いと判断して大人しく座りなおした。
「…ありがとうございます。」
何だかんだで人のこと良く見ているこの人は、いい加減なのは部屋の整理整頓ぐらいで良い上司だ。
本当は寒い廊下に出るのも嫌なくらい、熱が上がってきているのは判っていた。
だけどどうしても自分の不注意のせいで講義に穴をあけるのだけはプライドが許さなくて、何としてもやり遂げて帰りたかった。
(最悪その後に倒れても本望だ…。)
だいぶ熱が上がってきたのか、思考がいつもよりふわふわしている。いかん、しっかりしろ自分!
気合いを入れ直すのと教授に極力移さないようにする為、持参したマスクを鞄から取り出して装着する。
自分から発せられる息が熱いのか、早くもマスクの中が蒸れ始めて息苦しい。
「あれ?お前よくマスク持ってたな。今は何処行っても売り切れて手に入らないだろ?」
そういえば今年は新型のウイルスが流行していて、薬局からマスクが消えるという現象が起きているのだ。
「こんな事になる前に箱買いしてたんです。たまに風邪引いたりするので。」
不本意だがオレはたまに風邪を引く。それに比べて野分は全くと言っていいほど風邪を引かない。
同じものを食べているのに一体何がこんなに差を生むのだろう?体質か?
不満気に眉を寄せていたら、教授は軽く笑って
「お前身体弱そうだもんな〜。でもその為の彼氏君だろ?恋人が医者っていうのは安心だな。」
そう言う教授に少しだけ笑い返して「そうですね」なんて思ってもない事を言った。
必ず行くからと言いながら
結局来ないなんて事はザラで
今更もう文句とかも出てこないけれど
それでオレが風邪を引いた事を知れば
あいつはとても悲しむから
オレは風邪を引いても言わない
家に帰ってまで仕事の延長のような事をさせたくないし
あいつが帰宅する頃には大概治った後だ
だから今回も大丈夫
わざわざ報告することでもない
そう思いながら軋む節々の悲鳴を無視して立ち上がり、講義開始の10分前に研究室を出た。
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