君に捧ぐ純情(短編)
□今夜月のみえる丘に
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気前よく百歩くらい譲ったとして、まぁ一度自分と違う誰かになりたい!という気持ちは判らなくもない。
しかし現実的に考えて、願ったとしてソレがまさか実際己の身に降りかかるなんて思ってもいない訳で…
「あの…ヒロさん?大丈夫…ですか?」
顔を上げれば心配と焦りと後ろめたさが交錯したような表情の野分…もとい自分の顔があった。
もしもこんな在り得ない事が身に降りかかると予測できていた奴が居たなら是非とも会ってみたいもんだ。
「………。」
オレはズキズキと痛む額を押さえて黙り込み、忙しなく冷蔵庫の氷に向かって走る自分の背中を見つめていた。
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“一度でいいからオレになってみたかった”
そう言った野分は妙にキラキラしていて、自分の顔だって本気を出せばこんな表情も生み出すのかと感心した。
「っていうか、そもそもオレになってみたいと思う目的って何なんだよ。」
いつもより若干高い声に違和感を抱きつつ、入れ替わりたいと思った原因を追究する。
正直ソファにドカッと腰掛ける野分(オレ)と、床に正座するオレ(野分)という図柄は酷く滑稽だ。
オレたちにとってはいつもと逆でも、一般的にはこちらの方が型にはまるようだ。
そんな感想を抱いていると、鎮座していた野分が顔を上げて遠慮がちに言った。
「えっと…ただ単純に」
「まさか単純に自分以外の人になってみたくて、単純にオレを指定した訳じゃないよな?」
予測される範囲の答えを先に言ってやれば、案の定野分は僅かに視線を逸らして苦笑いをした。
やっぱりかコノヤロウ。
「ふざけんな!そんな遊び半分な気持ちで常識捻じ曲げやがって!!」
オレは怒鳴りながら立ち上がり、自室で今後の身の振り方を考えようとドアを開けた。しかし…
ガン☆
部屋を出ようとしたらどういう訳だか思い切り額を強打した。
そうだ。今は野分の身体だったんだ。
立ち上がった瞬間に目線の位置が違うという事に気付くべきだったのに迂闊だった。
「〜〜〜っ!」
オレは痛みに声を失くして、額を押さえて座り込んだ。
「ヒロさん!大丈夫ですか?!」
そして冒頭に至る。
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「確かに単純に誰かになりたかったのは事実ですけど、それだけじゃないんです!」
野分が用意してくれた氷で額を冷やしながら座り直し、言い訳を熱弁する野分の言葉に素直に耳を傾けた。
「俺は、ヒロさんの全てを知りたいんです。」
至極真剣にそう言うもんだから、オレは思わず視線を逸らして氷袋で顔を隠した。
「お前…訳わからん…///」
不本意だがこんな状況でも野分の直球ストレートが嬉しいだなんて、多分オレもどうかしている。
さっきまで軽率な行動に怒っていたはずなのに、今や野分の一言で心臓が煩い。
今後の対策を練るより先に
オレの熱で手元の氷が
溶ける方が早そうだ
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