11/05の日記

21:40
マジョリティーから見てのマイノリティー?
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お久しぶりです、えとわすです。
ホント、いつぶりだろう…

最近本当に受験モードに入っちゃってて、時間の感覚がめちゃめちゃになってます。
毎日が飛ぶようにすぎてゆく気もするし、1週間前が1か月も前なような気もする。危険だ…

なんとか、頑張ります。
志望がマニアックすぎて受けれるところが少ないし、なんとしてでも第1志望…第2志望には受かりたい、かな。(弱気

とは言いつつ、このサイトのことを忘れたわけではないですよ。

メインコンテンツなんですけどね。
どうしよう…と考えていたり。

僕がセクシュアリティー、セクシュアルマイノリティーについて思うことを僕の立場から、コラムみたいな感じで書いていこうと思っていたんですが。

なかなかまとまらない。

そしてあることに気づいて、少し悩んでいたりもします。

セクシュアルマイノリティーの立場から発言するってことは、マジョリティーの人たちから見ればそのマイノリティーがセクシュアルマイノリティーのすべてになっちゃうんじゃないかと。

うーん…言葉にするのがむずかしい。
伝わりますか?

僕がセクシュアルマイノリティーの立場から語ることはそれはあくまで僕個人の視点からの僕個人の考えであるはずなんだけど、それがマジョリティーの人たちが知るセクシュアルマイノリティーのすべてになっちゃうと、そのマジョリティーの人たちの認識の中のセクシュアルマイノリティーをすべて僕が担うことになっちゃう。

ややこしい文章ですね。

つまり僕は、僕の発言が、セクシュアルマイノリティーの総意なのだとみなされることが怖い。

それはちがうから。


でもだからと言って口をつぐむというのはそれはそれで間違ってると僕は思う。

「僕はセクシュアルマイノリティーとして、こういうことを思ったりしてます。でもこれはあくまで、セクシュアルマイノリティーというくくりの中の、僕という個人の意見であり考えなんですよ」というスタンスでゆきたいし、それが当たり前に理解されるまでもなく理解されている社会こそが理想だと思う。

もちろん、これもあくまで僕の意見。


伝わるかな。

それは拾い上げられた時点では当然ではなくて、みんなの心の中に自然に含まれているようになってこその認識なんだと思うけど。

いまはまだ、多くの人に拾われることすらもせずに心の外に捨て置かれていると思うんです。


むずかしいな。

考えすぎもよくないけれど、僕はこういうことを納得がいくまでずっと、考え込んでしまう性分なんです。

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