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□王と仔犬
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「おかあさま」


夕焼けのように光る朱色の髪が風に揺れる。
腰まで伸ばされたそれは丁寧に丁寧に手入れがなされていた。

彼女のつける衣服は誰が見てもよいものだと分かる上等な絹でできていた。
肌触りのいい、落ち着いた群青のワンピース。

手入れの行き届いた庭、テラスに並べられたテーブルと椅子、よい薫りの紅茶。

普通ならば憧れるであろう、素晴らしい調度品ばかりに囲まれて、


彼女は幸せでは無かった。



「おかあさま」

小さな彼の声は風に乗って遠くまで行ってしまった。

彼女の目は虚ろでどこか遠くを見ていた。

遠い故郷を見ていたのだと今の征十郎には分かる。

だけど、当時は自分の母であるこの女の関心を集めることに必死だった。




何をすれば彼女が振り返るのか、

何をすれば彼女に誉めて貰えるのか、

何をすれば彼女の瞳に自分が映るのか、

何をすれば彼女が笑ってくれるのか、




勉強も運動も必死でやった。小学校へ入る頃には漢字も殆ど読めたし、
算数だって小学校程度の問題は解けるようになっていた。

テストで100点をとっても、運動会で1着をとっても、
何をしても彼女の目には


小さな息子の姿は映ることは無かった。




それから月日はながれ、赤司征十郎はキセキの世代のなかでも最強と言われ、畏れられるようになった。





赤司征十郎は普通ではない。

それは赤司の家が特殊であり、彼自身も平均から抜きん出た存在であったからだ。

生まれてこのかた、自分を不幸だと思ったことはない。

裕福な家に生まれ生活には不自由はしていない。

だけども幸せだと感じたこともない。

そんなものは必要ない。

人生には必要なものと必要の無いもの二種類がある。征十郎にとって幸せは必要ではない。

そう教えられてきたし、彼にとってもそれは至極当然の事だった。

征十郎は赤司家の跡取りとしてこの世に生を受けた。その瞬間彼の運命は決まったようなものだ。

赤司家は斑類の頂点に立つ希少種、人魚を受け継いできた。

斑類とは普通の人間とは違い、人間であるにも関わらず、その遺伝子に猿以外の哺乳類や爬虫類の特性を残したまま進化したものである。それ以外の所謂「普通の人間」は「猿人」と呼ばれる。

斑類と猿人の大きな違いは、その魂元を認知出来るか否か、である。斑類にはもうひとつの姿、動物の姿を持っている。

斑類にはその魂元を認知する能力があり、猿人にはない。

そして、斑類には階級がある。大きく分けて軽種、中間種、重種の3つである。
重種が最も強く、社会的地位も高い。重種は下の階級に比べレアリティが高く、子孫が望まれる。

更に人魚は斑類の中でも非常に希少であり、その子種を求める者は少なくない。しかし、実際にはその格の違いに容易には手が出せないのが現実だ。


更に赤司家はこの国の所謂、根幹である。人間としても「世界が違う」存在である彼は、憧れる者も多かっただろう。だが、当の赤司征十郎は誰も寄せ付けなかった。

斑類ならば、多くの者は特に重種以上のレアリティが高ければ高いものほど、性的な誘惑が多く、子孫が望まれる。

それを赤司家はよしとしていない。

格式ある家であればあるほど跡取り、特に重種の子供を作る努力は惜しまない。しかし、赤司家ほどとなると不用意な問題を作りたくはないのだろう。


それにもうひとつ大きな問題があった。




赤司征十郎は人魚ではない。




赤司の人間である征十郎の父親も人魚ではない。それどころか、ここ50年以上赤司家では人魚は生まれていない。

赤司家はこの国で唯一の人魚だった。

だからこそ、焦っていた。

征十郎は猫又の重種でライオンの魂元をもつ。曾祖父は人魚だったが、その番となる人魚を見つけることは出来なかった。仕方なく、外来種の猫又の重種を妻にとったが、人魚は生まれることは無かった。
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