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□王と仔犬
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祖父は曾祖母の血を受け継いで、猫又の重種、征十郎の父親も猫又の重種であった。征十郎の父親の代には外来種の人魚を半ば強引に番わせた。
つまり征十郎の母親は人魚だった。
そして生まれたのが征十郎であり、人魚を期待した祖父や父親は酷く落胆した。
赤司は日本の頂点でありその跡取りは当然人魚が望ましい。
しかし、生まれたのは猫又を魂元に持った征十郎だったのだ。
だからといって、兄弟は期待出来そうにはない。
幼い征十郎の目から見ても母親と父親は不仲だった。
それだけではない、母親は征十郎を産んだあと病におかされ始めたのだ。
心の病に。
無理もない。後から聞いた話では、征十郎の母親は無理矢理誘拐同然に連れてこられ、言葉も何も通じない国の屋敷で監禁されているようなものだったらしい。
父は母を道具としてか見ていなかった。
人魚の後継ぎを生ませるための、道具。
しかし、道具として機能しなくなった彼女を捨てる分けにはいかなかった。赤司家の恥を世間に知られる分けにはいかない。だからこそ屋敷からは出さなかったのだ。
母は父を恨んでいただろうか、
いや、怯えていた。
母は度々発作を起こしていたが、征十郎の顔を見ては酷く怯えた。
彼女は征十郎を産み落とした時、発狂した。まるで自身が「怪物」を生んでしまったとでも思ったのだろう。
憎むべき、嫌悪すべき、恐ろしい男の子供だ。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
看護婦の声は彼女の鼓膜まで届くことは無かった。彼女は自分と同じ色の髪を持った、その小さな生き物が何であるか理解出来なかった。
化け物だ。
自分はおぞましい化け物を生んでしまった。
妄想に囚われ、日夜彼女は奇声をあげ、涙を流し、怯え、呼吸困難に陥った。
食欲は落ち、日に日にその体は痩せ細り、誰の目から見ても衰弱していった。
死ぬことは叶わない。
生き地獄だったに違いない。ただ、辛い日々を何もせずに生きるだけ。
記憶にあるのは母親の震える姿だけだ。頭を抱え、うずくまり、悲痛なうめき声を漏らしていた。
少しだけ母を憐れに思った。
彼女はここにこなければ、「幸せ」だったのだろうか?
オレを生まなければ、こんなことにはならなかったのだろうか?
幸せは赤司家に生まれたものにとっては不必要なものだ。 結婚は契約であり、後継ぎを残すことが最重要事項だ。 そこにわけの判らない感情などあるはずがないのだ。
征十郎もいずれは誰かをめとって、この赤司家を継ぐべき子孫を育てるのだろう。それもそう遠くない未来のことだ。
今はただ、自分の小さな自由を
今だけは、赤司の人間でなくていい。
人魚のことを考えなくてもいい。
母のことも父のことも考えなくてもいい。
「ダメだよ、逃れられない」
ずっと「僕」は独りなんだ。
どこかで声がした。
自分を写すことのない、母の朱色の瞳、落胆した父と祖父母の目。
屋敷には多くの人間が出入りしていたにも関わらず、誰も征十郎に近付くものは誰一人としていなかった。
学校でも、赤司の跡取りだからか、人魚の血筋なのか、理由は分からないが、遠巻きに様子を伺うものはいても話しかけるような人間は1人もいなかった。
決していじめられていた訳ではない。ただ、腫れ物に触るような扱いを受けていたのは事実だ。
どこにいてもつくのは、「赤司」の名前。何度考えても自分は赤司の人間で、避けられない事実だ。
いつまでもオレはひとりなのか。
無意識のうちにその事実が酸素不足を起こしたようになって、くらりとした。