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□王と仔犬
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「・・・、・・・く・!」
誰かの声がする。
その声はとても焦っていて、早く起きなくてはいけないのに目が開かない。体も動かない。
どんどん体が冷たくなっていくのが分かる。
今日はWC最終日で、
そうだ、オレは負けたんだ。
バスケは唯一の自由だと思っていた。だけど「赤司家」に囚われていたのは僕自身だ。
囚われていた、だから僕は負けたんだ。
これは僕が間違っていたのだと認めざるを得ない。多分僕は待っていたのだろう。
あれ、オレはだれだっけ?
体が自分のもので無いような気がする。指先から爪先から氷のような冷たさが這い上がってくる。
ああ、僕は僕だ。変だな、頭がぼんやりしていてすっきりしない。
おかしいな、僕は猫又だ。
蛟や蛇の目のような変温動物では無いのだから寒さは平気な筈だ。
体が動かない。
どちらにせよ、負けてしまったのだからあの父親の言う通り、もうバスケはできない。
中学の頃、自分は何処かで独りでは無い気がしていた。結局は独りだったのだけど。
そうだ、オレは独りで戦ってきたんだ。
ただ、結果は事実として無情にも否定する。これが現実なのだと。
バスケは好きだったのかと言われれば疑問だ。ただ、あの父親に反抗したかったから始めただけなのかもしれない。自分の力を試すだけならばなんでも良かった。
それにゲームは嫌いじゃない。
駒を進めるように相手の出方を読んで、こちらは勝つための戦略を練る。
赤司家の人間として、負けは許されざることだ。負けは、死を意味する。だから勝つことこそ当然なのだ。
学問や運動で成績を修めても、それは当然の事であって誉められるようなことでもない。
だけど、僕は初めて負けた。
悲しくも、悔しくも無かった
何も感じなかった、筈だった。
母が僕を見ることが無くても、
父が僕を認めることはなくても、
僕が愛されていなかったとしても、
何とも思わなかった筈だ。
自分にとって家族はそういったものでしかなかったし、僕は赤司家の跡取りとして必要不可欠な人間に違いない。
だから問題はなかった。
その筈なのに。
こんなにも、辛くて寂しい「オレ」は一体・・・
「あ、かし君?」
温かい。
誰だろう。
懐かしい匂いがする。
優しいクッキーのような甘い香り。
昔、
ああ、誰がそれをくれたんだっけ。
「赤司くん!?」
ぼんやりとした茶色の影。
視界には見覚えのあるその顔でいっぱいだった。
「!」
「だ、だ、だいじょうぶ!?きゅっ、救急車!救急車呼んだほうがいいよね!えっと、えっと」
目の前の彼はとても焦っていて、思わず彼の手を掴んでしまった。その手には携帯電話、救急車なんて呼ばれたらたまったものじゃない。
腕をつかんだ瞬間、彼の肩はびくりと揺れた。
「あ、いや、大丈夫だ。少し気を失っただけだろう。」
不覚だ、こんな所で気を失ってしまうなんて。
「で、でも」
ロッカールームから出て、すぐの廊下だった。 チームメイトや、元チームメイトのあいつらにこんな姿を見つかってしまうよりはよっぽどマシだと思った。
心配そうな淡い茶色の瞳が目にとまる。
彼は確か、
「君は、誠凛の・・・」
「っ、ひゃいっ!」
今度ははっきりと彼の顔が見えた。こいつはただの猿人だ。良かった、弱っている所を斑類に見られたら何が起こるか想像に容易い。
でも、その返事に思わず笑ってしまった。
「大丈夫、大したことじゃない。」
「あ、で、でもさ」
彼の顔は本当に心配そうだった。誰かに心配されたのも久しぶりな気がした。
「ありがとう、僕は・・」
もう行くよ、そう言いかけて立ち上がるとくらり、と目の前が暗転する。
倒れかかった僕の体を支えたのは彼だった。
「やっぱり病院とかに・・・」
薄茶の瞳に覗き込まれて、大丈夫だと言ってはいけないような、心配させるのは悪いような気がした。