遣らずの雨
□遣らずの雨5
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ぼんやりと見上げる空は、今は茜に染まっている。
ひゅるりと入り込んできた熱い風が、髪を揺らした。
それがまるで、高杉の手のようだと、茜の空を見ながら思った。
首に伸ばされた手は、いとも容易く私の首を掴んだ。
首に圧が掛かり、息が止まる。
血液が脳に逆流するような感覚。
まただ。
また、あの真っ黒な世界へ落とされる。
やっぱり
−−まだ、死にたくない。
必死に酸素を取り込もうと喘ぐ。
けれど入ってくるものは無く、ただ開いた口からは唾液が零れていくのが分かる。
それはまるで血液のように生温かい。
高杉の腕を外そうと、その腕を掴んだ。
びくともしない腕は、細いくせにしっかりとした筋肉が付いている。
そうだ、この男は見た目の割に力はある。
そうで無ければ攘夷戦争など生き延びられなかったはずだ。
きつく閉じていた目を開けると、表情の無い高杉の顔。
目の奥には真っ黒な感情。
でも、見てしまった。
そのさらに奥にあるものを。
そう言えばこの男の目を真っ直ぐに見たのは初めてだ。
徐々に黒く染まっていく思考は、それを理解した瞬間に抵抗するのを辞めた。
理解して、思ってしまったのだ。
この男に殺されるのなら、良いかもしれないと−−・・・
真っ直ぐに高杉の目を見たまま、力を抜く。
一瞬驚いたように目を見開いた高杉は、次の瞬間、確かに笑った。
そうして首に込められていた力が急に消えた。
一気に入ってくる酸素に、肺が痙攣したように酷く咳き込む。
血の巡る音がする。
軽く耳鳴りのする鼓膜には、くつくつと笑う高杉の声。
力を抜いてなお、私の首に掛かったままの手は、ゆっくりと首筋を滑り落ちる。
咳き込み頽れる体を、高杉は支えるように抱いた。
ぐたりと力の抜けた体を、そのままゆっくりと床へ横たえ。
こぼれ落ちた涙は高杉に舐め取られる。
まだ酸素を欲する唇を塞がれて、苦しくて、でも心地良い。
温かくて柔らかな、噛みちぎりたいと思った舌。
それが私の舌を絡め取る。
2度目の死は、訪れなかった。
肌を滑る手は、冷たいようで、熱い。
されるがままに翻弄されて、堕ちる場所はどこなのだろう。
分からず、ただ熱を受け入れる。
息を乱す高杉が、このまま息絶えてしまえばいいと。
そう願っているはずなのに、受け入れてしまうのは何故なのか。
それはこの男の、奥の奥にある、きっと本人さえ自覚していないようなもの。
知ってしまったらもう、私はこの男を受け入れてしまうしかない。
頭の片隅でそう理解しながらも、その感情を上手く飲み込むことが出来ない。
だから私はただ、静かに目を閉じる−−。
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