浅夢物語
□深海に咲く花の一片
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冷たい、身をさすような空気。
空はまだ霞がかり、薄菫色の空。
白い息を吐いて、身仕度をする。
懐かしい、あの、袴に。
袖はひんやりとわたしの腕を受け入れ、徐々に温かくなる。
いつ以来だろうか。
あぁ、彼を追って、函館に行く前か。
あれから、何年経ったのだろう。もう随分経った気がする。
日付の感覚すら、失われていった。
それほどに、彼の死は、受け入れ難かった。
分かっていたことと、分かることは違った。
羅刹に身を落とし、削られていくその命。
何人もの羅刹の最期を見、彼もいつかはこうなる運命(サダメ)であるとは、分かっていた。
けれど。
この孤独や焦燥感、行き場の無いこの想いも、どうすることも出来なかった。
彼の死を受け入れるなんて、出来なかった。
家を抜け、暗い小道を歩く。ひたすらに。
白ばむ空に、足を速める。
ザ────……ン
ザザ────……ン
静かに満ち退く波。
黒い波は、水平線の向こうから、白くなり始めていた。
そっと波に入ると、感覚を失うほどの冷たさ。
痛みさえも感じる。
この痛みは、海の水か、それとも、彼を失った時の痛みか。
それも、もうおしまい。
深く、深く、進んでいく。
「井上さん…」
「山崎さん…」
「永倉さん…」
「原田さん…」
「近藤さん…」
「沖田さん…」
「斎藤さん…」
「山南さん…」
「平助君…」
今、いきます。
必ず、また逢えますよね。
その時には───…
「土方さ──…」
深海に咲く花の一片
(掠れゆく世界は、泡が陽を浴びてあの花弁のように)
了