原作長編
□見えない涙 ―迷走―
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約束の日、オレの誕生日から数日、オレもカカシ先生もお互い別の任務に就いていて、結局あれから一度も顔を合わせていない。
プライベートで会うような仲でもないし、師弟を超えたこの関係だって、実際にはカカシ先生の気まぐれで会ったり会わなかったりと、いつも不定期だ。
こういうと言い方が悪いかもしれないけど、カカシ先生はヤりたい時にオレの部屋に来る。
まあ、大体前もって声は掛けられるけど、それでも唐突に、例えば任務帰り、特にランクの高い難しい任務の後なんかにいきなり現れたかと思うと、寝ているオレを平気で叩き起こしてことに及ぶ、なんてことも稀にあった。
抗議や抵抗はするものの、それでも本気で拒絶できないのは、惚れた弱み、ってヤツだ。
例えカカシ先生にとってただの性の捌け口だったとしても、オレはこの関係を終わらせることなんか出来ない。
好きだから。
好きになってもらえなくても、どんなに酷いことをされても、オレはカカシ先生が好きで、大好きで、
諦めたくても諦められない、忍道にもなっているこの性格に、今じゃ頭を悩ませてるくらいだ。
バカなオレがいくら頭を使ったってまともな答えなんて出てくる筈もないんだけど…
(……あの人のところに、行ったんだよな…?)
思い浮かぶのは先日の光景。
こっそり聞いた会話の内容から、彼女ではないとはすぐに分かった。
そのことに正直ほっとしたけど、だけど、それ以上に胸が苦しくなった。
(あの女の人も、オレと同じ……)
オレは無意識に自分の体に腕を回した。
ギュッと体に力を入れると、下半身がズキっと痛んだ。
あの日抱かれた後遺症なんてもうとっくに完治している筈なのに、体の奥がズキズキ痛む。
「痛いのは、慣れてるはずなんだけどな…」
自然と手を伸ばした先は、腰のポーチ。
忍具だけではなく、医療用品も入っている。
その中に、他の物とは違い、まだあまり汚れていない新品同様の白い小さなポーチが入っていた。
「あ……、サクラちゃんから貰った最新の医療セットだってば」
あの日、カカシ先生に会う前にサクラちゃんと会ったことなどすっかり忘れていたオレは、次の日、任務を終えて帰宅する途中にいきなり呼び止められ、これを渡された時には、オレってば怪我なんかしてないってばよ?と思わず怪訝な顔をしてしまった。
もちろん、殴られたのは言うまでもない。
本気ではなかったにしろ、それなりに痛んだ頬を擦りながら投げられた医療ポーチを受け取ると、サクラちゃんは少しすまなそうにゴメン、と謝った。
『あはは、ついついいつもの癖で殴っちゃった』
『じゃねーってばよ!』
『ごめんって!』
『オレってば殴られ損…?』
癖で殴られるって、オレってば一体何なの?とか、なんか悲しくなってきて、じんわり目尻に涙を溜めて太陽に輝くピンク色を見上げた。
『もー、いつまでもウジウジ言ってないの!それより、それ』
『ん…?だからなんだってばよ?これ』
『最新の医療セットに、あたしが少し改良したの。ナルトは治癒が早いからそれに応じて必要ないものは減らして、その分最適なものを追加しといたのよ』
『え………?』
『だーかーら!それ、誕生日プレゼント!』
『……あ!』
『あんた、今思い出した、って顔ね…』
『アハハ……』
呆れ顔をするサクラちゃんに誤魔化すように苦笑してから、オレは手の中のプレゼントを見つめた。
『一日遅れちゃったけど、誕生日おめでとう』
『ありがと…ってばよ、サクラちゃん』
『どーいたしまして』
ちょっとだけ照れた様に笑ったサクラちゃんの眩しい笑顔に、オレは何だか照れくさくなった。
それと同時に少し悲しくもなった。
(誕生日、おめでとう……、か)
一番言って欲しかった人に、言ってもらえなかった祝いの言葉。
別に誕生日にそこまで拘っているわけじゃない。
寧ろ九尾のこともあって、オレは自分の誕生日にいい思い出なんかほとんどなかった。
それに、今更祝ってもらって素直に喜べる年齢でもない。
(なんて、いくら思っても自分の気持ちには嘘はつけねえから厄介なんだってばよ)
本当は一番に祝ってもらいたかった。
おめでとう、って言われたかった。
カカシ先生の口から、その言葉を聞きたかった。
(もう、すんごい苦しいんだってば…)
師から上司になって、でも、もっと近付きたくて、告白して、玉砕したけど体だけは受け入れてもらえて―――
前より近くなった距離に、苦しいながらも満たされていた自分に吐き気がしてくる。
カカシ先生が、いつか自分に心を許してくれるんじゃないか、好きになってくれるんじゃないか。
そう期待していた。
そう願ってた。
だって、例え体だけでもオレを受け入れてくれたから。
でも、そうじゃなかった。
実際にはカカシ先生には他にもセフレが何人かいて、それで、オレもその中の一人で…
オレだけが特別だと、先生に一番近いと思っていたのに、そうじゃなかったんだ。
「いい加減、終わりにしなきゃな…」
想像はしていた。
いつか先生のこと諦めなきゃならなくなる日が来ることを。
いくら諦めないド根性を持ち合わせていたところで、これは俺自身だけの問題じゃない。
どんなに頑張ったって、努力したって、敵わないこともある。
そんなことは嫌というほど経験してきたし、分かっていた筈だった。
だけど、カカシ先生と関係を結んでからというもの、ただ嬉しさと息苦しさの日々に振り回されていくうちに、それは頭の片隅へと追いやられ…
気付いたら、こんなにも大きな根を張り巡らせていて、
深く、深く、引き剥がすには大変な程の規模で侵食していて…
「最初から、分かってたはずだったのに…」
ギュッと、痛む胸を耐える様に鷲掴み、目をきつく瞑った。
最初から、分かっていた。
分かっていたのに、それに気付かないフリをして段々と深みに嵌っていった。
そうして、
気付いた時には、もう、引き返せないところまで来てしまっていた。
本当はもっと早く、
こんなに苦しくなる前に手放すべきだったんだ。
なのに、ズルズルとここまで引き摺ってしまったのは醜い自分―――
「…ほんと、オレってば、バカだ……」
半分空気の混ざった掠れた声が喉から吐き出された。
見つめた先の窓には銀色に輝く月がいつものように一人ぼっちのオレを照らし出す。
その銀色があまりにも綺麗で…
ゆっくりとぼやけ出した視界を解消するために、目元をゴシゴシと擦ったが、一向に視界は晴れなかった。
次の日、オレはカカシ先生の家を訪ねた。
カカシ先生とそういう関係になってから初めて訪れる先生の家。
基本受け身だったオレは、カカシ先生から求められることが殆どで、よって、オレを抱くために先生がオレの家に来る、というのが毎回だったから。
それに、上司が部下の家を訪ねても、部下が上司の家を訪ねるのは、変だろ?
偶になら不審じゃないかもしれないが、それでも周りに少しの不信感も与えないようにするには、オレがカカシ先生のところに行くより、気配の消し方が上手いカカシ先生がオレの家に来た方が安全なんだって、それも暗黙の了解みたいなものだった。
「カカシせんせー」
呼び鈴を押したと同時に小さな声でカカシ先生を呼んでみた。
その声が震えていたのは、オレから訪ねて来てしまった緊張の為。
これから告げる内容に後悔している所為ではない、と自分に言い聞かせ、グッと拳を握り締めた。
「………どーしたのよ」
「っ……」
暫くして、音もなく扉が開かれ、中からラフな格好をしたカカシ先生が顔を出した。
いつもより若干低めの声で、眉を寄せ、オレを上から見下ろすその表情は、何故来たのか、と問い掛けていた。
「あの、さ。オレってばカカシせんせーに話があって……」
元々任務が入っていない日を選んで今日にしたし、先生が家で休んでいるのは仙人モードで予め感知していたが、想像していたより不機嫌を隠そうともしない先生に、オレは少し控えめに声を出した。
「……話って?」
額当ても口布もしていない先生の顔が、更に険しくなる。
オレは気押されして挫けそうになる心に喝を入れると、引き攣っていた顔に笑顔をつくった。
「取り敢えず、上がってもいいか…?」
「……どうぞ」
「お邪魔します、ってば」
スッと体を引いたカカシ先生に促されるようにドアを潜ったオレは、靴を脱ぐとそのまま先生の部屋へ直行した。
その後をゆっくりとカカシ先生が無言で着いてくる。
射抜くような視線を背中で受け止めながら、オレは震える体を叱咤し、部屋の中に入ると落ち着かせる為に一つ深呼吸をした。
そして、意を決し、くるりと背後を振り返った。
「…で、話って何よ?」
入り口のところで壁に凭れ掛かり、腕を組んでこちらを怪訝な顔で見つめているカカシ先生が、促すように口にした。
あまりの威圧感に、覚悟していた気持ちがぐらりと揺れる。
「あ…、その…」
「言っとくけど、俺はまだあの日のこと怒ってるんだからね」
「え……?」
てっきり、訪ねてきたことに対して不機嫌になっていたのだと思っていたオレは、見当違いのことを言われ、唖然とオッドアイを見返した。
「約束を破られて、怒らない方が可笑しいでしょ?それにお前謝りもしないじゃない」
「そ、それは…」
「言い訳はどうだっていい」
「っ…!」
冷たく言い捨てられ、反射的に拳を握り締める。
「夕飯作れ、とか言っといて、なに?お前俺をバカにしてるの?」
「なっ…!」
あまりの言われように、オレはカッとなってカカシ先生を睨み付けた。
「バカにしてるのは、そっちだってば!」
「はぁ?」
抑えなきゃ、と思うのに、オレの口はまるで言うことを聞かない。
今まで溜めてきた分、堰が外れると脆いのかもしれないな、なんてどこか他人事のように頭の片隅で客観的にそう思ったが、だが、だからといって一度溢れてしまったものをまた元の入れ物に戻すなんて芸当、オレに出来る筈もなく…
「オレのこと、なんだと思ってるんだよ!」
「何って…」
「オレってば、センセーの都合のいい玩具じゃないんだ!」
「それ、セフレに不満があるってこと?この前も言ったけど、お前も承知の上でしょ?何をいまさら…」
「やめる」
「え…?」
「オレってば、カカシせんせーとのセフレ、もうやめるってば!」
捲し立てる様に一気に吐き出していた。