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□追憶に描いたものは、
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それは、まだ子供の頃の話。







昼飯を済ませ、一軒の家へと駆け出す。
縁側にその人の姿を見つけるやいなや、縁側に駆け寄った。
「あねうえ」
そう呼べば、その人はいつも優しく微笑んでおれの名を呼んでくれた。



その人は、近くに一人で住んでいた。
身体が弱く、外で見かけた事はほとんどなかった。

絶世の美女という訳ではない。
だがその人は、おれにとっては理想の女性そのものだった。
おれはその人を姉のように慕い、その人もまたおれを弟のように可愛がってくれた。
血の繋がりがあった訳ではない。
それでも、この人といるのはとても心地よかった。










昔話をしましょうか、と、ある時彼女が言った。



「……私がまだ奉公に出ていた時、奉公先が浪士に襲われた事があってね」


その時たまたま通りかかったある浪人が、浪士を成敗してくれたのだという。
浪士との切り合いで怪我を負った侍の手当てをしながら礼を述べると、その浪人はこう言った。




『私は己の信ずるものに従ったまで。我らが弱者を守るのは当然の事……故に、礼を言われるような事はしてはおりません』




そしてその浪人は、怪我の手当ての礼を述べると、名も明かさずにそのまま立ち去ったのだという。





「…浪人ではあったけれど、あの人は"誠の武士"だったと、私は思うの」
「……"まことの武士"、ですか?」
えぇ、と彼女は言った。
「誠の志を持ち、己の信ずる誠に従う………そんな人こそ、真の"誠の武士"だと、私は思うの」
「………おれには、無理ですね」
ポツリと言った。
無意識に、自分の左手に目が行く。
「……おれは、左利きです。道場へ行っても、いつも真っ先に左利きであることを注意されます。それに左利きの武士など、聞いたことがありません。そんなおれが"まことの武士"など…」
「…左利きだから"誠の武士"にはなれない、と?」
彼女の言葉に、黙って頷く。
「………"誠の武士"であることと、右利きか左利きかは何の関係もないわ」
「……なにゆえ、ですか」
すると彼女は、近くに落ちていた木の枝を拾って、地面に"誠"と書いた。
「誠という字には、"戈(ほこ)"という字が入っているでしょう?戈は、使い方によっては弱者を守る武器にもなり、誰かに危害を加える凶器にもなる。戈をいかに使うかは、使い手次第。それは例え身分が高くても低くても、右利きでも左利きでも同じことよ」
「……よく、分かりません」
「そうね…でも、後できっと分かる日が来るわ」
そう言って、彼女はいつものように優しく笑っていた。





それから彼女は何度か"誠の武士"のことを話してくれた。
彼女の話に耳を傾けているうち、"誠の武士"という言葉はおれの頭の中に焼き付いていた。
なにゆえ彼女が、おれのような子供にそんな話をしてくれたのか───












───その意図を知ったのは、彼女が病に倒れて息を引き取る数ヵ月後のことだった。





















その日は、みぞれが降っていた。


家を飛び出し、傘もささずに彼女の家へと走る。
彼女の家に着くと、縁側の奥の部屋の襖が開いていた。
襖の間から、布団に横たわる彼女の姿が見えた。
思わず彼女の側に駆け寄る。

「───っ、あねうえ!!」
布団に横たわる彼女が、僅かにおれの方に顔を傾けた。
「はじ、め……?」
「あねうえ…っ」
彼女の細い手が、指が、おれの頬と髪に触れる。
みぞれで濡れて冷たいおれ以上に、彼女の手は冷たかった。
「こんなに濡れて…風邪をひいてしまっては、元も子もないでしょう?」
あぁ、この人は。
こんな時でさえも、残酷なほどに優しいのだ。
思わず、目から涙が溢れだす。
「あね、うえ……っ」
「…泣いては駄目よ」
彼女の指が、目元に触れる。
「………一」
優しい声が、おれの名を呼んだ。
「……あなたなら」
彼女の澄んだ瞳が、おれの姿を捉える。
「あなたならば、きっと"誠の武士"になれる」
「…まこと、の?」
聞き慣れた言葉に、思わず反応する。
彼女は、おれの手を握って言った。

「……あなたは、優しい子だから。きっと、弱者の為に"誠の戈"を使うことができるはず…」
おれの手を握る彼女の手に、力がこもる。
「…その姿を…この目で見ることができないのは、とても残念だけれど」
それでも、と彼女は続けた。
「……私は、あなたにならできると…そう信じていますよ」
「あねうえ…」

おれは彼女の手を握り返して、言った。






「………誓います、あねうえ。必ず…あねうえが思い描く"まことの武士"になってみせます」






刹那、彼女の目から一筋の涙が流れた。





「……ありがとう」





それが─────彼女の、最期の言葉だった。



























「─────一君?」
名前を呼ぶ声に、急に意識を戻される。
気がつくと、浅葱色の羽織を着た平助が俺の顔を覗きこんでいた。
「どうかしたのか?全然反応ないから、何かあったのかと思ったんだけど」
「…すまない、少し考え事をしていた」
「……一君が考え事?」
そう言って平助は、まじまじと俺の顔を見た。
「………何故そんなに俺の顔を見る?」
「いや……珍しいと思ってさ、一君が巡察中に他の事考えるなんて」
「……そう、だな。すまない、平助」
「…ま、別にいいけどさ」
そう言うと平助は、先に歩き出した。



─────白昼夢だろうか?
それにしては、懐かしい夢を見たものだ。
彼女の夢を見たのなど、彼女が亡くなってまもない頃以来だ。





「おーい一君、早くしないと置いてくからなー」
「……すまない、今行く」




ふと、空を見上げた。




『………一』




懐かしい彼女の声が、聞こえた気がした。






『あなたならば、きっと"誠の武士"になれる』






「(────姉上)」



俺は─────貴女が思い描いた"誠の武士"に、なれているのだろうか。









追憶に描いたものは、
(それは確かなものとなって)





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