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寡黙と憂鬱に咲く[4]
1.
地獄の快感を知った後では、それが欠落した日々も、また地獄だった。
「いいのかよ…」
銀八の代替えを探していた。
自分の歪んだ性癖を友人には知られたくなかったが、銀八と醜穢な関係を断ってからは、どうでもよくなってきた。
いつでも抱いてくれそうな男。
大学で同じ学科。選択科目もほとんど被っている土方十四郎を、高杉は選んだ。
彼は何度か、高杉に気があるような言動を取ったことがあり、彼なら誘えば、必ずのってくると思ったからだ。
家に土方を呼び、ベッドに座るように言った後、その前でいきなり服を脱いだ。
土方は暫し蝉の目玉になっていたが、
「お前にそんな趣味があったなんてな…」
育ちの良さを思わせる美麗な面が、淫鬼に変わる瞬間を想像し、痺れたのだろう。
躊躇の文字はかき消され、高杉の裸を抱きしめ、ベッドに組み敷いた。
「お前、刺青を?」
「ん…」
土方の舌が胸を這いまわる。蜘蛛の餌食となった蝶を、少しずつ嬲るようにだ。
さらに空いた手は、太腿に巻きつく大蛇を可愛がった。
「あ…あんっ」
「乳首、感じんのか?」
「感、じる…」
言った後、ねっとりと舌で掃きあげられ、腰が浮いた。
「やべえ…すげえ興奮するわ」
土方は年相応の欲望の持ち主だった。
初めてではないようだが、ぎこちない手つきを見ると、遊び慣れているわけでもなさそうだ。
「こっちも、たくさん触って…」
じれったく思い、これは自分が教育してやらねば、と、高杉は自ら股を開き、土方の手を導いた。
裏の孔を指でなぞらせると、土方は高杉の行動に圧倒されながらも、激しく欲情して、
荒々しい指遣いで、高杉のそこを犯した。
「あっ、あっ!あぁ、んっ」
「すっげ、濡れちまってる…お前のこの中」
あの男なら、これでもかというほどの、もっと品のない言い方で、罵倒してくる。
あれほど身体が変調する交尾は、未だかつてなかった。
あの男が不倫者であろうが、凶悪犯であろうが、逃がした魚は大きいようだ。
「見ろよ…も、こんな…」
高杉は屹立した自身の性棒を、人差し指で撫でてみせ、甘く睨みつける。
土方は驚愕の眼差しで目を見張った。
あの高杉がここまで性に貪欲な人間だったとは。
それに、こんなに邪の炎をゆらゆらと灯した目は、見たことがない。
心臓の中心部を揺り動かされ、土方は高杉の主張にしゃぶりついた。
「ああっ、く…はぁ…っ」
仄かな快感、とでも言っておこうか。
お前はその程度かと、高杉は喘ぐ一方で、冷静な心の目で、この友人を蔑視していた。
土方が悪いわけではない。自分の身体が、見苦しいほど贅沢なのだ。
一番の性感帯を刺激され続ければ吐精は叶うが、高杉の欲望は一寸も満たされない。
「っ…、早く、突っ込んでよっ」
思わず喘ぎ混じりの声を荒げる。高杉はいつになく苛ついていた。
自分で高めるしかなかった。
快楽を得るための、こんな苦しい努力は必要か?
煽られ、耐え兼ねた土方の上反った物は、高杉の心中を察することもなく、その体内に侵入する。
「ああ―っ」
高杉は大げさに叫んだ。この時は、不満足な内の声をかき消すために、だ。
どくどくと性の塊をぶちまけて、土方は高杉の上に倒れ、愛しげに唇を吸った。
つまらないな、と高杉は上の空で口づけを受け止めていた。
2.
髪の根元の、茶黒い繁みが目立ってきたので、通いの美容室に、高杉は足を運んだ。
高杉の髪は元々“赤毛”だったが、高校の頃から、さらに明るいトーンに染め、
今では1カ月に一度は、手直しに行っていた。
「晋助殿、髪型は如何様に?」
セっクスの相手に困らないよう、高杉は自分の見た目に関しては、譲歩しない性質だった。
美容室のトップスタイリストを、必ず指名していた。名は、河上万斉。
評判の通り、その腕は確かだったが、『侍風の口調』が本人の流行りらしく、
恰好もサングラスに黒いコート、しかもヘッドホンを常につけているという、
かなりの変人ぶりも、聞いた通りだった。
だが自分は、常識人よりも、多少変人のほうが、安心する性質らしく、この美容室に来てからは、
この男以外、指名しなかった。
「いつもの色」
「今の髪色が、気に入っているようでござるな。飽きぬか?」
美容師にとって、客は実験台。カリスマほど、客の髪の毛をいじくり回したくなるようだ。
「拙者としては、晋助殿は黒髪が似合うと思うのだが…」
「今の色より?」
「今の色は晋助殿に、確かにぴったりでござる」
鏡を見ながら、髪に触れてくる。
「ただ黒髪のほうが、晋助殿らしい気がする」
トーンダウンと言っても、真っ黒にすることには抵抗があった。
簡単に首を縦に振ることは出来なかったが、この河上万斉がそう言うのだ。
「黒髪にしたら、もっと抱きたくなる?」
高杉は河上の耳元に、声を落として囁く。
以前に一度だけ、この男とも、関係を持っていた。
この男のセっクスも、どちらかと言えば特異で、嫌らしさがあって好きだったが、
一度きりにしたのは、客と美容師、という関係を断ちたくなかったからだ。
河上万斉も頭のいい男で、そのへんは割り切っている。
「たまらんでござろうな…」
髪束を指先で撫で、彼は微笑む。高杉も笑って、任せた。
アシスタントに暗号で伝え終えると、シャンプー台に移るように言ったあと、
「今日は拙者が洗い流して差し上げよう」と笑うので、高杉は驚いた。
彼に流してもらうのは初回以来だ。
「今日は客も少ない故」
「珍しいな」
「それに…」
高杉をシャンプー台に寝かせ、頭を支えると、バシャバシャと湯をかけてきた。
「いつになく、浮かない顔をしてる故」
「え?」
元気づけてやろうと思った、という。
「好いた人でも、出来たでござるか?」
いきなり何を言い出すのかと、高杉はひっくり返りそうになり、「馬鹿かお前は」と彼を睨みつけると、
いささか可笑しそうに、
「冗談でござる。晋助はそんな甘ったるい感情は抱かない性質でござったな」
柑橘系のシャンプーを練り込んでいった。
一方で、高杉は目を閉じ、
「そんなんじゃねえけど…」
頭の隅で、銀髪の男を浮かべていた。
やっと身体の相性がいい相手に出会えたと思ったのに。ただ、それだけの話なんだ。
髪は、紅色を少し含ませた黒にしてもらった。
「太陽の光に当たると、妖しく輝く紅。晋助殿らしい」
自分の腕に酔い痴れているとしか思えない言葉だ。
だが、外に出てみて、ふとショーウィンドウに映った自分の姿を見、納得した。
服でも買いに行くか。そんな気分になった。
美容室の近くに先日、ショッピングモールが出来、テレビでも話題になっていたのを思い出す。
オープンしてからまだ1週間。さすがに平日でも混雑していて、じっくり服を見れる環境ではなかった。
「わ、あの人」
若い女の声が聞こえ、振り返ると、4、5人の女子高生集団が、こちらを見てはしゃいでいる。
「綺麗な黒髪」と一人が言う。高杉と目が合うと、そそくさと彼女らはいなくなった。
「お、あの子やばっ」
今度は男の声だ。また振り向くと、同い年くらいの男二人が、じろじろ高杉を見据えている。
一人が「声をかけよう」と言うが、もう一人に「お前じゃだめだ、相手にされない」と頭を叩かれた。
河上万斉に礼を言う。
3.
新しいニット帽が欲しくて何店舗か回ったが、気に入ったのが見つからず、結局ダメージデニムを一着購入し、
そのまま帰るつもりだった。
その時、コンコースのど真ん中で、小さな女の子が泣きながら、高杉にぶつかってきた。
そのまま転び、余計泣いてしまった。
「だ、大丈夫…?」
自分に非はないが、妙な罪悪感に駆られて、高杉は膝を折り、娘に話しかける。
娘は鼻を鳴らして、高杉を見やると、また大声で泣き出すので、子供の扱い方が分からない高杉は、
しどろもどろになる。
「えっと、お母さんとかは…?」
「うええ、ひっく、ひっく…」
「お父さんは…?」
「ひっく、ひっく…」
「ひとりで来たとかじゃ、ないよな?」
「ひっく、ひっく…」
「………」
誰か助けてくれないか、と高杉は周囲に視線を投げるか、皆見て見ぬふりで、苦笑するだけだった。
俺に何とかしろと言うのか、この子供を。
これだけ規模のある建物だ。迷子センターとかあるはずだ、と自分の胸を叩いて、
娘を抱っこしようとするが、
「パパ…」
ふと、娘がこぼした言葉に、動作を止める。
「パパ、と一緒に来たのか?」
「うん…」
漸く会話になった、とほっと息をつく。
「クレープかってくるって…」
「どこの?」
「わかんない…」
「何処で待っててとか、言われなかったか?」
「いわれた…」
おそらく、戻りが遅いから不安になってその場所を離れた。結果、迷子だ。
子供の頃、自分もそういう感情を抱いたことはあるから、分からなくもない。
「じゃあ、そこに戻ろうか。もしかしたら、パパはそこで待ってるかも…」
「パパ、そこにいるの…?」
「…いや、わかんないけど」
子供って怖いな、と思った。
とりあえず抱っこしてやろうと両手を差し出すと、娘は不安げにしながらも、
高杉の胸の中に収まった。
「よっ、と…」
子供を抱くなど、滅多にない経験だ。
娘が示す方向へ進んだ。しかしこの人嵐で、見も知らぬ父親を探し出せるのだろうか。
「パパって、どんな人?」
「パパ…やさしい…」
「いや、じゃなくて…見た目。髪型とか、服とか」
「かみのけは…」
目的の場所に着く。
暫く周辺を回っていると、途端、高杉は目を見張る。
一人だけ血相を変えて、足早に歩きまわり、きょろきょろしている長身の男がいた。
「まっしろなの」
あ、と高杉は声をあげた。彼は両手に、クレープを持っていた。
その後、娘が急に顔をぱっと明るくさせ、
「パパ!!」
その呼び声に、彼は振り返った。
高杉は呼吸を忘れる。娘が下ろしてくれ、と言わんばかりに腕の中で暴れ始める。
彼は娘の存在に気付いたようで(高杉には気づかなかったようだが)、強張った表情を綻ばせた。
「パパーっ」
高杉がしゃがむと、娘は高杉の腕から離れ、父親のもとに駆け寄る。
彼はそんな娘を泣きそうな顔で迎え、しゃがんで、クレープを一つ、娘に渡すと、ひしとその小さな身体を抱きしめた。
そんな父と子の絆が、高杉の目には眩しく映った。
だが、よかった、と素直に喜べないのは、なぜだろうか。
「あのお兄ちゃんが、つれてきてくれたの!」
子供の声はびっくりするほど、はっきりしていて、大きい。
娘の指先に従い、視線をこちらに向ける父親。
彼は高杉の姿を捉えると、その目を大きく開かせ、さっと立ち上がった。
人が、急にはけて行く。
高杉も、驚きを隠しきれなかった。まさか、こんな場所で。
目を奪われたままでいると、彼が娘を抱きあげ、その足で近づいてきた。
「よ…」
軽い調子だったが、心の動揺が、彼の表情と声音でも明らかだった。
どう反応すればよいか分からず、高杉は視線を床に投げた。
「ありがとな…」
照れ臭そうに言うので、顔をあげると、そこには高杉の知らない、優しい表情があった。
「その子…」
「ああ、俺の娘…」
「そうだったんだ…」
何だろう。何でこんなに。
それ以上何を話せばよいのか、分からない。
「髪、黒にしたんだな…」
「え、ああ…」
セっクスの時とは比べ物にならないほど、彼も落ち着きがなく、話題を探しているようだった。
「似合うぜ」
「ん、ありがと…」
嬉しい、と思った。
「お前、飯は?」
「え、まだだけど…」
「これ食ってから、メシ食いにいくけど、来るか?礼に奢ってやるよ」
思いもよらない誘いだったが、高杉は自分と銀八の関係と、銀八とその家族の関係を天秤にかけてみて、
それはいけない、と思い、かぶりを振る。
「子供が可哀そうだ」
「どうして」
自分と銀八の娘が、一緒にいること自体が罪なのだ。
「お前、“ああいうこと”平気でする割には、案外真面目だな」
「………」
自分も、それに対して、こうだから、という説明はつけられない。
「無理には誘わねえよ」
よし、食いに行くぞ、と娘に言い、そのまま背を向けてしまう。
せっかく会えたのに…と思うが、高杉も黙したまま、踵を返す。
「パパ、あのお兄ちゃんといっしょにたべたい!」
突発的だった。
びっくりして振り返ると、銀八に抱かれている娘がこちらにひらひら手を振り、
「お兄ちゃん、いっしょにたべよ!いっしょにたべよ!」
銀八も娘の反応には驚いていた。
「お前に懐いちまったみたいだ」と苦笑し、
「娘の頼みだ。聞いてくれねえか?」
「でも…」
「女房はいねえから安心しろよ」
自分は、銀八の家族にとって、あってはならない存在なのに。
「おにいちゃんってば!」
「え、はい?」
子供の怒鳴り声に、つい、返事をしてしまった。
二人がクレープを完食後、モール内のレストランに連れて行かれた。
4.
「パパ、これもたべたい!」
「だーめ。デブになんぞ」
銀八と娘の日常を見た。
それをほのぼのと見守る高杉の胸には、片隅で灰色の影がたゆたっている。
「お前、何食う?」
「えっと…」
慌ててメニューを見る。小腹が減っている程度なので、そばでいい、と答える。
「じゃあ俺もそれにするわ」と銀八が言い、お子様ランチと、卸しそば二つを頼んだ。
暫くして、娘が鞄から、色えんぴつと、塗り絵のノートを取り出した。
彼女の今の、流行らしい。
「塗って!」
いきなり、高杉に差し出してきた。男が塗り絵なんて出来るかよ、と返しそうになったが、
「塗ってやって。喜ぶから」
そう言う銀八は、完全に父親の顔をしていた。
2対1。そんな感じだった。
絵の心得がないわけでもないが、慣れない手つきで、高杉は何たら美少女戦士のキャラクターの、色塗りをする羽目になった。
「ちがう!○○ちゃんはピンクの髪!」
「ご、ごめん…」
知るわけないだろ、と言ってやりたかったが、子供が相手ではそうもいかない。
銀八は傍で微笑ましそうにしている。こんな顔、するんだ。
「パパも塗って!」
四苦八苦して、高杉が漸く塗り終えると、今度は銀八に色鉛筆が行き渡る。
「よっしゃ、塗ってやる」
やはり子供のいる男は違う。こういうのも手慣れているようだ。
「あー!パパ、エっち!!」
そんな言葉が響き渡り、高杉はびくっとした。
見ると、銀八がピンクの色鉛筆でキャラクターの豊満な胸にぐりぐりと、円を描いている。
乳首を、勝手に描きくわえているのだ。
「おにいちゃん聞いて、うちのパパって、すっごくエっちなんだよ」
いや、よく知ってます。
というか、娘の前でもそういうの大っぴらにしているのか、と、高杉は銀八を軽蔑の眼差しで見やる。
「本当のことだもんね〜」
銀八は変な顔をして、娘と睨みあいをしている。
何処からどう見ても、平和な親子なのに。この二人が引き離される瞬間を想像した。
それだけは、哀しい気がする。
早めの夕飯を終え、3人でモールを出る。
このまま帰る雰囲気だったが、駅に向かう途中に、ホテル街に繋がる曲がり角を見つけ、
急に銀八が足を止める。
「お前、ちょっとここで待ってろ」
「え?」
呆気にとられると、銀八はそれまで手を繋いでいた娘を抱きあげて、
「女房が駅にいるから、こいつ届けてくる」
「え、ちょっと」
「いいから待ってろって」
ぴしっと言う銀八の目には、高杉のよく知る、あの暴れん坊の色魔が宿っていた。
「待って、まさか…」
この後に。
それ以上のことは、銀八に睨まれて、言えなかった。
小さくなっていく銀八と、銀八の娘の姿を見送ると、罪悪感と同じ速度で、高杉を揺さぶってくる、
醜い、本能。
これではまるで、不倫だ。
銀八に家族があると知りながら、自分は、銀八の身体をこうして、今か今かと待ち望んでいる。
結局、銀八が駅から戻ってくるまで、自分はそこに、立ち尽くしていた。
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