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□君のためだと言わせて
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先生と別れたのは2月も終わりに差し掛かる頃だった。
志望校に何とか合格した僕はそのことを伝えに久しぶりに登校をして。
国語科準備室でそのことを告げた。
すると先生はいつものように覇気のない表情で煙草を燻らせながら、
「なぁ志村。俺達さ、やっぱり別れたほうがいいと思うよな?」
と口にしたのだ。
僕は訳がわからなくて、
別れたほうがいい理由なんてひとつも思い浮かばなくて、
けれどそれは僕が子供で先生が大人だからかもしれなくて、
恋愛初心者な僕がただわからないだけなのかもしれなくて、
「そう……ですね」
ただ一言そう返してしまった。

こうして僕たちの関係は呆気なく終わり、
何もできないままに高校を卒業して僕は大学生になった。
あれから半年−−−−−




「相変わらず汚い部屋ですね」
「うるせー。俺から見たらちゃんと整理整頓されてんだよ」
9月も半ばに差し掛かった日の午後。
僕は母校の国語科準備室に居た。
放課後の部活の声に懐かしさを感じつつ、自分が私服で校内に居ることに違和感を感じる。
そして、先生。
卒業以来初めて会った先生は変わらずにくたびれた白衣と安いサンダルにボサボサ銀髪と眼鏡。
僕の心は時間の経過も関係なしに情けなく収縮している。


「コーヒーでいい?」
「あ、お構いなく」
落ち着かずにソファの上でモジモジしてたら先生が声をかけてきた。
コーヒーなんて……ここに通い詰めてた頃は一度も煎れてくれなかったのに。
まるで「来賓者」への対応だな……。
「ほい」
「すみません」
先生は僕にコーヒーを渡した後にソファと対角の位置にある作業机の椅子に腰掛けた。
「………砂糖と牛乳入れすぎ」
「バカヤロー、これが俺流のおもてなしです!」
おそらく先生も今飲んでるであろうコーヒーはもはやコーヒーじゃない。
コーヒー牛乳……いや、比率的に牛乳コーヒーだ。
相変わらずの甘党っぷりに少しだけ笑う。
でも身体に悪いよな。
今は………あの頃の僕のように先生を叱ってくれる人とかいるのかな。



「で、例の資料は?」
「っああ!はい。これです。すみません、忙しいところ時間作って貰っちゃって」
「別に……今はたいして忙しくはないけど。ん」
先生から本題を振られて僕は慌ててトートバッグからA4サイズの封筒を取り出した。
それを手渡すと先生はコーヒーを啜りながらそれを取り出す。
そこには僕が通う大学のパンフレット。
「これをまぁテキトーに進路指導室の目立つとこに置いときゃいいのね」
「はい。お手数かけます」
「おめーもこんなんの為にご苦労様だな」
「ゼミの教授に頼まれちゃって……」
そう、今日僕は自分の大学のパンフレットを渡すためにやってきたのだ。
少子化のご時世、中の上レベルの僕の大学は新入生確保が命題で。
ゼミの教授にパンフレットだけでも渡してきてほしいと頼まれてしまったのだ。
郵送すればいいのに……と言ったら「実際に通う先輩がキャンパスライフを伝えつつ宣伝することに意味がある!」なんてもっともらしいこと言われちゃしょうがない。
それに、


(なんだかんだで先生に会えたし………)


マグカップに口を付けながら横目で先生を盗み見る。
「死んだ魚の目」そのままに先生はパンフレットをパラパラとめくっている。
その瞳が、僕と2人きりのときだけ時たま優しく細められるのが……好きだったな。
じわり、視界が揺らぐ。
慌ててコーヒーに意識を集中した。


別れてから半年。
僕はまだ当たり前のように先生が好きだ。
そもそも僕にとっては何の前触れもなかった別れ話。
先生は僕に先生を嫌いになる時間もくれなかった。


「大学、どーよ?」
先生はパンフレットをめくる手を休めずに問う。
僕は涙声にならないように少しだけ息を長く吐いて答えた。
「楽しいですよ?」
嘘じゃない。
ずっと学びたかった専攻だから講義は楽しい。
ゼミの教授も熱心で楽しい人だし。
奨学金で通ってるからバイトも大変だけど新しい友達もできた。
だから、とても充実してるんだ。
「そら良かった」
「………はい」
だけど
やっぱり
先生が足りない。


またぐにゃぐにゃと視界が歪む。
零れ落ちそうになる水分を塞き止めようと殊更ゆっくりと深呼吸した。
気を紛らわそうと部屋を見渡してみる。
僕が居た頃とあまり変わらない、汚くて埃っぽくて、だけど何故か居心地がいい空間。


そういえば
告白をしたのも
初めてキスをしたのも
喧嘩をしたのも
仲直りしたのも
みんなみんなこの場所だったな


(ダメだ………!)


想いとは裏腹にどんどんと楽しかった記憶が蘇る。
内緒で夜中に校舎に侵入してみたことや
毎日お昼ご飯を一緒に食べてたこと
抱きしめられた瞬間香る煙草の匂いとか
先生の指が僕の頬を滑る感覚とか
…………ねぇ、先生


「………っ、で……?」
「志村?」
「なんで……僕たち、……別れなくちゃ……いけなかったんですか……?」
歪みきった視界は決壊した水分と一緒に秩序ある世界を壊す。
ついに僕は踏み込んでしまった。
怖がっていた、あの日の答えに。
「ねぇ……せんせ……?」
マグカップをテーブルに置いて先生を見つめる。
自分でも驚くくらい涙が流れているけど今は構っていられない。
膜を張った視界には、パンフレットを握ったまま僕を見つめる先生。
その顔は苦しそうに歪んでいた。
「志村……俺、お前はもっと聞き分けがある空気が読めるヤツだと思ってたわ」
「っ、そんなの!先生の買い被りですっ!」
「お前だってあの時そうですねって言ったじゃねーか」
「そ、れ……は………せ、先生は……僕のこと、き、嫌いにな、ったんですか……?」


思わず俯いてしまう。
真正面を向いて答えを聴けるほど僕は勇敢じゃない。
膝の上でジーンズを握りしめる拳はカタカタと震えていた。
「…………」
「…………!」
ギシリとソファの左側が軋む。
先生が座った気配がする。
「嫌いになんかなってねーよ」
嫌いじゃない
その言葉が僕の心臓を温める
けれど
「………じゃあ、じゃあ……なんで………?」
ならば尚更僕たちは今こんなになってるの?
やっぱり僕にはわからない。
「………それはお前のためだから」
「え……?」
顔を上げると隣には悲しそうに眉を寄せた先生。
「お前の、お前の……未来のためなんだよ……」
「何?わけわかんな、」
「お前大学楽しいんだろ?」
「………はい」
「そういうことだよ。
……お前にはこれから無数に選び取れる未来がある。高校なんて、それの通過点に過ぎないんだ」
「……先生?」
「お前が広い世界に出て、いつか俺が足枷になる日が来る………一回り近く離れた同性の恋人、なんてお前の未来には必要ないんだよ」
「………そん、な」
「わかっただろ?はい、だからこの話はおしまい」


そんな
そんなの
僕のため?
こんな現実が僕のためだって言うの?


「………先生、僕……半年で、4kg痩せたんです……」
「………、」
「どん、どんなに、毎日…楽し、く……過ごしても……やっぱり夜に、なるとダメで……ずっとずっと、思い出すんです……先生のこと」
「し、むら……」
「初めて会った日のこととか、体育祭で一緒に仮装……した、こと、とか!……ぅっ、……お弁当に甘い、甘い卵焼き入れると……喜んでくれた、こととか……!」
「………あぁ」
再び俯いて涙をぼたぼた零しながら、喘ぎながら僕は叫ぶように言葉を繋ぐ。
「……あの、あの頃のこと……一晩中……わすれ、られなくて……食欲なんて……湧かなくて……
せんせ………これが、僕の……ためなの……?」

顔を上げて先生を見つめる。
先生は何も答えない。
ただ、苦しそうに息を吐くだけだ。
「僕の……僕のためだって言うなら!
どんなに辛くても……悲しいことばかりだとしても……一緒に居る未来を選んでください……
僕、やっぱり先生が大好きなんです……離れたくなる日なんて、来るわけないから!
……僕を、選んで?先生……」


鬱血しそうに固く震える両腕。
ジーンズを握ったままの左手に、ふいに先生の右手が添えられた。
「せ、んせ……ぃ?」
「ずっと……一緒に居たいの……?」
「はい……」
途端に腕を引っ張られて、僕は先生に抱き込められる。
「いいのか……?ここで、拒絶しないと一生離してやれねーぞ」
「……っ、せんせ……」
「嫌だっつっても邪魔だっつっても地の果てまで追いかけちまうぞ」
「……いい、ですっ!いいから……ずっと一緒に居られるなら……それだけで僕は……んっ!」
性急に重ねられた唇。
2人の眼鏡ががちゃがちゃと音を立てている。
先生………
「俺だって……ずっと志村のことが……好きだよ……これからも、ずっと」


耳元で囁かれた言葉
僕も先生の力に負けないくらいに先生を抱きしめた。
先生?
どうせ僕ら人間、いつかは死ぬんです。
だから『恋の終わり』なんて、生きてる限り僕らには必要ありません。
どんな未来だって先生が居ればきっと、僕はずっと幸せなんだから。





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