s.short-story

□終わりと始まり
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悔しさと悲しさの混じったような声が、霧野の耳に木霊した。
目の前に居る彼の嗚咽は止まりそうも無い。
理由は全て知っていた。

「神童…」

手を伸ばして、一瞬躊躇う。
自分が神童に何を言えばいいというのだろう?

失恋の痛みなんて慰めようも無いことを、自分が一番知っているのに。

先刻、霧野の家に雨に濡れた神童が訪ねてきた。
尋常じゃないその表情を察するのは容易いことで、何も言わず霧野は神童を自分の部屋へと招き入れたのだ。

それからずっと泣いている幼馴染は、自分が今まで思っていた以上に弱々しく…。
霧野は彼の名前を呼んであげることしか出来ない。

――何で、お前を傷つけた奴のことを想って泣くんだよ…。

頭に過ぎる本心は全て、神童を傷つけた相手への憎悪だった。

――何でお前が泣かなくちゃいけないんだ。

未だ髪から滴る雫が神童の肩を濡らしている。
その姿をただ呆然と見ていると自分まで泣きそうになってきた。

以前、何度も何度も繰り返した言葉が今になって蘇る。

『何で俺じゃなかったんだ…?』

声に出さずに訊ねても返事は無い。
幼馴染は恋愛対象外なのだとしたら、自分の気持ちは一体どうすれば報われるのだろう。

「神童…」

霧野は平然を装って再び彼の名前を呼んだ。
神童に渡したタオルは、滴る雨水ではなく涙で濡れている。

「風邪引くから、ちゃんと髪も拭いて」

力なく握られていたタオルを抜き取って髪にかぶせる。髪を拭き終わる頃には、神童の呼吸は落ち着いていた。

「すまない…」

細い声でようやく神童が声を発した。

「気にするな」

そう言って頭を撫でると、神童は腫れた目を細くして微笑んだ。

その様子を確認すると、霧野は胸を捕まれたように苦しくなり眉を顰めた。
自分の中で何かが限界なのだと悟る。

「どうしたんだ、霧野…」

神童の声がぼんやりと反響して視界が霞んだ途端、霧野は自分が泣いている事に気がついた。
呼吸も絶え絶えに仰向けに倒れると、訳が分からなくなって両手で顔を覆った。

「霧野、具合悪かったのか…?」

自分の上で心配そうに神童が覗き込んでいる。そう思うと、霧野は神童を抱き寄せずにいられなかった。

「わっ…!」

突然伸びてきた霧野の腕に、バランスを崩した神童は霧野の上に倒れる。

「神童…神童…」

壊れたように繰り返し彼の名前を呼ぶ。

「霧野…」

「好きだったんだ…ずっと」

堪えることが出来ず発した言葉に、自分の上で息を呑む神童の声が聞こえた。

「俺、神童が好きだったんだ…」

そう言って抱きしめる手に力がこもる。
神童の首筋に顔を埋めて霧野はごめんと呟いた。

「ずっと、神童の恋人が羨ましかった…。だから今の神童見てたら、色々と思い出して…」

もう一度ごめんと謝る霧野に、神童は少し逡巡したが、決心したように体を離すと倒れている霧野を起こして抱き寄せた。

「気づけなくて、すまなかった霧野…」

まだ情緒不安定にも関わらず、神童が霧野を抱きしめる動作はとても力強い。
咄嗟のことに思考が追いつかず瞠目した自分に、神童は優しく頬笑んだ。

「本当にありがとう…」

思わず抱き返して霧野は静かに頷く。
幸福な気持ちに包まれて、霧野は自分を縛っていた鎖が千切れたような気がした。

「また一から一緒に…」

紡いだ言葉に、霧野の止まっていた時間が動き出して、二人の物語は始まった。
 

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