short-story

□未完成な世界で…
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日が暮れ始めた夕方の喫茶店。
野いちごのケーキを注文した蘭丸はカステラを既に食べ終え最後に残った一粒の野いちごをつまらなそうにフォークで弄っている。

一方で神童はコーヒーを半分も残したまま蘭丸の様子をただ無言で眺めていた。
橙に染まった光が店内を照らす。そこに彼ら以外の客はいない。

しばらくは二人の沈黙がその場を漂っていたが、やがて野いちごを弄ることさえ飽きた蘭丸が口を開いた。

「俺のことずっと見ていて飽きないのか?」

「全然、飽きないさ」

自然と合った視線を愛しむように緩く目を細めた神童が答える。
その言葉が最初から定められた決まり台詞のようだと蘭丸は小さく自嘲した。

神童はそんな蘭丸の心境をつゆも知らず、まるで幼い子どもが自分の大切な宝物を見るように恍惚とした表情を浮かべている。

つまりはそういうことだ。

神童にとって霧野蘭丸とは、愛玩動物のようなものとしてここに存在している。
この喫茶店に蘭丸を連れ出したのもきっと、こうして食べる姿を眺めて愛でるために違いなかった。

カチカチと白い皿を鳴らしていたフォークを野いちごに押し付ける。
ぷつりと小さな音が立ち、そこから真っ赤な果汁が弾け、滲むように広がった。
すこし甘い香りがした。

「いちごは嫌いなのか?」

神童がコーヒーカップを手に取り訊ねる。一口分をコクリと喉を鳴らして飲み込むと、左手をいちごが乗った皿へと伸ばす。

その手があと僅かでいちごに触れるその瞬間に蘭丸はフォークで神童の行動を遮った。
野いちごと左手の間に割り込んだフォークを見て小さく驚いた様子の神童だったが、その表情はすぐに別のものへと変化した。

「好きだよ。甘酸っぱくて真っ赤に熟れた野いちご」

そう言うとフォークを持たない左手で、蘭丸はパクリと潰れた野いちごを口に放り込んだ。指についた果汁をわざとらしく舐めて笑ってみせる。
そして、ひじをついて神童に顔を近づけると蘭丸は果汁と同じ真っ赤な唇をそうっと重ねた。

それはただ軽く触れるだけのものだったが、何よりも甘い味がした。
移った赤色を舐めた神童はまたも惚れ惚れとした表情で微笑む。

「俺も好きだよ」

神童はコーヒーを飲み干した。
蘭丸はその言葉に含まれる真意をそっと深く静かに見つめていたのだった。



まだ、未完成な世界で…。

 

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