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□誰だって大人になる 2
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放課後の化学準備室、「失礼します」って部屋に入って、後ろ手で鍵を閉めた俺を咎めることなく水谷先生は「西日が眩しいね」って、窓際まで歩いて行ってカーテンを引いた。

ほんの少し暗くなった室内でふふっと共犯者めいた微笑みを交わす。


「部活は?」

「今日はミーティングだけだったからもう終わったよ」

「そっか……」

「しばらくここに居てもいい?」


今さらながら訊くと、「もちろん」とふにゃんと笑って答えてくれた。


あ、今の笑顔、好き。

俺が傍にいるの、嬉しい?

俺も水谷先生の傍にいると、嬉しくて笑顔になるよ。


「ちょうど休憩しよう思ってたんだ。栄口、コーヒー飲む?」

「はい……」


コーヒーはちょっと苦手だけど、せっかく入れてくれるって言うんだから、ありがたく頷いた。


「座って待っててね」って、パイプ椅子を広げてくれる。

ポンと置かれたミッキーマウスがプリントされた座布団は、いつの間にか俺のために備えておいてくれたもの。

パイプ椅子に座るときのあのヒヤっとした感じが軽減されて、椅子に腰かけると先生の優しさに触れたみたいで胸がほわんと温かくなる。と同時に、俺以外の誰かをここに座らせないでって思う。

ーー独占欲ってヤツだ。だって、水谷先生は泉先生ほどじゃないけど、女生徒から人気がある。ーー先生らしくないってのが人気の第一の理由だけど。

気軽に声をかけやすい水谷先生が、廊下で女の子に囲まれてるのを俺は何度も見ている。でも、そのたびに先生は離れたところにいる俺に気づいて、安心させるように笑ってくれる。俺が好きなのは栄口だよって。


先生がドリップコーヒーのアルミパックを破いてポットのお湯を注ぐとと、コーヒーの香りが漂い始めた。


うん、いい香り。

コーヒーの香りは好きなんだけど、後に残るあのほろ苦さがダメなんだよなぁ。

ミルク、たくさん入れてくださいって言ったら、まだまだ子どもだなって思われちゃうかな。


「はい、どうぞ」


コトン、と机の上に置かれた厚みのある白いマグカップ。

ドーナツ屋さんでポイント貯めたらもらえるヤツだ。

先生、生クリーム系のドーナツ好きって言ってたもんね。


今度、一緒にドーナツ食べに行きませか?


……誘ってみたいなぁ、なんて思いながらマグカップに手を伸ばす。


「いただきます」


カップの中に視線を落とすと、入っていたのはコーヒーより優しい色の液体。


「カフェオレ?」

「ここ、冷蔵庫ないから牛乳じゃなくてコーヒーフレッシュだけどね、3つ入れたよ。あと、角砂糖一個ね」


うわ、俺がコーヒー苦手なのバレてた?

そりゃあ、阿部みたいにブラックで飲んだりはできないけど、コーヒーも飲めない子どもじゃないのに。コーヒーフレッシュ3つって。


心が固くなりかけたとき、「栄口……」って声と共に、ふわっと温かい手の平が頭のてっぺんに乗せられた。


「それはね、俺が好きでよく飲むんだ。だから、栄口にも飲んでほしいなぁって思って。口に合わなかったら残してくれてかまわないから、飲んでみて?」


先生の穏やかな声に心が解れていく。

いただきます、ともう一度言って、両手でマグカップを包み込むようにして飲んだカフェオレは、ちょうどいい温度で、甘くてまぁるい味がした。


大人になるっていうのはきっと、苦いコーヒーを飲めるとかじゃなくて、さりげなく気遣いができるってことなんだろう。


「美味しいよ、先生。俺この味好き」


良かった、って笑う先生が好き。


「先生は飲まないの?」って訊いてから気がついた、このマグカップは先生の愛用のもので……、この部屋にはカップが一つしかないってことに。


「ご、ごめんなさい。先生のマグカップ取っちゃって」


慌ててカフェオレを飲み干そうとした俺を先生が優しく制した。


「ゆっくり飲んで。俺は後でいいから」

「でも……」


先生を差し置いて自分だけ、なんて。

「栄口はいい子だね」

「いい子だなんて…そんな言い方しないでください」


ただでさえ、自分が子どもなんだって思い知らされてるのに。


「可愛いよ、って意味で言ったんだよ」


不意討ちに頬が染まる。


先生の栗色の目がほんのちょっと細くなって、手の中のマグカップが取り上げられる。



「栄口、カフェオレの美味しい飲み方知ってる?」



水谷先生の膝の上で横抱きにされて、


口移しで飲ませてもらうカフェオレは、


美味しすぎて目眩がした。


ねぇ、先生。


もっとちょうだい。


首に手を回してお願いすると、


先生はもう一口、


俺の喉に甘い液体を流し込んでくれた。



先生が飲ませてくれるカフェオレは、どうしてこんなに美味しくて、俺をふわふわといい気持ちにさせるの。


「せんせぇ……すき」



もう一度唇を触れあわせたとき、ガチャガチャとドアを開けようとする音がした。


うっとりと閉じていた目を開く。

水谷先生の長い指が唇に当てられる。

「静かに」ってことだろう。


大丈夫、ちゃんと鍵かけたから。

にこりと笑おうとして、息を飲んだ。



鍵をかけたはずのドアノブが回って、ゆっくりと扉が開くのを、俺と水谷先生は硬直して見ていることしかできなかったーー。


 
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