short・ 阿栄
□約束の果て
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なんだよ、それ、と阿部が訊いてきた。
二人きり部室は、静かでひんやりとした夜気に包まれている。
何でもないよ、と俺は答えた。
ーー安心させるような、ふわっと包み込むような笑顔つきで。
「誤魔化すな」
眉間にシワを寄せた阿部に一歩詰め寄られた。
顔、怖いって。そんな迫ってこないでくれよ。
「別に誤魔化してないし。ホントに何でもないことだから」
笑顔を取り消して、肩をすくめて見せた。
なんでかな、阿部には俺の笑顔は効かないんだ。
「何でもないって、コレのどこがっ」
掴まれた手首に4、5本走る、朱い傷痕。
「や、だってもう傷塞がってるし、普通に野球してただろ、俺」
「お前…、これ、自分で……」
「俺以外の誰が俺の手首切るんだよ。ーーも、離して。阿部、力入れすぎ、痛い」
阿部の手から力が抜けて離れていく……思ったら、そっと指先で傷痕を撫でられた。
「……痛かっただろ?……なんでこんな、ーーお前、死にてぇの?」
黒い瞳に宿る光が怒りから、戸惑いと哀しみに変わってーー揺れている。
「……死にたいとかじゃなくてさ」
手首にカッターナイフの刃を当てて、ゆっくりと引く。
じわっと滲み出て、たらたらと流れていく赤い液体。
ああ、俺生きてるんだなって。
生きていてもいいんだなって思える瞬間。
「たぶんーー、阿部には分かんないよ」
「ーーンでだよ、分かんなくても、知りてぇよ、なんで、お前がこんなーー、俺ーー、嫌だ、お前が自分で自分を切るなんて」
涙声。
傷痕に触れた手が震えてる。
でも、なんか全然、阿部の声が響かなくて。
俺は阿部の手から自分の手を引き抜いた。
「プレイには支障がでないようにしてるから、大丈夫だよ」
「っ、そんなこと言ってんじゃ……!ーーお前、それいつからしてんだよ。これが初めてじゃねぇんだな」
「……そんなこと、阿部が知ってどうーすんのさ」
「答えろよ…っ」
何なんだよ、過保護にすんのは三橋だけでいいんだよ。
俺は一人でだって大丈夫。
「答えろよ、栄口っ」
ダン、と顔の横、壁を殴られて、一瞬ビクってなった自分にムカついた。
「うるさいなぁ。阿部に会うずっとずっと前からだよ。それでも俺、笑って野球してただろ。阿部に迷惑でもかけた?ほっとけよ、っ……」
いきなり抱き締められて息が止まるかと思った。
「あ、べ…!」
こいつは力加減というものを知らないのか。俺の骨を砕く気かよ。
「はなっせ」
同じ筋トレをしているはずなのに、阿部の腕の中から逃れられないのが悔しい。
目の前にある、真っ黒い髪から覗く耳にでも噛みついてやろうかと本気で思った。
「ごめん。ごめんな、栄口。俺、全然気づいてやれなくって。ずっとずっとお前一人にして……っ」