short・ 阿栄


□春はすぐそこ
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ひと風呂浴びて、何か飲もうと冷蔵庫に手をかけたところでテーブルの上の携帯電話が鳴った。


「へいへい、ちょっと待ってろっての」


水分補給が優先とミネラルウォーターをコップに注いで携帯を手に取って見ると、着信の相手は栄口だった。


「悪い、待たせたな」


すぐに出なかったことを詫びる俺の言葉に被さるように、


『どうしよう、阿部。どこにも豆がない!』


切羽詰まった栄口の声がした。





「えぇと、今、豆っつった?」

『うん。節分なのに豆がないんだ。
いつも行ってるスーパーになくて、チャリで行ける範囲のスーパーとコンビニ、全部回ってみたけど売り切れてて。
どうしよう、節分なのに豆がない』


大事なことなので二度言いました。って訳じゃないんだろうが、節分の豆がない、というのは栄口にとっては悲劇的なことのようだった。


(節分なのに豆がないというより、節分だからこそ売り切れてしまって店頭にないんだろうが)


時計を見るとあと数分で7時になるところだった。

部活が終わったが5時半。

それから着替えて部室を出ると雪が降り始めてて。

コンビニで肉まんでも食って帰らないかと誘ったら栄口は

「ごめん、今日はスーパーに予約していた恵方巻き取りに行って、豆買って帰らないといけないんだ」と先に帰っていった。



「お前っ、あれからずっと雪ン中、豆まきの豆探してチャリで走り回ってるのかよ!?」


思った以上にでけぇ声が出た。

夕御飯の支度をしていた母親が何事かと振り返る。


「タカ……」


ちっ。

「何でもない」と手を振ると、「もうすぐご飯できるからね」と暗に電話を切るように言われたのに気づかないふりをする。


『雪はもう降ってないし、流石にもう弟も豆まきって歳じゃないよ』


携帯から聞こえる栄口の声はさっきより落ち着いているみたいだった。

そうだ、よく考えてみろ。

たかだか豆だぞ。


「雪は降ってなくても、もう帰れ。風邪引くぞ。
節分の豆ってのは無病息災を祈願して食うもんだろーが」


その豆を探し回って風邪を引くなんてシャレになんねぇっての。


『そんな寒くないし、大丈夫。
それより阿部、どっか近くに節分の豆売ってそうなお店知らない?』

「知らねぇよ。俺、豆嫌いだし。節分とか興味ないし。
お前、人の言うこと聞いてないだろ。さっさと帰れっての」


あ、この言い方じゃダメだ、と途中で気づいた。栄口はニコニコ笑顔の割りに頑固なヤツなんだ。


「早く帰らないと家族が心配してるぞ」


もう一度、時計を見る。7時をとっくに過ぎていた。


「弟だって腹を減らして待ってンじゃねぇの?」


栄口を落とすにはまず外堀から埋めて行かないと。


「早く恵方巻き持って帰って食べさせてやれよ。
そんだけ探したんだ、豆がなくったって、誰も怒りもしねぇし、ガッカリもしねぇよ」


なるべく優しく、心持ちゆっくりと話す。


素直に俺言うこと聞けっての。


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