long・水栄
□仮初めの恋人 5
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1組を覗くと、栄口は自分の席についてスマホを弄ってた。
机の上に紙コップ。
「栄口、喉の調子はどう?」
声を書けると、にこりと笑って、紙コップを手に取った。『これ飲んでるから心配しないで』ってことなんだろう。
「巣山から聞いたよ。朝コンビニで買った喉飴も舐めてる?」
コクリとうなずいて、時計を指差した。
『もうすぐチャイムなるよ』と言いたいのだろう。
……なんか、けっこう意思の疎通ができてるな。
「うん、もう行くよ。……あ、ねぇ、栄口、今日の体育は休んでね」
横に振られようとする首を止めるため、俺は栄口の両頬をすっぽりと両手で包み込んだ。
手の平に感じる栄口の熱。きっとこの手の下に栄口の血が集中して赤くなっているに違いない。
みんながいる教室でこんなことされて、栄口が焦っているのが分かる。
「は な せ よ」と、声の出ない口が動かされた。
「体育は見学して?栄口が心配なんだ」
頬から手を離して、もう一度目を見て言う。
「ごめんね」
俺のせいでって言うと、ぶんぶんと首が横に振られた。
体育を休むことを了承した栄口に「またね」と手を振って教室へと戻る。
俺のせいでなかったら、
誰のせいなんだ。
俺を呼ぶ栄口の声を奪ったのは。
「みは…しっ」
栄口以外の名を呼んだ、
阿部の声こそ、
奪われてしまえば良かったんだ。
あの日、部室に忘れた課題のプリントを取りに行ったのは、運命のいたずらだったのか。
鍵の閉まったドアに諦めて引き返せば良かったのに、なんで数センチ開いた窓から漏れる光りに気づいてしまったんだ。
覗き込んだ窓から見えた重なり合う人影。
よく知っているはず二人の顔が、初めて見る知らない人のようだった。
阿部の前に屈んで、舌を這わす栄口の小さな顔も、
快楽を堪えようと眉間にシワを寄せる阿部の顔も、
噛み締めた唇から洩れる阿部の声に、ふわっと笑った栄口の紅潮した顔も、
さらにくわえこまれて、欲望を吐き出す阿部の顔も、
俺の知らないものだった。
だけど、本当に知りたくなかったのは、
「みは…しっ」
これ以上ないほど傷ついた栄口が、
粉々に砕け散った心のまま、阿部に見せた微笑みーー。
神さまは残酷に綺麗なものを作り出す。
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