short・ 阿栄
□約束の果て
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例えば、
果てしなく続く時間の中、
どこにいったらいいのかも分からずに、
暗闇に独り置き去りにされた子どものように不安で不安で仕方がない夜、
自分の手首にカッターナイフの刃を当てて、発信する信号。
誰か助けて。
俺はここにいる。
でも、その信号を受け止めてくれる人はいなくて。
繰り返される行為。
刻む救援信号。
誰か気づいて。
けれど、こんな自分を知られたくなくてーー。
絶望に泣いてる自分を隠すために、笑う日々。
「なんで…………阿部が泣くのーー?」
同情とか憐れみならいらない。
「っ、お前が、泣けねぇから……変わりだ」
……別に阿部が泣いたからって、何が変わるわけでもないけど。
まぁ、気持ちだけは、ありがたく受け取っておくから、そろそろ離してくれないかな。
ーー着替えの途中だし、俺。
「阿部…、苦しいから……もう離して、ね?」
腕の力は多少緩まったけど、まだ阿部は俺を離そうとしない。
やわらかさの欠片もない男に抱き締められても嬉しくともなんともない。
辛うじて、阿部から流れてくる温もりが心地よいと言えなくもないけど、阿部の涙に濡れた肩が冷たくなってきた。
「ごめんね、心配かけて。ーーもうしないから」
ーーなんて、するけどね、また痕が消えた頃に。
阿部に見つからないように。
あぁ、めんどくさいなぁ。
「嘘、つくなよ」
見据えてくる瞳に舌打ちしたい気分になってきた。
どうして、阿部には俺の笑顔も嘘も通用しないんだ。
「お前、また切る気だろ」
「いいかげん離せって。俺が俺の体をどうしようが俺の勝手だろっ。阿部になんの関係があるっていうんだ!」
渾身の力を込めて、阿部の胸を拳で叩く。
くそっ。手が痛いじゃないか。
お前も少しは痛そうな顔をしろよ。
「っなせ、よ!この……」
お前が俺の求めていた誰かだなんて認めないからな。
「じゃあ、お前の体、俺のモンにする」
「は…、なに言って……、痛っ」
ぐいっと手の甲で涙を拭った阿部に、反論する間もなく床に引きずり倒された。
「人の持ちモン傷つけたり、壊したりできねーだろ、お前」
「ばっ、やめ、っ、なに言って…」
体重をかけて抵抗を封じながら、アンダーを剥ぎ取っていく阿部を思いきり蹴ってやろうとするのに、上手くヒットしない。
「はぁ、はっ」
息が切れたところで押さえつけられた左手首の傷痕に唇が寄せられた。
「頭の先から爪先まで俺のモンにする。もう髪の毛一筋も傷つけさせない。ーーお前自身にも、他の誰にも。俺が守る…!」
「や、だ……っ」
決して自分のものになることはないヤツのものになったってツラいだけだ。
けれど、俺の感情はひどくかき乱されてーー。
首を振ると涙がボロボロと溢れて頬を濡らした。
「だからーー、泣くな、栄口……」
俺が哀しくて泣いてるのか、嬉しくて泣いてるのかも分からないくせに。
なのに両手で頬を包まれて、沸き上がる幸福感にどうにかなってしまいそうな自分がいたーー。
「ふっ、じゃあ、阿部はーー俺だけを見て。俺以外の誰も自分のものにしようだなんて思わないでーー」
「……分かった。お前だけ、だ。約束する」
守れない約束をしてしまうのは阿部の悪い癖だ。
「約束破ったら、阿部の手首切らせてもらうよ?」
好きにしろ、って契約のようなキスをして、一度だけ体を繋いだーー。
あの日、阿部にこの体を明け渡して以来、自分を傷つけることはしていなかった。
だけど、今日ーー
"なら、俺、三年間怪我も病気もしねぇ"
酷いね、阿部は。三橋とも守れない約束してあげるんだ。
ーーーー違う。阿部は酷いヤツなんかじゃない。
俺は阿部のものだけど、阿部は俺のものじゃないんだから、誰とどんな約束をしたって自由なんだ。
最初から分かっていた事実に何故俺は絶望的な孤独を感じているんだ。
チキチキとカッターナイフの刃を出して、蛍光灯にかざして見た。
ああ、久しぶりだなぁ。
チキチキチキチキ刃を出しては引っ込める。
この音、懐かしいや。
『約束破ったら、阿部の手首切らせてもらうよ?』
できないことを言ったのは俺も同じーー。
「好きなヤツに刃を当てるなんてできるわけないって……」
自分の体を切るのとは訳が違う。
『頭の先から爪先まで俺のモンにする。もう髪の毛一筋も傷つけさせない。ーーお前自身にも、他の誰にも。俺が守る…!』
けれど、阿部は阿部自身からは俺を守ってはくれないのだ。
チキチキチキチキ、カッターナイフの刃を出して、ーーーー止める。
阿部はまだ俺のために泣いてくれるんだろうかーー。
* * *
阿部が泣いても何も変わらないとか、阿部の言葉が響かないとかいうのは必死に張ってる栄口くんの虚勢ですから。
実はこれベサカの日のために書いてたお話。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。