∽NOVELS∽

□早く起きた朝は
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シャコシャコと、小気味よい音が洗面所に響いている。
まだ頭に纏わりついている眠気を振り落とすように、徹平は勢いよく歯を磨いていた。
その軽やかな音に混じって、部屋の奥から、「ピピピ」と甲高い電子音が聞こえてくる。

―五回目か。これで最後やな。

徹平は口を漱ぎ、歯ブラシを定位置に戻して洗面所を出た。
電子音が、大きく鳴り響いている。
明け放ったドアの向こうに、ベッドに横になったまま動かぬ白いヒトの姿があった。
「瑛ちゃーん。」
タオルで口元を拭きながら、篭った声でそのヒトの名を呼ぶ。
しかし、けたたましく鳴り響く携帯電話のアラームが、その声を掻き消した。
徹平はベッドの脇に歩み寄り、瑛士を見下ろしながらもう一度言った。
「瑛ちゃーん。起きいや。」
アラームよりも大きな声。
それでも瑛士は、身動きひとつせずに緩みきった顔で眠っている。
「死んでんの?」
タオルを首にかけ、その端を両手で掴みながら、徹平は瑛士の顔を覗き込んだ。
ピクリとも動かないその白い顔は、まるで蝋人形のようだ。

―アホ面な蝋人形やな。

「瑛ちゃん?」
小刻みに鳴り続けていたアラームが、止まった。
微かに、整った呼吸が聞こえてくる。
どうやら瑛士はちゃんと生きているようだ。
「もう。」
徹平は呆れ顔で、瑛士の耳元に頭を寄せた。
「瑛ちゃん!!」
ビクン!と、瑛士の体が揺れた。
「ふ?」
瑛士は頭を少しだけ浮かせて、眼を開いた。
透き通った明るい緑の瞳が、当てもなく彷徨っている。
体を硬直させたまま首を小刻みにキョロキョロさせる瑛士を見て、鳥っぽいな、と徹平は思った。
「朝だよ。」
顔を寄せたまま、瑛士を睨みつける。
真横にあった徹平の顔に、やっと瑛士の視線が定まった。
そのまま、数秒動きが止まる。
「…あと5分。」
そう言うと、瑛士の頭が再び枕に落ちた。
「ダメ。もう携帯五回鳴った。スヌーズ全部おわり。」
「徹平起こして。」
瑛士ははだけた掛け布団をもう一度深々とかぶったが、徹平はすかさずそれを剥ぎ取った。
「だあめ。もう起きないと!今日は余裕もって起きたいって言ったの瑛ちゃんでしょ!」
そして瑛士の上に馬乗りになる。
瑛士は体を縮めて身悶えた。
「はあー、寒い、寒い。」
「寒くない。今日あったかいよ。」
「あと10分だけ。」
「増えてるやん!だめ!ほら、起きる!」
徹平は瑛士の両手首を掴み、無理やりグイッとひっぱりあげた。
力の入らぬまま上半身を起こした瑛士は、そのまま前方の徹平にもたれかかった。
それを抱きとめ、なんだかちょっと恥ずかしい体勢になって、徹平は少しだけ慌てた。
「起きた?立てる?」
「んー。」
けれど瑛士は相変わらず力が抜けたままで、体重を徹平に預けている。
その熱い体温がなんだか気持ちよくて、徹平は思わず両手を瑛士の背中に回した。
「ねえ、起きないの?」
「…。」
抱き合ったまま、瑛士は動かない。
「瑛ちゃん?」
心地いい重みに少しドキドキしていると、徹平の耳もとで、
…。
スー。
寝息が聞こえてきた。
「こらー。また寝るんかーい。」
気合の入らぬ突っ込みを入れつつ、徹平は瑛士の肩を掴んで体を引き離した。
「んあー。」
母親をとられた赤ん坊のように、瑛士が駄々をこねる。
「起きろっ!」
徹平は、瑛士の高くて形の整った鼻をギュッと強く摘んだ。
「ふ。痛い。痛いそれ。なんか、痛い。」
目を閉じたまま鼻を摘まれ、寝ぼけた口調でのろのろと手を振り回す。
「さっさと着替えて、顔洗う。歯磨く。」
「あい。」
やっと言うことを聞いた瑛士の鼻から手を放し、徹平は部屋を見渡した。
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