∽NOVELS∽

□ビター
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瑛士が缶から取り出したのは、茶色い不透明なドロップ。
「わ、懐かしい!一個しか入ってないんだよね、チョコ!」
「コーヒーだよ。」
「ええ、チョコやって。」
「コーヒー。」
「俺チョコがいい。」
「それ終わったらね。コーヒーだけど。」
「やった、チョコ。」
「だからお前はしゃべんなって。何回言わせんの。あとコーヒー。これも何回言わせんの。」
瑛士は手に取ったドロップを、埋もれないようにそっと缶に戻した。
しゃべるなと言われて、それと早くチョコ味のドロップが欲しくて、徹平は無言で小さくなっていくのど飴を舐め続けた。
しばらく歩いて、桜並木から外れて駅への近道に入った。
そこでやっと、徹平は小さく薄くなったのど飴を砕いて飲み込んだ。
「終わった!」
きらきらの笑顔で、瑛士に催促する。
瑛士は再び缶のふたを開けると、先ほどの茶色いドロップを取り出した。
そしてそれを、
…自分の口に放り込んだ。
「あ、ああ!」
目をまん丸にした徹平を無視し、瑛士は斜め上に視線をやりながら味わっている。
「んー、やっぱりコーヒーだわ。」
「ひでえ…。」
徹平はしょんぼりしながら、ドロップが消えた瑛士の口を見つめていた。
突然、瑛士がキョロキョロと周囲を見回した。
徹平も、なぜかつられて左右を見る。
何もない。誰も、いない。
不思議に思ってもう一度瑛士を見ると、その顔が、目の前にあった。
「!」
気づいた時には唇と唇が触れていた。
舌と一緒に、甘くてほろ苦いドロップが口の中に押し込まれた。
瑛士はすぐに顔を離すと、ニッと笑った。
「ね。コーヒーでしょ。」
「…ほんとだ。」
不意打ちについ口を開けたままだったけれど、舌の上にはコーヒーの味が広がっていた。それと、ほんの少し、レモンの味。
「おいしい。」
「よかったな。」
「うん。」
徹平はなんだかとても嬉しくなって、瑛士の手をとって歩き出した。
「うまい、コーヒー味。」
「よかったな。」
「もっとないの?」
「一個だけだよ。」
瑛士も微笑みながら徹平の手をキュッと握り、また肩を並べて歩く。
「今日お前遅いんだっけ。」
これから、別々の現場へと向かう。
「ううん、予定通りなら、今日中には終わるかな。」
「あんまり無理すんなよ。」
「うん。瑛ちゃんは?」
「俺多分お前より早いよ。あ、お前んち先帰ってていい?」
「うん、ええよ。明日オフやし。」
「じゃあ、お前帰ってきたら昨日のDVDの続き見ような。」
「うん、見る。」
また大通りに出たので、どちらからともなく手をそっと離した。
少しさびしかったけれど、幸せな気分だったから、我慢できた。






瑛士のくれたのど飴のおかげで、その日の撮影は何とか切り抜けられた。
演技もまずまずの出来。
予定時間は少しオーバーしたけれど、日付が変わる前にすべてのシーンを撮り終えることが出来た。
「お疲れ様でした!」
まったく疲れを見せない笑顔で、共演者やスタッフ一人一人に挨拶をする。
「お疲れさん。」
後ろから、頭をポン、とたたかれた。
振り向くと、一日ずっと一緒だった坂口憲二がそこにいた。
「お疲れ様です!」
「疲れてないねえ。」
「そんなことないです。」
「今日なんか調子よかったじゃん。」
「…ほんとですか!?」
「うん。よかったよ。」
初めてのドラマで共演した人。
今回はこれまでと違い年上の役者が多い中、主演の彼は徹平にとってとても心強い存在だった。その坂口に褒められ、徹平は少し浮かれた。
「あ、ありがとうございます!」
「さっきさ、みんなで話してたんだけど。」
「え?」
「今日この後、飲みに行こうかって。」
「…この後ですか?」
瑛士の顔が頭をよぎった。
「行かない?」

…こんな機会、そうそうない。
ちょっとだけ。ちょっとだけなら。

「行きます!」
「よし。」
坂口はもう一度軽く徹平の頭をたたいて、ほかの共演者を誘いにいった。
本当はすぐにでも帰りたかったのだけれど、今の自分には仕事はとても大切で、こんな付き合いも大事にしておかないといけない。

瑛ちゃん、怒るかな。

今頃瑛士は自分の家で、DVDをセットしながら帰りを待っているだろう。

『無理すんなよ』

瑛士の優しい声が頭の片隅で聞こえた。

ちょっとだけだから。

徹平はその声に胸の奥で答えて、楽屋へ向かった。
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