∽NOVELS∽

□雨と湯気と吐息の湿度(※)
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「あー、さっぱりした。」
体を一通り洗い流し、瑛士は顔をごしごしとさすりながら浴槽の徹平を見た。
徹平は膝を抱えてあごの辺りまで湯に浸かり、浮かない表情で水面を見つめている。
「…何だ。何で、ご機嫌ナナメ。」
チラ、と瞳だけ動かして、瑛士を見た。
「別に。」
また虚空に視線を戻す。
瑛士はそのまま深く問うことをせず、立ち上がって浴槽のへりに手をかけた。
「入っていい?」
答えを待たずに入ろうとする瑛士に対し、徹平は慌てて背を向けるように立ち上がった。
「じゃあ俺体洗う。」
「そうしろ。」
入れ違いで浴槽を出て、自分専用のボディタオルを手に取る。
瑛士は肩まで湯に浸かると、腕を縁に投げ出して目を閉じた。
徹平はしばらく、ボディシャンプーを出すのも忘れて、瑛士に見入ってしまった。格好はまるでつかれきった中年オヤジのようだけれど、その横顔は湯気のベールを纏って、より神秘的な美しさを醸し出している。
―きれいだな。
そしてなんだか、その白さがとても艶かしくて、なんだか、見てはいけないものを見ているような、キケンな気持ちになる。
胸が、うずうずする。
やっぱり、出るのを待ってからにすればよかった。
「…。」
少しの間見つめていたら、瑛士が視線に気づいて目を開けた。
むずがゆそうな顔。
「なんだよ。」
徹平は思わず目線を逸らし、慌ててディスペンサーを小刻みに押した。
「なんでもないよ。」
少し焦っている徹平を見て、瑛士はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。そして浴槽の湯を手ですくい、パシャリと徹平にかけた。
「…なんだよっ!」
「わあ!」
徹平が、目を押さえた。
そのまま動きが止まる。
瑛士が慌てて浴槽から身を乗り出した。
「え、どうした?」
「目に入った。」
「どれ。」
下半身は湯に浸かったまま、徹平の顔に手を添えて顔を近づける。
徹平が目を開いたとき、さっきまでヘンな気分で見つめていた美しい顔が目の前にあって、ドギマギしてしまった。
「もう、全部瑛ちゃんのせいや。」
つい、思ってもいないことが口から飛び出す。
「は?」
「雨降るし、勝手に風呂入ってるし、もう最悪やお前。」
「何でだよ。雨とか俺のせいにすんな。」
「雨男やん。」
「関係ねえよ。俺風呂入ってたし。」
「最悪や。」
顔に添えられた手を軽く払いのけ、徹平はごしごしと体を洗い始めた。
瑛士は宙に置き去りになった手を引っ込めたかと思うと、ザバッと音をたてて立ち上がった。
「じゃあ俺が背中流してやるよ。そしたら機嫌直せ。」
予想外の展開に、徹平は更に慌てた。
「ええ、何で?いいよ。」
「流してやるよ。」
「いいって。」
「…おとなしく、言うことを聞け!」
瑛士はすばやく浴槽から飛び出ると、徹平が手にしていたボディタオルを奪い取った。
「あ!」
「ほら、座れ。」
「いいって!」
「すわれよっ!」
瑛士は抵抗する徹平のわき腹に手を伸ばし、いたずらっぽい笑顔を浮かべながら何度も小突いた。
「うっひひ!いやや、いやあー!」
「洗わせろ!背中!ほら!」
「分かった、分かったからやめてえ!」
狭い浴室でばたばたと暴れたせいで、手やら足やらをいろんなところにぶつけた。
徹平は笑いを引きつらせたまま、大人しく小さな椅子に腰を落とした。
瑛士も洗面器をひっくり返して後ろに座り、徹平の背中をごしごしと洗い始める。
なんだか、くすぐったい。
もっと力入れてもいいのに。
背中全体が、びりびりと痺れるように熱くなっていくのを感じた。
…ヘンなの。
ふと鏡をみた。
曇っていて、何も見えない。映っていない。
よかった。
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