04*09

□あの時の小さな旋律を聞いていたなら、貴方は今、ココにはいないでしょう?
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「ポロロン、」
僕が好きな旋律は、今日もまた自分とは別の場所で奏でられているようだった。
どこかたどたどしく、とまり気味の、決して綺麗とは言いがたい戦慄は、いつも僕の耳に届いていて、僕の病に蝕まれている身体を、心を、休めるのに何故か最適だった。
「ダーン」
不協和音が響くのすら心地よく感じる。どこか不思議で、どこか美しいのだ。
すぐにまた、気を取り直したのか演奏が始まる。それを眠りながら、遠くの意識で聞いていた僕は心地いい旋律に乗せられて深い深い眠りに付いた。
 いつからだろう。それが聞けなくなったのは。
あの音をもう聞く事が出来ないのか。と思うと悲しいと言うより、どこか何かが抜けてしまった、そう。虚無感が僕の心を支配して、また病に身体を蝕まれた。
僕の体調は日ごとに悪化していった。このままではいけない。幼い頃の僕は思った。思ったけれど、どうする術もなくて、僕の身体は、心は、どんどん朽ち果てていった。
そんな現実から逃れたくて、僕は眠りに眠った。夢の中だけは楽になれるから。
 「ポロロン、」
 だから今も夢の中なんだ。
あの時から止まっていた音は、旋律は、もう流れてこない。今鳴り響く音は、全く違うものなのだ。
「ダーン」
例えいつものところで、間違えても、いつものところで音が外れても、絶対にあの音はもう蘇ってはくれない。夢の中だけなのだ。
もういっその事、覚めなければいいのに。覚めなければ、ずっとこの音を、旋律を、聞いていられるのに。
嗚呼。でも、もうすぐ意識が戻ってしまいそうだ。なんでだろうか。どこか温かい感じがする。
 「…ぃ…ぃ…ぉぃ…」
不思議だ。今まで、誰かに声をかけられた事もないのに。なんて幸せな夢だろう。
「おい…おい…」
だんだんと近づいて聞こえる声が、とてもくすぐったくて、心地よくて。まるであの時の旋律のようで。とても、とてもー……
「おい!!」

 現実に引き戻されるのが、こうも嫌でない時がくるとは思ってもみなかった。
目覚めて、一番最初に見たのが、とても綺麗な翡翠色の瞳だった。
驚くほど接近していた彼は更に僕に接近して、「大丈夫か!?」と聞いてきた。
 初めてだった。僕に呼びかける人を見るのを。
今まで、僕に呼びかけてくれる人なんていなかったから、一瞬、否、数秒止まってしまった。
「おい!?大丈夫か!?まだ気持ち悪いのか!?」
「………」
気持ち悪いか、と聞かれた。つまり僕は、彼が見ている間に気分が悪そうな態度を取ったと言う事だ。
もしかして、吐いてしまったのだろうか。だけど、僕の身体は何処も汚れてないし、口内も酸っぱくなかった。ではー…?
「息できるか?苦しくないか?!」
(息?)
翡翠の人は僕の肩を両手で掴んで、ワサワサと揺さぶってきた。
(息…あ、そういえば僕…息、できなくな、って…)
だけど今は普通に出来て苦しくない。僕は質問の答えとして、コクンと頷いた。
「そうか!よかった!!…あのさ、お前、ここの…ここに住んでる人か?」
翡翠の人は一安心したのか、揺さぶる手を止め、別の質問をする。そして僕は答える。コクン。そしたら、次にきたのは意外な質問。
「お前、何歳だ?」
分からなかった。勿論、僕は生きてる以上、歳はしっかり取っている。だけど、僕は自分の誕生日すら知らなかった。それを祝ってくれる人もいなかった。だから、その質問には答えられなくて、結局黙りこくってしまった。
「どうした?…と、順序間違ったからテンパッたわけな。悪い。俺は、不知火一樹。ここの近くの高校生だ。で、お前は?」
「…」
答えられないわけじゃなかった。記憶を掘り起こせば出てくるのだろうし、今まで一回も呼ばれた事がないとかでもないとも思った。だけど、呼ばれた思い出がないのも事実。だから、僕は自分の名前なんて分からない。
 この場に纏わり着くのが、本来の望みだ。と言わんばかりに再び舞い戻ってきた沈黙はただただ、この場に居座った。
(こういう時に何か言わないと…)
僕の脳裏に思い出したくないことが蘇る。
 
 「言いたい事があるのなら言って御覧なさい!!さあ、早く!!」
別に言いたい事があるわけではなかった。特に何もなかった。勝手に、そっちがー…
「やはりお前は気持ち悪い。もう二度と私達の前にその汚らわしい姿を現すな!!」
言いたい事はここでできた。だけど、もう、その時には目の前の存在はいなくなっていて。探そうとしたけど、怖くて下を向いていて足元しか見てなかったから顔で探す事は不可能で。結局、言葉なんか一つも出さずに開いての一人が合点で終わらされた。
(言葉なんて、あっても無駄だ。)
その頃から僕は話す事、言葉を発する事を止めた。
どうせ伝わらないのなら。初めからしない方がマシだ。無駄な努力は疲れるだけ。
 「なあ?お前さ…」
次に続く言葉を聞くのが怖くて、きゅっと目を瞑る。
「朗話者って…やつか?」
(え?)
予想外の言葉に僕は呆然とした。
でも、そう思われておけば、名前などを言わなくても別に変に思われない。
少しだけ、僕のずるがしこい脳は回転する。
コクンと恐る恐る頷くと彼は、そうか。と言って、少し目線を下に向けた。
「悪かったな。…じゃあさ、あと一つ。お前親はいる?」
予想外だった。まさか、それを聞かれるとは。何故そんな事を聞くのかと思い、僕は動揺する。
だが、それを隠すように瞬時に僕は取り繕ったような、言ってしまえば、その場しのぎの笑みを貼り付け、彼を騙そうと試みた。が、その努力は【無】と化した。
「一人…なのか…?」
彼の口から発せられた言葉は【孤独】を意味する単語。
僕の最も嫌う僕自身を意味していて―…
「っ…」
違う、違う、僕は、僕は…―――!!

 人間、反射神経がどれほど優れていようとも、今まで一度も経験した事がない事を、したりされたりすると、現状が全く分からなくなる事がある。
 まさにこれがそうだった。

 ふわりと広がる不思議な香りが僕の身体を包み込み、先程までは鬱陶しいだけの風が、今はとても心地よく、僕等に向けて吹かれる。
ベッドから見ても僕より確実に健康そうな肉付きをしたからだが今は僕と密着していて―――…
(え…?)
初めて人に抱きつかれた。
抱きつくという行為の存在は知っていたけれど、されたことなど一度もなくて。何も分からなくて。
「…ごめん…」
(え?今、なんて…?)
わけのわからない状態は結局続いていて。僕はやっぱりどうする事もできなくて。
そのまま、抱きつかれたまま時は経過していった。

どのくらいそうしていただろうか。
長いような短いような、そんな時間を過ごしていて。気付いたら、僕の身体か、急に重さが消えて、風が直接あたったのを感じて、ああ。離れたんだ。と実感した時には、遠くの空へと夕日が沈んでいくところが目に入った。
「なあ、お前、もしよかったらさ…俺と一緒に来ないか?」

 突然と言うのは一度ならまだしも二度三度と重なるように大量にくるものではないと思う。心臓に悪い。
今日は、初めて自分を呼びかける人が現れて、初めて抱きしめられて、そして初めて、手を差し伸べられた。
(この手に縋ったら、僕は一体どうなってしまうのだろう)
でもきっと、縋らなければ後悔するかもしれない。否、絶対にする。
あの時のように。
【言葉ニスレバヨカッタ。】
(そんなの…そんなの嫌だ)
僕の望むところじゃない。

 かなり接近状態で彼は未だ手を差し伸べ続けてくれている。
「っ…」
そおっと伸ばした手を彼の手に重ねる。すると彼の手は、指は、僕の指をなぞるようにしゅるりとくみ取られた。
ビクつく僕の方を軽く抱きしめ彼は言った。
「立てるか…?颯斗。」
と。

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