04*09

□あの時の小さな旋律を聞いていたなら、貴方は今、ココにはいないでしょう?
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あの時から僕の傍には彼がいるようになった。
毎日毎日決まった時間に彼は来て、僕に会いにきてくれる。

「颯斗。」

初めて呼ばれた名前。
本名が颯斗なのかはわからないけれど、僕はそれ以外の名を望まない。
例えソレが本名でなくとも。否、だからこそ、僕はそれを望まない。
 
だって、それを望んでしまったら、僕は僕でなくなってしまうでしょう?



凛としていて、美しい人。
僕に初めて呼びかけて、話しかけて、そして。
名前をつけてくれた人。
感謝の気持ちで一杯なのに、その感謝の言葉を恐怖からで発せられない。
何か、何か、彼に伝えなくては。
僕は本当は話す事ができる。だけど、話す事に、言葉を発する事に恐怖を覚えて発せられなくなってしまった。
「…っ」
いつから、いつから僕はこんなにも弱くなったのだろうか。

「颯斗。よす。カラダの方は大丈夫か?」
コクリ。僕が頷くと彼はとても満足そうな顔をして、僕の寝ているベッドに腰掛ける。
「よしよし〜」
「?」
いきなり、ということはよくある。
彼は毎回毎回、そういうことばかりを起こして僕を驚かす。
今回は頭を撫でて、よしよししてくれていた。
「本当に颯斗は可愛いよな。」
ますます意味が分からない。
少しだけ彼の服を引っ張ってみる。
「あはは、子ども扱いするなってか?」
微妙に当たっている。寧ろ百点満点。
少しだけ僕が頬を膨らますと、彼は僕に顔を近づけてー…
チュ、
触れるだけのキスをして。
「だけど、ほっとけねえんだよな。」
と言った。
何がだけどなのかはわからないが、ほっとけないといわれて嬉しくなる。
もう、僕は独りでなくて済む。
怖い思いなんてしなくても済む。
「なあ、颯斗。ピアノ、弾いてくれよ。」
やはり突然な質問に僕は驚くが、こくんと頷いて、ベッドから降りようと体を起こす。
と、脳内を白い光が掠めた。
(立ちくらみ…?)
そのまま僕は倒れる。
「っと、ぶねぇ。」
倒れたと思ったのは僕だけで、実際は、彼が支えてくれていた。
(ありがとうございます。)
「っ…」
やはり出せない言葉。
助けてもらいながらもお礼さえ出来ないなんて幻滅されるだろうか。
「大丈夫か?颯斗。」
だけど、彼は僕が恐れていた反応とは全く違う反応を見せた。
あろうことか心配している。なんでだろうか?
「にしても颯斗は好い香りだよなー。」
そう言いながら、彼は僕の頬に鼻を摺り寄せ、すう、と息を吸う。その感覚がくすぐったくて。
(う、くすぐったい…)
「うん。ありがとう。補給完了だ。」
何の?と思ったがとりあえず置いておき、僕は彼の手を借りながらピアノの椅子に座る。
鍵盤に指を置き、少しだけ押す。
軽い感じのする音が弾んだように舞う。
そのまま身を任せて僕はピアノを弾いていく。

気付いたらベッドの中にいた。
彼はいなかったから、もう帰ってしまったのだろう。
少し寂しい気持ちが僕の胸を風となって吹き抜ける。
本当に弱くなったと思う。
ぼんやりと時計を見る。午後6時だった。
あともう少しで定期健診だ。
この頃、彼の信用している先生が僕を月一で診てくれる。


「颯斗。」
呼びかけてくれるこの言葉を聞き続けたい。
僕の名前。
呼びかけてくれるこの言葉を、存在を、大切にしたい。
いつまでも。


たとえ、この命が尽きようとも、あの旋律を聞いていたい。



あの時の旋律は彼、不知火一樹さんのもので。
町を行くあてもなく歩いていたときに、たまたま見つけた僕の家に入り、たまたま見つけたピアノを弾いた。というだけのことだった。
勿論、僕がいる事なんて知らなかったそうで。
よく入れたなあ。と僕が思っていたら、彼は「だって、鍵かかってないしさ。人がいそうな感じもしなかったからな。」と言った。
鍵がかかってない。その言葉を聞いた時、僕は心のどこかで安心した。ああ。僕は捨てられたんだと自覚が出来た。
彼は更にいった。
「第一、誰かいたんなら俺は入ってこないよ。」
と。

それはつまり、僕が気まぐれで弾いたピアノの音を聞いていたのなら、彼が一回でも聞いたのならば、彼は今ここにはいなかったというわけだ。

だったら。


だったら。


僕は、本当は幸せな、恵まれた人なんだと思う。




一樹さんといれて、話せないけど、話しかけてくれて。傍にいてくれて。





とても、嬉しいと思う。



「一樹さん。僕は、あともう少しで死ぬそうです。今まで、ありがとうございました。とてもとても嬉しかったです。僕は、一樹さんと会って、運命を信じるようになりました。偶然を信じるようになりました。
だって、あの時の小さな旋律を聞いていたなら、貴方は今、ココにはいなかったでしょう?
だから、ありがとう。そして、さようなら。」



いつか、僕がこの世から姿を消す時。
このメモリーを一番に開いてくれる人が一樹さんでありますように。





















あの時の小さな旋律を聞いていたなら、貴方は今、ココにはいないでしょう?完結です。
ありがとうございました。
微妙な終わりで申し訳ないです。

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