NOVEL!

□響け、奏でられなくとも
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 頭を抱えながらデスクに突っ伏し、歯を食いしばる父親のその様子を、まだその頃は幼かった少女は紐解くことができなかった。
 この屋敷に、たった二人。少女とその父親は取り残されている。父親は有名な貴族だった。だが、ある取引で入手した物品により事業が破綻し、彼はどん底まで落とされた。その所為で自分の家族――我が子のうち、少女を取り除いた三人の姉妹を知人の貴族に預ける羽目となってしまった。彼の妻は、四女である少女の難産でこの世を去ってしまっている。使用人も無論、全員解雇した。
 一刻も早く、立て直せねばならぬ。父親は寝る間も惜しんで、事業の再起の為に尽力した。
 少女は、まだ大人の社会、そしてビジネスが分からなかったので、無垢に「お父さま」と父親に甘えた。心身共に追い詰められ、神経が尖っていた父親はそのたびに彼女に八つ当たりしようと苛立つが、そもそもが自己責任であることを思い直し、己を戒め、彼女を抱き上げて、「不甲斐ないお父さんで、ごめんよ」と泣いた。そのたびに我が子の気が済むまで、一緒に遊んだ。
 優しい執事を失おうと、個性的(トリッキー)な姉達を失おうと、自分を産んでくれた母を失おうと、少女は幸せだった。大好きなお父さまが居てくれれば、さみしくない。心から、そう笑っていた。
 そして、無邪気な時代にもやがては終わりが来る。少女は大人の社会、父親の苦悩を理解できるようになった。何年月日を掛けても這い上がれない社会の厳しさを漸く痛感した。
 だから、少しでも父親の力になれるよう、また家族で暮らせるよう、彼女は勉強した。智慧を得ようと奮闘した。とにかく知識が必要だ。あらゆる学問に挑戦した。
 また、自分を磨くのも忘れない。誰より美しくなり、名声をこの手に。大好きなお父さまの支えになるのなら、家族でまた一緒に暮らせるのなら、善人を誑かす悪女になってもいい。彼女は魔性と智慧を努力の末に手中に納めた。
 それが、残酷な真実に入口となる。ある日、少女の美しさを知り、一目見たいとパーティーを開いた派手好きな貴族の男が居た。パーティーに参加した少女は少女らしかぬ色気と美酒を巧みに操り、その貴族を骨抜きにした。酒に酔わせればこっちのもの。名前はまだ、あちらに知らされてはいない。
 狙うは男の財産、そしてずっと音沙汰のない、貴族に引き取られた姉らの行方についての情報――あくまで一片。
 姉らは貴族の養女となった。だから、いつでも取り返せるよう、連絡先でもいい、掴まねばならない。少女は一抹の糸口を藁をも縋る思いで、聞き出した。
 そして、とうとう知ってしまった。姉らがどうなったかを。
 皆、もう生きていない。正しくは、〈人〉として確実に生きていない。
 少女の父親は騙されていた。知人の――友ではないが信用できるビジネスでの付き合いの貴族三人に、愛する我が子を預けた。「いずれは迎えに来る」と、宣言した上で。
 だが、その三人は父親から多額の養育費をふんだくった上で、それぞれまだ純潔な少女を犯し、辱め、人身売買のシンジケートに売ってしまった。実はパーティーの主催者であるこの男も、そのうちのひとりだったのだ。
 姉さんは、もう居ない。
 家族で暮らせる日は、夢でしかない。
 少女は男を殺した。激情が発端。とっさの機転で彼女はアリバイを作り上げ、無関係であるパーティーの参加者に罪をなすりつけて、会場から抜け出した。艶やかなメイクとその心は、涙の所為でボロボロに崩れてしまっていた。


 Ω Ω Ω Ω Ω


 父親は愕然と両膝を着き、たったひとりの家族となってしまった少女を抱き、三日三晩泣いた。なすすべもなく蹂躙されてしまった娘達への贖いに、それは残酷にもならなかった。泣いても、虚しさが残るだけだった。
 生きる気力を、父親は失った。もう無意味だ。こんな世界で生きていく、必要性など有りはしない。
 なら――と少女は提案する。私もこの醜い世界が嫌だから……

 だから、だから捨ててしまおう。

 総てを捨てて、新たな地に飛び立つ。少女はその方法を自らの頭脳、そして知識から引き当て、父親に示した。倫理と禁忌を超越した、ひとつの術法を。
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