鏡花水月

□桜月@
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 文久元年卯月、雨の日。多摩。

 とある道場の一室に、不思議な着物を来たびしょ濡れの少女が一人、倒れていた。
明らかに手足の余るその着物は、水を吸って重くなり、着実に彼女の体温を奪っていく。

 その部屋に近づく足音が二つ。二人とも男だ。剣術について楽しそうに話している。
そのうちの一人が、袴の裾が濡れたことに気付く。

「それにしても今日は雨脚が強い。縁側を通るのではなかった。少し濡れてしまったな。」
「あぁ、だが、どうせ着替えるのだから、構わないだろう。」

もう一人は濡れたことをあまり気にしていないらしい。そうかと呟いて、また何事もなかったように歩きだした。

「うむ、あそこの障子が開いているぞ。雨が入ってしまう。」
「畳が傷む、早く閉めよう。」

 少女が居る部屋に近づく。
男が障子に手を掛けると、ちらりと手が見えた。慌てて部屋を覗く。

「歳、大変だ、子供が倒れている。」
「何、子供だと。」

後を追って部屋に入る。うつ伏せに倒れた少女を見て、眉を顰めた。

「どこから入ったんだ、こいつ。」
「それよりつねと医者を呼ぼう。熱が出ているようだ。」

男は胴着が濡れるのも構わずに少女を抱え、額に手を当てる。熱く荒い息を吐く彼女の体は冷たい。

「勝つぁん、俺が医者を呼びにいく。」
「頼んだ。俺はつねを呼ぶ。」

 二人、慌ただしく部屋を出る。


 勝と呼ばれた男は、急いで妻の部屋へ向かう。

「つね、つね!」

男が部屋に入ると、妻のつねが驚いた。

「どうしたのです。」
「子供が倒れていた、着替えさせてやってくれ。それから医者に診せる、用意を。」

焦る夫に、こくこくと首を動かして返事をする。適当な着物と手拭いを幾つか持ち、息つく隙もなく出て行った夫の後を追った。


 一方、歳と呼ばれた男は泥が跳ねるのも気にせず走っていた。向かう先は道場でいつも世話になっている医者の家だ。
目的地へ着くと大声で医者の名を呼び、手短に用件を話して医者を急かす。荷物を抱え、来た道を早歩きで引き返した。


 つねが襖を開けて出て来た。

「勇殿、着替えさせ終わりました。」
「む、そうか。して、女子の様子は。」
「まだ荒い息をしております。」

勝と呼ばれた男…近藤勇(※注1)は溜め息をついた。とりあえず、医者に診せないことには何も言えないだろう。

「勝つぁん、医者ァ連れてきたぞ。」
「おお歳、すまない、ご苦労だった。つね、案内してやれ。」
「はい。」

つねが医者を隣の部屋へ通す。それを見やると、歳と呼ばれた男は着替えてくると一言残し、部屋を出て行った。

一人残された勇は、正座をして、膝の上で握り拳をつくった。

 
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