鏡花水月

□桜月B
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 仕事が一段落つきそうな時だった。
 微かに、木の板が軋む音がした。

 筆を置き、左横に置いていた愛刀に触れる。片膝を立てて、障子の向こうに神経を研ぎ澄ませた。

「副長。」

 草木も眠る時間である。小さいが確実に土方の耳に届いた。
 七日ぶりに聴く声に、緊張を解く。

「京か、驚かせるな。」
「それは失礼。」

 京がどんな表情をしているのか、顔を見なくても判った。
 悪戯好きな所があるからいけない。

「入れ。散らかっているが。」
「お邪魔します。」

 音もなく障子が開く。
 最近滑りが悪いと思っていたが、土方の開け方に問題があるらしい。

「報告に来るなら普通に来れば良いだろう。何故、気配や足音まで消す。」
「起こしちゃ悪いかな、と。」

 隣の部屋で寝ている土方の小姓を指しているのだろう。

「めったな事じゃ起きるまい。元服しているとはいえ、まだまだ子供だ。」

 無言で部屋を片付け始める。本や書簡が至る所に広がっていた。

「京、報告に来たのではないのか。」
「ええ。」

 間者として潜伏先で働くことの多い京は、様々な顔を持つ。
 髪と着物が少し変わるだけで、全くの別人になりすますことができるのだ。まるで、誰かが乗り移ったか、他人の空似であるかのように。
 否、大抵の人は顔が同じであることにすら気づかない。同一人物だと言われても信じられないほど“違う”のだ。

 そんな役者ばりの演技力を最大限に活用し、いつも任務にあたる。
 今回もこれといった心配はないと思っていた。

「今回は随分難儀したようだな。」

 報告を聞いた上で土方がそう感想を言うと、京は苦笑した。

「兎も角、お勤めご苦労。」
「報告書は明日出します。それと、一つ気になったことが。」

 土方の横に移動する。
 京が口元を隠すように手を当てると、土方も少し体を傾け耳を寄せた。

「…確かな情報か。」
「今はまだ何とも。二、三日中にはご報告に。」
「ああ、頼んだ。」

 問題は山積みだ。これからまた忙しくなる。

「疲れたろう、今日はゆっくり休め。」
「はい、副長も程々に。」

 
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