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寡黙と憂鬱に咲く[6]


8.
細い路地に入れば、都会ならではの暴力的な騒音から逃れることが出来、銀八は一息ついた。
夜の11時をまわるが、この時間帯は夜行性の連中が活動を始める。
銀八もそのひとりであった。
暗闇で独特の色彩を放つ店がいくつか立ち並んでいる。
谷間を突きだした美女の看板が男たちの本能を擽り、彼らを『地下』へ繋がる階段に導いている。
数人のサラリーマンが階段を下りて行ったのを見届け、わざと距離をおいて自分も下りた。
こういう店では客同士、顔見知りになりたくない。

「御指名は?」
「さっちゃんを」

猿飛あやめ。
本名かどうかは知らないが、本人から聞いた話、「あやめ」のほうは本名らしかった。
風俗店で働く人間で唯一、銀八の身体を満たした女だった。
女の経験は豊富だと自負しているが、妻以外の女で1年以上関係を持っているのは彼女だけだ。
惚れることはなかったが、彼女を無性に欲しくなる時があった。

「まあ銀さん、お久しぶりね」

個室に入ると、既に下の肌着一枚になっている彼女が飛びついて来た。
さらさらの長い髪が豊かな乳房を隠していて、それがまたもどかしくていい。

「最近来ないから、飽きられたかと思った」

恋人を待ちわびたように、女の方から情熱的に唇に吸いついてきた。
彼女は銀八に惚れていた。
銀八もそれを分かった上で通い詰めているが、決して店以外の場所では会わないとしていた。

「俺が欲しかったかい?」
「欲しかったわ…」

この女は根っからのスキモノで、特に銀八の前では恥ずかし甲斐もなく痴語を口にする。
銀八の手が、彼女の膨らんだ胸の一つに押し込まれる。
敏感な実を弾かれながら揉まれると、甲高い声があがる。
もう片方の手は女の下着に潜りこんで、直接若い蕾を指の腹で撫でた。
長居はしない。セっクス以外の時間をこの女とは過ごさないと決めていた。

「電車ないでしょ?」
「タクシー拾う」

事を終えた途端、早々に帰り支度を始める銀八に、彼女は俯き加減になる。
もっといてほしいという仕草を見せながらも言葉に出来ないのは、銀八が沈黙のうちに放つ威圧感のせいだ。

「また来て」

店側として、それくらいは言ってもいいだろう。
決まって返ってくる表向きの愛想だけを、次の希望につなげるしかなかった。
外の空気に当たり、銀八は軽く睡魔に襲われる。
深い夜になると、賑やかで危険な街中がかえって心を和ませ、溜息と共に空車に向かって手をあげた。

9.
午後の授業に間に合うように、11時にカウンセリングを入れていた。
施術はまだ一度限りだが、そこの彫り師と高杉の年が近いせいもあり、すぐに仲良くなった。
名前は沖田総悟という。
電話をしたら向こうは覚えていて、予約はスムーズだった。

「部位は?」
「背中」
「背中は後悔するやつ多いんでさあ。あんた、もう堅気の職業には就けやせんぜ?」
「構わねえさ」

その時はその時と、捻くれた若者の甘い考えなのかもしれない。
依頼人が言うなら、彫り師はそれ以上釘をさす権利はない。

「大きさは?」
「出来ればデカいのがいい」
「彫ってから1週間は『激しい運動』は禁止ですからねい。特に仰向けになってすんげえ
体勢とか取る運動は駄目ですからねい。背中だから。早く乾かすこと考えたら、コンパク
トなサイズのほうがオススメですぜ」
「あ、そうか…」

高杉の特殊な性癖を、沖田は知っていた。
沖田でなくとも、依頼された刺青の模様から容易に判断できる。
自分の性癖を知られて肉体関係に発展しないのは、沖田が性欲のかけらもない人間だからだ。
彼にとってセっクスとは、「意味のない行為」らしかった。

「可愛いルックスしてんのに勿体ねえよ。俺が教えてやろうか?」
「別にあんたとヤってもかまいやせんがねえ…生憎不感症なもんで」

高杉は口を閉ざす。
刺青のカタログをめくりながら、沖田が一瞬だけ憂いの表情を浮かべた。

「一回だけありやすよ?女を抱いたことが。でも全然気持ちよくなれやしねえ…あ、これ
俺向いてねえや、て思いやしてね。それでこっちの道。女を掘るよりも、絵を彫った方が
俺は好きですねィ」

性行為とは無縁の人生を、高杉は想像できない。
だがそれを気の毒だと決めつけるのは、思いあがった人間のすることだ。
むしろ自分よりもまともな生き方を、沖田は選んでいる。

「柄どうしやす?」
「女の性器」
「えー…」

俺にそれを彫らせる気か、と沖田が軽蔑の眼差しを向けてくる。
剥き出しの欲望も絵になれば芸術だが、沖田の美学には反するらしかった。

「そんな生々しいモン彫るには…あんたの背中は綺麗すぎでさあ」

真っ白いキャンパスの最初の一筆なのだ。
沖田は思いついたように、ページをささっとめくる。

「『花』で如何ですかい?一応あんたの言う淫靡な意味も兼ねて」
「普通すぎる」
「いやいや、性器が異常すぎる」

あ、これだ、とそのページを開いた状態で、高杉に手渡す。


「ツバキ?」


真っ赤な椿が一輪咲いているだけの絵だった。
だが高杉は、その鮮血に近い赤味に目を奪われる。

「これだけだと、あんたが納得しそうにないので…」

別の薄っぺらなカタログを持ってきて、また何ページがめくった後、高杉に見せる。

「何で蜂なんだ」
「蜂は花の蜜を吸うでしょ?」

ああそういう意味か、と高杉は納得する。
沖田は椿を食われる者、蜂を食う者に例えたらしい。

「蜜を吸うだけじゃ、ぱっと見、あんたの嫌う普通になっちまうから…」
「どうする?」
「でっけえ毒針を花のど真ん中に突き立てている、でどうでしょ?」

高杉は顔をあげる。躊躇いのない声で「それで頼む」と沖田に言った。
決まりだった。沖田は最高の彫り師だと思った。

「額はざっと5万くらい見て下せえ」
「前回よりマシだな」
「色はカタログのままでいいですかい?」
「椿は、そのままでいい」

蜂は。
ふと自分の体内の下から上を凄まじい衝動が突きぬけて、高杉は息が詰まった。

「どうしやした?」

黙りこむ高杉を、沖田が心配そうに覗き込む。

「…毛の色を変えてくれ」
「毛の色?黄金じゃなくて、てことですかい?」
「白銀に」

そう言った自分に驚いた。あれからまだ連絡を入れてない。

「何で白銀?」

金色こそ支配者の色ではないか。沖田はさぞ疑問に感じたことだろう。

「いや、今の却下。蜂もそのままでいいよ」
「はあ…」

性器を彫り込む以上に蜂の色を変えることは、してはいけない冒険だった。
高杉は思い直して、沖田にカタログを返す。

「じゃあ5日後」

高杉は携帯のカレンダーに施術日を入力する。この期間は体調管理も必要だ。

「今度彫り師の話でも聞かせてくれ」
「おや、興味をお持ちで?俺の経験談でよけりゃいくらでも」

もしセっクスの日々に疲れたら、そんな職業に就くのもいいかもしれない。
沖田を見ていると、そんな考えが頭をよぎった。

10.
身体中がよこしまな刺激を求めているのが分かる。
施術を受ける前にもう一度あの男と寝ておくべきかと、高杉は一度携帯を構える。
避けたい気もしたが、このアドレス帳の中に、あの男ほど自分の肉体を強く抱いてくれる人間はいない。
代替えを立てたところで、退屈になるのは目に見えている。

銀八の娘の顔が浮かぶ。彼女がいつか、鬼のような形相で自分に迫る日が来やしないか。
そんなことはない、と高杉は目を硬く閉じる。
銀八の言うように、余計なことを考えすぎだ。
お互い不特定多数の相手のうちの一人なわけで、いつ縁が切れてもおかしくないような薄っぺらな関係だ。

銀八の娘なんてどうでもいいじゃん。家族なんて崩壊しようが知ったことか。
そう割り切って彼とは付き合うべきだ。
銀八だって、そういう接し方を求めているだろう。

手短に済ませたいので電話にしようと思ったが、平日の昼間。
彼は教師だし、この時間帯に電話に出る可能性はまず皆無だろう。

『暇な日ある?』

一行に収まる文章で、タイトルなしで送信する。
送信済み。もう後戻りは効かない。
銀八との夜を思い返し、頬が熱っぽくなる。このまま授業とは。
熱湯に少し水を注がなければならない。
高杉は再度、アドレス帳を開く。その電話番号にかける。

「土方、次の授業出る?」

受話器の奥は土方の声以外、静まり返っている。
土方の周りに人がいないことを確認する。

『俺は出るつもりだけど、お前出ねえの?』
「土方次第」

間があった。高杉の言葉を理解できない風だ。
表通りに出ていた高杉は人目を避けるために、曲がり角を見つけてそこに入る。
裏通りには誰もいない。
高杉は指先で皮膚を押すようにして手を滑らせ、ズボンの中に忍ばせた。
わざと甘ったるい声で喘いだ。

『お、おい、何して…』
「ん…っ、土方、どうにか、して…っ」

土方の声は困惑しているが、同時に昂ぶっているのが分かる。
さあ授業よりもセっクスをしろ、土方。

『今どこ…?』
「大学に近い…なあ、お前が欲しい…」
『わかった…大学なら、俺ももうすぐ着くから』

電話は切れた。大して待ち時間を要しないだろう。
性器を弄んでいた掌を見やると、濡れていた。
10分ほどして土方と落ち合う。
そのまま次の授業の教室とは違う館内に入り、手洗い所に傾れ込む。

「驚いたぜ、急にあんな声出すから…」
「早く掻きまわして」

個室の鍵を閉めて、土方が便座に座り、その上に高杉が乗る。
ズボンと下着を下ろされる。

「声、抑えてろ」

土方の指が美門を潜り、熱帯雨林の中で円を描いた。
高杉は息を弾ませながら土方と唇を合わせ、真珠のような二つの白球を震わせる。

「う、ん…っ」

土方の尊厳を埋められて、さすがに声を堪えるのが辛くなった。
早く何とかしてほしい、銀八。
土方と舌で糸を引きあいながらも、高杉を支配するのはたった三度の夜だった。

「イク…っ、イ、イっちゃ…っ」
「俺も、晋助、中に出していいか?」
「出してよ、いっぱい」

土方が高杉の真っ白いもち肌を鷲掴みし、上下に激しく揺らす。
終礼の鐘が鳴り響いた頃、疲労がどっと押し寄せて、高杉は土方に体重の全てを預けた。

次の授業は見事に睡眠学習だった。
隣の席の土方も何度かペンを落としていて、その度にお互い笑ってしまった。
自分のノートも彼のノートも何が書いてあるか分からない。

「勘弁してくれよ、眠いわマジで…」

重々しい空気から解放された後、土方が高杉を睨みながらぼやいた。
嬉しいくせに、と思う。

「ジュース奢ってやるよ」

販売機の前で高杉は200円を土方に渡した。
いやいいよ、と返される。抱いた側のプライドもあるらしい。

「別にいいよ、俺、お前のこと好きだしな」

いきなりの告白に、高杉は口を閉ざしてしまう。
土方の好意は知っていたが、はっきりと言葉にされるのは初めてだった。

「あ、重く考えなくていいぜ。俺も割り切ってるし…」
「………」
「お前を抱けるだけでも十分だしな」

充分ではないのだろう。そんな一瞬の揺らぎが、土方の表情に表れていた。
苦手な空気が流れて、高杉はその場から逃れる術を探す。
携帯を開く。
着信が入っていた。

「ん、どうした?」

液晶画面を見た途端、高杉が顔色を変えたことに、土方は首を傾げる。
着信1件。
銀八からだ。

数時間も前だった。恐らくメールを送信してから数分以内だろう。気付かなかった。

「バイト先だ。何だろ」
「まぢで?休日出勤してくれとかそんなんか?」

慌てて誤魔化したが、土方は疑ってはいないようだ。
バイト先から着信があると誰でもドキっとするだろう。

「ちょっとかけてくるわ。また後でな」

また後で、という言葉を聞くと、土方はほっとしたらしく、「図書館にいる」と言ってきたので、
連絡を済ませたら向うと約束した。


驚いた。


高杉は土方がいなくなったのを確認し、大きく息をついた。
大分薄暗くなった空を一度見上げ、呼吸を整えると、高杉は大学の門を出た。
入口付近で携帯を翳し、その番号に折り返す。

巻き舌のような電子音が繰り返されるが、出ない。
留守電にも繋がらなかった。

(行き違いか…)

僅かに気持ちが沈んだ。今日中にコンタクトを取りたいという思いが、高杉の中にあった。
特に取り急ぎでもないのだが。
図書館に行けば、暫くは電話に出られない。土方の隣で銀八とメールのやり取りもしにくい。

互いに生活のリズムもよく知らないし仕方ないか、と高杉は携帯をマナーモードに切り替える。
明日の課題もあるし、土方に抱かれたことで少しは落ち着いた。
明日は午前中語学の授業に、午後はバイト、と手帳で確認する。

『今から向う』と土方にメールをする。そのまま携帯を閉じた。
数秒後に携帯が震えた。返信が早いな。

否、そうではなかった。震動時間が長すぎる。
これは、メールの受信ではない。

着信だ。
点滅した名前は、銀八だった。
はっとなって高杉は通話ボタンを押す。


「…もしもし?」


誰に聞かれているわけでもないのに、忍び声になった。
酸素を上手く取り込めていない自分がいる。


『晋助?』


電話だと若干声が軽く聞こえる。だが間違いなく銀八の声だ。
ざっと周囲の景色に目をやり、呼吸のリズムを整える。

「悪い、電話くれてたのに気付かなかった…」
『別にいいよ。今平気か?』
「ん、外だし一人だから」

声が優しく響くのは気のせいか。高杉は携帯を持ち替える。

「メール見てくれたんだよな?」
『ああ。お前いつ空いてんの?』
「明日と明明後日、その次の日は深夜までバイト。明後日だと有難いけど」
『合わねえな…明後日は同僚と飲みが入ってんだ』

明後日が駄目となると、暫くは抱き合えない。

「5日後に施術の予約入れてんだ。1週間はセっクス禁止令出されてる」
『施術って?』
「刺青の」
『ああ何、また彫るのお前』
「背中に入れる」

背中と聞いた銀八から「やるねえ」と言われる。

『いれた後のお前を抱いてみてえ気もするが…それで絵が歪んでも困るしな』

もし普通の傷口なら、舐めて欲しい気もした。
銀八に彫った身体を見せたいとも思った。

「明日は平気?」
『え?夜は暇だけど、お前バイトなんだろ?』
「休めるかどうか聞いてみる」
『そこまですんな。仕事はちゃんとしろよ』

教師としての銀八、というのを感じ取った。
それよりも、何故こんなに抱かれることに必死になっているのか、自分でも分からない。
セっクス依存症一歩手前なのではないか。

『今日は?』
「え?」
『今日。時間置くのが嫌なら今日しかねえだろ?』

今日とは急すぎる。思えば今までも即日だった。

「今日は特に用事ねえけど…」
『じゃあ決まりだ。何時からいけそうだ?』

高杉は腕時計を見る。図書館で少し課題を解いたら、恐らく『いつもの時間』になる。

「この間の時間で大丈夫」
『わかった。ホテルを変えるから、駅で落ち合おう』
「ん、じゃあまた後で」

通話をオフにする。
思いの外会うのが早まったからか、気持ちが落ち着かない。
自分の脚が追いつかない心の滑走みたいなものに、高杉は戸惑う。何だろう、怖い。

図書館に行こう。土方が待っている。
鞄を持ち直して、少し駆け足に、高杉は目的地を目指した。


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