fur or fake fur?
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人は、優しさと偽りとを、違えずに生きてはいけないのだろうか。
善も悪も、酷く不確かな世の中で、
一体、どうやって。
fur or fake fur?
「町屋敷、ですか?」
「ええ。」
彼はいつもの表情で、和えかに微笑み頷いた。厚手のカーテンの隙間から微かに溢れる朝の光が、薄暗いこの部屋にごく細い一筋の光を作っている。
「何故です?」
「貴方には関係のないことですよ。」
「………。」
柔らかな笑みでもって言葉の続きを静止されることには、もう慣れつつもあったが、少しも悲くないということは、決して無かった。
視線を手元のティーカップに落とせば、2年前、ここに来た時よりもいくらか頬の痩けた自身の顔が、心もとなく揺れていた。
そんな私の心の揺れには、微塵の興味もないであろう彼は、光を遮るようにカーテンを閉め直しながら、淡々と話を進める。
「それで、坊っちゃんから、今回は貴方も私達と共に同行するように、とのことです。」
「私も、ですか?…何でまた…。」
「決まっているじゃありませんか。私達が留守の間、貴方一人この屋敷に残しておくのは危険過ぎる。」
「………。」
「何をしでかすか、分かったものではない。」
そうでしょう、と投げ掛けられる彼の視線を、逃げずに真っ直ぐに受け止め、見つめ返す。彼のその瞳には嘲りだとか、哀れみとかのとてつもなく強い、絶対的な何かが感じられ、私は彼と目を合わす度、身体が冷たくなってしまう。
「2年近くも何もせずここに居るのに、…まだ、そんなことを言うんですか?」
「おや、ここに来たばかりの頃はよく脱走を図っていたじゃありませんか。その度に坊っちゃんの命を受け、捕獲を試みた私の苦労も、少しは考えてみてはいかがです?」
「……そりゃ、あの時は…。」
言葉に詰まる私を見て、彼は静かに微笑んだ。ごくたまに、彼は、こちらが酷く切なくなるほど優しい笑みを向ける。私の、見間違いかもしれないけれど。
「しかし、今回は貴方だけではなく、他の使用人達も引き連れてのお出掛けとなります。」
「はぁ、」
「ですから、町屋敷でもここと同じようにくれぐれも…」
「“誰にも姿を見せず、大人しくしていろ”……ですね。」
「流石、呑み込みが早くて助かります。」
ニコリ、悪びれることなく笑って言う彼に、思わず溜め息を吐いた。と、5時を告げる鐘が遠くから響き、慌てて手元のサンドイッチを無理やり口に詰め込んだ。
「出発は明日です。準備をしておくように。」
「はひ、ははひはひは。」
「…仮にもレディなら、口の中に物を入れたまましゃべらないで下さい。」
何度も頷きながら、呆れ顔の彼を前に、サンドイッチを押し流すように紅茶を一気に飲み干した。今日も、相変わらず、忙しない朝食だった。
「あちらでも、2階の廊下や窓の掃除、そして資料室の管理は、こちらと変わらず貴方の仕事ですので、どうぞよろしくお願いします。」
「はい、分かりました。」
「では。」
必要事項を告げ、足早に扉を開ける彼の背中に、今日も慌てて告げる。
「朝食、ご馳走さまでした!美味しかったです。」
すると彼は決まって律儀に振り返ってはくれるのだけど、
「そうですか。それは良かった。」
さほど嬉しくも無さそうに笑い、部屋を後にするのだった。
一人残された部屋で、見たこともないロンドンの町屋敷に思いを馳せる。そこもきっと、この屋敷と変わらず、ただ広く、ただ冷たいのだろう。そして、そこでも私はきっと、途方もない気持ちで、毎日を過ごすのだろう。
それでも、
「久しぶりの遠出か…」
見たこともない町、見たこともない景色、憧れずにはいられない。変わらぬ日常が待っていようとも、嬉々と騒ぐ胸は止めようがなく。
「…どんなところだろう。」
一人、呟けば、扉の向こうからいつものように聞こえてくる、顔も知らない使用人達の慌てたような朝の声。彼等にもいつか会える日が来るのだろうか、なんて、珍しく希望のような思いが頭に浮かんだりして。
「よし。」
扉の向こうに漏れないように、気を配りながら小さくハミングした後、クローゼットの扉を力一杯開いた。