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「……すごい、」
砂にけぶる市場は今日も大にぎわいで。
そんな中、人を避けながら目的の物を手に入れるのには、かなりの労力と気力とが必要になる。
「……どうした…?」
が、しかし、今のこの状態に、私は思わず感嘆の息を漏らした。立ち止まった私に気付き、前を歩く彼は鬱陶しそうに振り返る。
「…だって、」
市場の人々は、彼が現れた途端、まるで全員で示しあわせたかのように道を開けたのだ。今や向こうの端の店まで、一筋の道が開けている。
その道を眉ひとつ動かさずに、歩み行く彼の姿に、かの有名な"海割り"で迷える人々のために道を切り開いた、神話の中の偉人を思い出さずにはいられない。
「アルシャドさん、モーゼみたいですね!」
「……阿呆か。」
絶対零度の眼差しで私に一瞥くれ、彼は再び私に背を向け市場を行く。
「……。」
アルシャド。即ち、"あの"アグニさんの過去。
彼は人間性に加え、ユーモアにも欠けているらしかった。
彼ノチ、モト彼
*続々 Second Contact
彼が私を抱き抱えたまま、華麗に着陸してみせても、私の膝は10分程ガクガクと笑いっぱなしだった。
彼は当然素知らぬ素振りで、さっさと私を下ろし、柔なヤツだな、とお得意の舌打ちで以て暫く私を見下ろしていた。
しかし、やがて唐突に歩き始めた。そんな彼を慌てて追いかけ、(『まだ膝が笑ってます』と、私は悲痛かつ全うな主張を試みたものの、その主張は、彼の『じゃあ、そのままで歩け』という、無慈悲な一言で以てあえなく一掃された。)市場へとやって来たのだが。
「…………、」
彼に付いて道の開けた市場を歩けば、人々の話し声が聞こえてくる。
「…どういうことだ…!?」
「…死刑になったのでは?」
「いや、今では改心して王子の執事をしているじゃないか…、」
「でも…あのお姿は、」
彼の過去を全く知らない私も、かつての彼の祖業の悪さが安易に想像出来てしまい深く溜め息を吐いた。
どうやら、相当の暴れものだったらしい。
「…今のアグニさんからじゃ想像出来ないなぁ…、」
しかし当の本人は、周囲の反応など全く気にする様子は無く、ひとつ先の果物売りからおもむろにマンゴーを二つほど取り上げて、何事も無かったように歩きだしていた。
「…へぇ…果物とか食べるんですね……って!!!お金お金!!払ってないじゃないですか!」
「…は?」
私は慌てて彼に追い付き、彼の前に回り込む。そんな私を、彼は眉をひそめてジッと見据えた。
「それじゃあ、盗人です。」
「…残念だが、俺にはこういうことが許されてる、」
「許されて…って、どういうことです?」
「言ってなかったか?…俺は司祭の息子だ。」
「……っ、」
彼の腕に、マンゴーの果汁がトロリとまとわりつく。自嘲気味に笑った彼の目を、私は、じっと見上げた。バクバクと心臓が鳴る。最上級カーストのその地位は、私を、そして人々を黙らせるには充分な肩書きだった。
「さすがに怖じけずいたか、」
黙ったままの私にむけられた、彼の冷たい声が、また一つ、心臓に爪を立てたようで。私はギュッと拳を握りしめる。
「……まさか、」
「安心しろ。…大抵がそういう反応だ。面白いくらいに、な。」
「……っ、」
興醒めと言った風に低く投げ捨てられた言葉に、俄に拳が震えた。カッと頭が真っ赤になって、私は彼を真っ直ぐに見上げる。彼は僅かに眉を寄せた。
何に対して、こんなに腹がたっているのか分からないまま、彼に近付き、その懐から私の財布を抜き取る。彼は、私のその行動を咎めるふうでもなく、ただ、研ぎ澄まされた刃のような眼差しで私を炙る。
「…何のつもりだ?」
「勿論、お金を払うんです。」
私は、平然を装い、果物売りにお金を渡す。彼はその様子を、何か奇妙なものでも見るかのように黙って見ている。
「…後ろめたいことは、無しでいきましょう?」
「…身分階級がこの国の全てだろう。」
「…そうだとしても、こういう行為は、アグニさんの顔に、泥塗ってますよ、」
「…何を、」
「貴方の顔にも、です。」
「っ、」
彼は驚いたように、少しだけ目を見開き私を見た。滴る果汁が、寂しく土に落ちて道に小さく染みが出来ている。
私はきっと、怒っていた。
自身の身分をかさにきて、淡々と罪を犯すこの男に。
そのくせ、悔いたような目をして、平然を装う彼に。
目の前で売り物を盗られても、怒鳴りもしない果物売りに。
そして何より、彼の言葉と視線一つで、途端に言葉を詰まらせた私自身に。
「……何を今更、」
「…………、」
彼は、暫く私を見詰めた後、低く呟き、再び背を向け歩き出した。その背中が、何故だか酷く寂しく見えて。私も黙ってあとに続き、市場をあとにした。
やってしまった。
私は彼の背中を追いながら、つい10分ほど前の自身の行動に、早くも後悔の念を抱いてしまっていた。
彼は仮にも司祭階級だ。そんな方に、自分のような召し使いの女が説教をたれるなど。
当然、許されることではない。
「……っ、」
相変わらず黙ったまま、前を歩く彼の背中に目をやる。彼はちょうど、一つ目のマンゴーを食べ終えたようで、二つ目のマンゴーに手をかけていた。
彼がマンゴーを食べ終え、両手が自由になったその時、その手が私を殴るのだろうか、と、悲観的な思考を巡らせていた時。
「…おい、」
「うわっ!え!ななな、なんですか!?」
「……何を構えてる?」
目の前の彼が突然立ち止まり、振り返るものだから、私は慌てて無意味に、戦闘体制をとってしまった。
そんな私に彼は眉を潜め、まぁいい、と呆れたように小さくため息をつくと、私の目の前にスッと、マンゴーを差し出した。
「…はい?」
「…やる、」
予期せぬ彼の行動に、私は首を傾げる。彼はどこか決まり悪そうに、視線を反らし、更にぶっきらぼうに、それをとるようにと私に促す。
「…ど、どうも……」
おずおず受けとる私に、彼は無言のまま背を向け、再び歩きはじめた。
「……この国のヤツはみんな、俺達に対しては、あんなふうだと思っていたが。」
「…?」
「……バカなヤツもいるものだな。」
「…バカって誰がです?」
彼は、背を向けたまま、私の問いに答える気はないらしい。私は、仕方なく貰ったマンゴーにかぶり付く。
「甘い、」
「だろ?」
彼は、私の言葉に立ち止まり、こちらを振り返った。その口許が、どこか柔らかな笑みを浮かべている気がして、私は目を見開らいた。
「…お前はもっと食べた方が良い。」
「…え?」
果汁に濡れた唇を大きな掌で拭う仕草は、酷く色っぽい。指に滴る果汁を追って、ちらりと覗いた赤い舌が、やけに目につく。
しかし次の瞬間、彼の銀色の瞳が、スッと細められ、その口許が、ニヤリと意地悪く持ち上がった。
「…いくら細身でも、出るべきとこは出ていないと、男は興味を持たんぞ。」
「っ、な………っ、なっ!?」
「"発展途上"なんだろう…?なんなら、その"発展"とやらに、俺が貢献してやってもいいが…?」
「っ!!!え、遠慮しときます!!」
私はみるみる顔が熱くなって行くのを感じ口をぱくぱくさせる。そんな私に彼はそっとため息をつき、目を細めた。
「冗談だ。俺だって、お前みたいなガキは願い下げだ。」
「……っ、」
「…でも、」
「?」
「…お前みたいなバカは、嫌いじゃない。」
「…え?」
彼の大きな掌が私の頭に伸ばされたのと、ポンと間の抜けた破裂音が響き紫煙が立ち込めたのとはほぼ同時のことで。
「……っ、」
反射で閉じた目を、そろりと開けたなら、深緑のクルタに身を包んだ、背の高い男性が宙に掌を浮かせたまま、不思議そうな表情で立っていた。
「……アグニさん、」
「…また、…変わってしまったのですね、」
「…えっと、…ははは。」
私は曖昧に笑う。彼は、私につられて苦笑した後、ふと私の頭の上で止まっている自身の掌に気付いたようで、何故だかみるみるうちに青ざめていった。
「わ、私は……この右手で一体何をしようとっ…!!!」
「…へ?」
「まさかっ!?貴女に乱暴を…!?」
「え?いや!だ、大丈夫ですから!!落ち着いて下さい!!マンゴーを!!マンゴーを貰っただけですから!!」
「マンゴー…?」
自身の右手を掴み、慌てふためく彼を、どうにか宥める。彼は落ち着いたものの、不安そうに眉を八の字に下げるものだから、私は彼に笑ってみせた。
「本当に。後ろめたいことは、何も!アグニさんにも。アルシャドさんにも。」
「……っ、」
彼は私の言葉に驚いたようだったけど、やがて穏やかに微笑み、小さな声で、そうですか、と頷いた。
それから二人、もと来た道を帰った。
道中、先ほどの彼とは違う穏やかな性格のアグニさんに、私は人知れず、安堵のため息を吐いたのだった。
似てない二人
(本当に、同一人物なのだろうか、)