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「…………で?」
「………はい?」
彼は不機嫌に、私の頭のすぐ上で溜め息を吐いた。
どことなく香しく甘い香りの漂うほの暗い地下室。此処では、宮廷で振る舞われる数々のお酒が管理されている。
急遽行われることになった宴会で使うお酒を、この地下室から、早く厨房に運ばなければならないのだが。
「…………」
今の今まで焦っていた私は、今となってはそんなことは、どっちでもよく。無骨な彼の手に背中を支えられ、ピタリと硬直してしまっている。
目の前の逞しい胸板は、惜し気もなく晒されて。頬に微かに当たる、流れる銀の髪は肩よりも長い。
ということは、だ。
「……これは一体、どういう状況だ?」
お約束の舌打ちで以て低く唸る彼に、私は半ば諦めの気持ちで、今のこの状況を呪う。
「……なんと言いますか、」
どういう状況か。
それを説明するのは見た目には簡単だが、実のところは恐ろしくやっかいである。
私は、腹をくくって顔を上げ、グッと腹に力を込めて彼の切れ目を真っ直ぐ見詰める。
「いわゆる、少女漫画的なハプニングです!」
「…は?」
アグニさんが、アルシャドさんに。
ついでにいうと、私は彼に抱き締められている形になっている。ただし、トキメキも何もあったもんじゃない。恐怖と緊迫感だけが、私の鼓動を性急に動かせていた。
彼ノチ、モト彼!
*third Contact
そもそも、何故こんなことになってしまったかというと、それは30分程前に遡る。
「それにしても随分急ですね。王宮で社交会だなんて」
「国王さまは気紛れでいらっしゃいますから」
厨房でも料理人達がカンカンになって働いています、と苦笑を漏らしながら私の隣を歩くのは、アグニさんで。私達は揃って、宴会用のお酒を、地下室へと取りに来たのだった。
薄暗い地下室を、アグニさんが持つ飴色のランプが室内を照らす。
こうやってアグニさんと二人で歩くのは、前に彼がアルシャドさんに変わってしまった日以来のことだった。
彼は手に持っていたランプを丁寧な仕草で壁にかけながら、唐突に口を開いた。
「…もし、私がまたアルシャドになるようなことがあれば…その時は、貴女は私にあまり近付かない方が良い」
「え…?」
「あ、いえ…!深い意味は無いのですが!…ただ…、」
私が、その言葉に眉を潜めるようにして、彼を見上げたからだろうか。彼は直ぐ様弁解をした後、伏し目がちに寂しい笑みを浮かべてみせた。
「…ただ、私が貴女に何をしてしまうか…心配で…、」
「アグニさん…」
「出来ればアルシャドになった瞬間、私を精一杯の力で以て突き飛ばして出来るだけ遠くまで逃げて頂きたいくらいです」
「………ははは」
あまりに真面目な顔でアグニさんがそう言うものだから、思わず苦笑してしまう。確かに、アグニさんがアルシャドさんに対して不安になる気持ちはよく分かる。
けれども、私が彼の呪いを発動させてしまったのだ。逃げるわけにはいかない。それに、アルシャドさんの悪行により傷付いてしまうアグニさんをみたくはない。
そんな思いを巡らせていると、頭の上に、ポンと優しい手のひらの感触。驚いて見上げれば、飴色のランプの下、暖かく微笑むアグニさんがいた。
「貴女が責任を感じることはありませんよ」
「……でも…、」
「私が過去に罪を重ねてきたことの報いなのです。だから、貴女が気に病む必要は………っ!?」
「わっ…!?」
話の途中、足元がグラリとふらつき、視界が歪んだ。地下室が不気味にゴゴゴと音を立てている。
「っ、地震…?」
「頭を庇って下さい!」
揺れは小さかったようで、彼の警告通り、咄嗟に腕で頭を庇い、警戒しているうちにそれは直ぐにおさまった。
「…おさまったかな…?」
「どうやら…そのようですね…」
しんと再び静寂を取り戻した地下室に安堵したのもつかの間、次の瞬間、アグニさんの鋭い声が響いた。
「危ないっ!!」
「っ!?」
咄嗟に上を見上げると今の揺れでバランスを崩した酒瓶が一つ、こちら目掛けて落下してくるところだった。
あ、っという間に、強い力で以て彼の胸の中へと引き寄せられる。
「っ、」
ギュッと押し付けられた彼の胸の中で聞いた音は、酒瓶が割れる音ではなく、聞き覚えのある破裂音だった。
「……という訳です。」
「…だから片手に酒瓶…胸には不本意にもお前が居たという訳か」
「ふ、不本意って…!!私だって不本意ですよ!!」
そんなわけで、今はアルシャドさんと肩を並べ、地下室の一角にペタリと座り込んでいるわけで。一通りの説明を聞いた後、彼は隣でため息を吐いた。
「相変わらずどんくさいな」
「今回は本当に事故じゃないですか!」
「…うるさい、響く」
「っー!!」
地下室に響いた私の言い訳を、彼は冷めた口調で遮った。そのまま手にしていた酒瓶を口元へと運ぶも、小さく舌打ちをして片目を瞑り、酒瓶を覗きこんだ。
「チッ…もう無いのか」
「チッ…って!!!ちょっと!人が一生懸命事情を説明してる間に何お酒飲んじゃってるんですかあ!!」
「まぁ、ここにはいくらでもあるか」
「ありませんよ!何ちゃっかり自分の所有物みたいに見てんですか!?ここのは王宮のものです!」
「………」
彼はうんざりしたような目で私を見て、首を傾げる。
「…お前疲れないのか?そんな大声出して」
「疲れますよ!だから、とりあえず何もせずに大人しくしててください!後生ですから!」
「…俺が素直にお前に従うと思うか?」
「……ですよね…、」
何処から取り出したのか、新しい酒瓶のコルクを外しはじめる彼に、私はそっとため息を吐く。
しかし町を変に闊歩されるよりは、ここに居てくれた方がましかもしれない。
アグニさんに戻った後、彼は宴会の準備をするために、即刻厨房へと向かわなければならないのだから。だったら、なんとしてでも、彼をこの地下室に止めて置かなくては。
彼が飲んだお酒に関しては、私が溢してしまった、ということで押し通そう。と、悪巧みをしながら(そうにしか思えない悪人面だ!)さして美味しくもなさそうにお酒を飲む彼を見てそっと心に決めた。
今回は一体、何分コースになるだろうか。前回のような1日コースはごめん被りたい。切実に。
「…これ呑んだら外にでも出るか」
「え」
そう考えていた矢先の彼の言葉に、思わずギョッと彼を見る。すると、口元を拭いながらスッと涼しい目元が此方に流れてきた。
「…図星」
「な、何がですか?」
「今、お前が俺に一番やって欲しくないこと」
「っ!」
悪戯な切れ目がスッと細められ、口元は意を得たりと言ったふうに意地の悪そうな笑みが浮かべられていて。私は口を開けたままに絶句した。
「…分かりやすいヤツ」
「なっ…!?なっ…!?」
「顔に書いてある」
続けて彼は、喉奥で笑いつつ、私の眉間に人差し指をそっと押し当てた。私は、ただ彼の瞳を、腑に落ちない気持ちで見上げるしかない。
「…そうだな…、」
「んん…?」
彼は、人差し指を私の眉間にグリグリと押し付けながら、顔を横に向け思案するように呟く。
「…………よし、」
首を傾げ、彼をぼんやり見ていると、やがて彼の顔が、再び此方に向けられた。そして何を思ったか、そのままパチンと私の眉間にデコピンを喰らわせたのだ。
「い゛っーー!?」
勿論、言葉に出来ぬ程の激痛が頭蓋にまで響いたことは言うまでもない。
「な、…何すんですかっ!?」
「この前のことに免じて、今回はお前に従ってやろう。」
「……はぁ?」
おでこを両手で抑え、半ば涙ながらに食って掛かる私に、彼はあくまで平然と言い放った。私は彼の提案に首を傾げ、眉を潜めたままに言葉を返す。
「免じて…って…私、何かしましたっけ…?」
すると彼は、何故か薄く笑みを浮かべ、ゆるりと目を細めて私を見た。
「……生意気にもこの俺に意見した、その度胸に免じて、今回は取り敢えず大人しくしておいてやる」
「……アルシャドさん…、」
酒(王宮の)を口に運びながら、堂々とそう口にする彼の雰囲気が、何処か丸く感じられるのは、私が彼に慣れてきただろうか。それとも。
何にせよ、本当に本当の極悪人というわけでもないのかもしれない。そう思うと少し肩の力が抜けた気がした。
「…大人しく…?…すでに酒瓶を2本も空けた人間が言う言葉じゃないですけどね…」
「…あ?」
「いいえ!」
私がため息混じりに呟いた言葉に彼は片方の眉を上げてみせたけど、私は直ぐ様首をふり、自然と彼に笑いかけていた。
「助かります!ありがとうございます、アルシャドさん!」
「っ、」
彼は少し驚いたように動きを止めて私を見ていたけど、やがてフイと私から目を反らして口を開いた。
「次…、」
「…はい?」
「次は、散々振り回してやるから、覚悟しとけ」
「っ………!?」
彼は表情を一変させた私に、至極満足そうな視線をよこした後、優雅な動作で以て3本目の酒瓶を仰いだ。
前言撤回!!
(やっぱり悪人だっ!!!)