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『次は散々振り回してやるから、覚悟しとけ』


あの日(結局彼は、計7本の酒瓶を空けた)、地下室でアルシャドさんにそんな約束を無理矢理締結させられ、その宣言が現実のものとなる迄には、そう時間はかからなかった。


「振り回してやる約束だったな?」


「………はぁ、」


目の前の彼は、今回の変身の理由については、さほど興味が無いらしい。

彼は、アグニさんから、アルシャドさんへと姿を変えるなり、小憎たらしい悪人面でニヤリと笑って見せ、有無を言わせぬ勢いで、市場へとくり出すべく颯爽と身を翻した。

そんな約束してません!とは、この前、迂闊にも彼に作ってしまった借りがあるため、とても言えたものではない。


そんな私は、現在進行形で、文字通り、宣言通り、彼に「振り回されて」いるわけで。


彼ノチ、モト彼!
*Fourth Contact


「……お財布がみるみる軽くなっちゃったんですけど…ナニユエ?」

少し前を歩く彼の後ろを、私は、悲しいくらいに軽くなったお財布を眺めながら、トボトボとついて行く。

そんな私の呟きに彼は足を止め、ちらりと振り返る。その手には先ほど市場で買った、果物や食べ物が紙袋に包まれ抱えられている。


「…だからその金、博打で倍にしてやるって言ってるのに…」

「賭け事はなしです!」

「……相変わらず固い女だな、」

飄々とそんなことを言ってのける彼を、キッと睨むも、彼は当然顔色一つ変えない。それどころか、溜め息混じりに涼しげな口許で嫌みを口にしたりする。


「悪かったですね!!固い女で!前にも言いましたが…、」

「…うるさい。……言われなくても、分かっている」

「へ?」

彼は私の言葉を遮り、ふいと再び前を向いた。

「…“後ろめたいことはなし”、だろ?」

「っ、」

「……ったく、…面倒にも程がある、」

私は彼の予想外の言葉に思わず目を見開き立ち止まる。乱暴に紡がれた言葉は、私が前、彼に向けて放った言葉だった。

「…………」



気のせいだろうか。初めて出会った時に比べ、少しばかり付き合いやすくなったように感じる。

言葉と言葉が、お互いの胸目掛けて、発されているような。

「よく覚えてましたね、私のお節介な言葉なんて」

「…は、…たまたまだ、」

彼は、乱暴に小さく呟いたけれども、その言葉には、牙のように、相手を威嚇するような意図は感じられず。それはむしろ、拗ねた子供の言い訳のようにも聞こえ、どこか彼の後ろ姿を幼く見せた。

「というか、私の少ない財産を、躊躇いなく使うことに対しては、後ろめたくないんですか?」

「不思議なことにな、」

「しれっと何言っちゃってるんですか!」

「にゃあ」

突っ掛かる私を、彼は溜め息混じりに眉をしかめて振り返る。そんな彼を、むむ、と睨むも、突然発された奇妙な言葉に、彼を見たまま首を傾げた。


「……にゃあ…?」

「……阿呆か。俺が言ったんじゃない。」

「それじゃあ……」

「……………」


にゃあ


その鳴き声に促されるように、二人同時に下へと視線を落とせば、彼の足元に、灰を被ったような一匹の子猫が、前足を揃えてちょこんと座っていた。

にゃあ

子猫は再び、彼を見上げてすがるような声で鳴いた。


「…なんだ?」

「食べものの匂いに釣られちゃったかな?」

私は、そっと子猫に近付き、その場にしゃがんで背中を撫でた。彼は、眉を寄せたまま、小さな子猫を見下ろしている。子猫は、そんな彼のガン飛ばしにびくともせず、また可愛らしい声で、ミー、と鳴いた。


「…やっぱり、お腹空いてるのかもしれないですねぇ」

「…………」


私の言葉に、彼はため息を吐き、その場にしゃがみこんだ。そして、抱えていた紙袋をがさつな仕草で以て漁り、その中からパンを取り出すと、小さくちぎって掌にのせ、子猫の目の前に差し出した。

「…ほら、」


すると子猫は、もたもたとした動作で彼の掌からパンを食べ、催促するように彼の掌をペロリと嘗めた。


「ははっ、“もっと”だそうですよ?」

「……ったく、妙なのに捕まったな、」

「………」

それなら、子猫なんか放っておけばいいのに。

そんな言葉を心に浮かべ、口には出さずにチラリと彼の顔を伺った。


彼は心底迷惑そうに呟きながらも、子猫のために、またパンをちぎってやっていた。その仕草は、乱暴なれど、子猫に向けられた眼差しは、どこか柔らかで。


多分、出来ないんだ、きっと。放り出すなんてことが。とがって見せてはいるけれど、この人はもしかして、尖りきれずにいるのかもしれない。

何となく、そんな気がした。


「…素直じゃないですねぇ」

「あ?何か言ったか?」

「いえいえ、別に」


不思議そうに首を傾げる彼に、苦笑を返す。彼は、自分の中に存在している優しさに、気付いていないのかもしれない。


「すっかりなついちゃいましたね」

「…………」


子猫はパンを食べ終えてからも、彼の足元から離れようとはしなかった。そんな子猫を、彼は珍しく困ったような表情で抱き上げ、しかめ面のまま子猫にガンを飛ばしている。


「アルシャドさんを困らすなんて、アンタ大物だね、」

「………、」


子猫相手に、困ったように顔を歪める彼の様子が妙に明け透けで、思わずケラケラと笑った私に、彼は無言のままに、至極不満げな視線をよこした。


「このコ、アルシャドさんと同じ、灰色ですね、」

「……………」


道端に腰掛け、彼の腕の中の子猫を眺めながら、ふいに思ったことを口にする。子猫の毛の色は、彼の流れるような銀色の髪と、よく似ていたのだ。


「………あぁ、」

彼は、伏し目がちに、そっと子猫の頭を無骨な掌で撫でた。

「……どっち付かずの灰色だ、」

「…え?」


私は、思いもよらない彼の言葉に、視線を思わず子猫から彼へと移した。


「…司祭階級に生まれておきながら、聖者のようには生きられず、…かといって、振り切るように罪を重ねても、…まだ、心が迷う…、」

「…………」

「……後ろめたいことを、散々やっておきながら…本当に、今更だ、」

ポツリ、ポツリと溢れる小さな言葉は、彼に似合わず、悲しげで、私は耳を疑った。でも、いつもは威圧的に映るその横顔が、何故だか酷く、寂しげに見えた。

この人は、ずっと、迷ってきたのだろうか。


「…結局、…白にも黒にも染まりきれない、臆病で卑怯な、灰色だ、」

「…………」



苦しげに呟かれた言葉は、痛々しくて、私は、かけるべき言葉が見付からず、口ごもった。

にゃあ

しかし、次の瞬間、彼の腕の中の子猫が、甘えたように背伸びをして、彼の鼻の頭をペロリと舐めた。


「……は?」

「…っ、」

彼は、不意を突かれたような面食らった表情でキョトンと子猫を眺めていた。



「っ、はは!!ほら、アルシャドさんが珍しく弱気だから、このコも気を遣って慰めてくれてるみたいですよ?」

「なっ……、誰が弱気だ!!」

頬を赤くし、慌てる彼は、とても珍しく、とても人間らしい。ポーカーフェイスを気どっているよりも、ずっと。

「いいじゃないですか、灰色。」

「…は?」

「迷う、ってことは、ちゃんと自分の人生に、積極的に向かい合っているからでしょう?」

「………でも、…」

「誰も、完璧じゃありません。聖者なんていませんよ。…でも、アルシャドさんは、真っ白じゃないかもしれないけど、真っ黒でもないんです。」

「っ、」

「あれだけ悪いことをしていても、黒に染まりきれずにいるのでしょう?まだ、白への憧れも、捨てきれずにいるのでしょう?なら、私は、まだまだ今更なんて思いませんけどね。」

「…………」

「遅くなんて、狡くなんてありません。今更なんてことは、決して、ありません」


悩んで迷うのは、真っ直ぐに生きようとしているから。情けない自分を、変えて行こうとしているから。

そうだ。だから、アルシャドさんがいるからこそ、アグニさんがいるのだ。

「…私も、」

「…?」

「私も、…こうして、貴女に出会っていれば…もう少し早く、やり直せていたのでしょうか…、」

「何言ってるんですか!今からでも遅くないって……、あれ…?“私”…?」

隣から聞こえてくる声が、急に柔らかになった気がして視線を向ければ、彼の姿は無く、そこには、

「ア…アグニさん!?い、いつの間に!!」


緑のクルタにキチンと身を包んだ彼が、子猫を抱き締めたまま、ぼんやりとそこに腰掛けていた。

「アルシャドから、私へと変わる寸前、頭の何処かで、貴女の声が聞こえていました、」

「え…?」


「…もし、もっと早く、貴女に出会っていたのなら…、このような呪いに煩わされることなく、貴女に向かい合えていたのでしょうか…、」

「…アグニ、さん?」


その横顔は、さっき見たアルシャドさんの横顔とよく似ていて、どこか、寂しそうだった。


化の時
(私は、まだ気付けずにいたけれど)



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