アグニ/短編
□私達の帰趨
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「な、なんなの!?母親みたいなことを、次々と!」
「っ、」
数々のお節介な質問に耐えきれず、意を決して反発する。だってまるで彼の態度は、年頃の娘をもった母親だった。
彼は私の言葉でようやく我に返ったようで、グッと言葉を詰まらせる。そしてまた数分前と同じに、目を伏せて言葉を言い淀むも、やがて何かを心に決めたように真っ直ぐに私の目を見た。
「最後に、もう一つだけ…。」
「何よ。」
「…その方は、姉上を、本当に幸せにしてくれますか?」
「っ、」
彼の銀色の瞳が、真っ直ぐに私を捕らえる。
「…こんなことを言える立場ではないことは、重々承知の上です…。」
「………。」
「しかし…!姉上だけには…、貴女には、きっと幸せになってもらいたいと思うのです…。貴女には、どんな時でも笑っていてほしいと、そう、思うのです。」
「アルシャド…。」
彼が更正した。
その事実に素直に納得出来ていない自分のことが、少しだけわかった気がした。
私が結婚する。
その事実に素直に納得出来ない彼のことも、少しだけわたかった気がした。
結局のところ、気になるのは、互いの笑顔が絶えていないかどうかなのだ。幸せであるかどうかなのだ。
大切な存在だからこそ、事実だけでは納得が出来ない。目を見て、言葉を交わして、確かめたい思いが、そこにある。
「……ほんと、あんたが言えた義理じゃないわよ。」
「……。」
「優しい人よ。ちょっとオヤジクサイとこもあるけれど、真っ直ぐに生きている人。それにね、笑ったときに出来るシワがね、なんだか可愛いの。…きっと、幸せにしてくれるわ。」
頑なだった彼の表情がふっと溶けた。私の大好きな、大好きだった穏やかな表情。
彼は、昔と変わらない。
「安心、しました。」
「…私も。安心。」
「へ?」
彼は不思議そうに首を傾げる。どこか幼いその表情は、確かに私の知る彼だ。
「こっちの話よ。」
秘密めいた笑みをみせた私に、なおも彼はパチパチと不思議そうに瞬いて見せたけども、やがて思い付いたように立ち上がり、私の側へとひざまづいた。ぎょっとした私をよそに、彼は頭を垂れる。
そこで私は彼の意図に気付いた。
「あの時のことは…決して謝って許されることではありません…しかしっ!」
「いいの。止めて?」
彼の言葉を制止する。違う。私は彼にこんなことを言ってほしいのではない。
「…そんな言葉が聞きたいんじゃない。」
貴方に一番、言って欲しい言葉がある。
「…ねぇ、分かるでしょ?」
彼が私を見上げる。戸惑い色が、その瞳の中に揺れているのが分かるようで。
5年という月日を思い出すほどの沈黙の後、彼はようやく、昔のように微笑んだ。
「おめでとうございます。姉上。」
途端、胸にこみあげてくるコレは、思い出か、憎しみか。それすら越えたなにかか。懐かしい唄にも似た、その思いは、愛情と憎悪をごった返したものだった。
しかし、形は歪なれど、決して、愛には変わりはない。
「…うん、…うん。…ありがとう。」
彼の前でなんて、泣いてやるものか、と意気込んでいるため、唇がへの字に歪む。
だって、せめて、何年振りもの再会なれば、立派にお姉ちゃん面、したいじゃない。
「…でもやはり…謝ってすむことでもありませんが…。」
「ばか、ほんとよ。許せるわけない。」
「…はい、もちろん。」
「…でも、」
どこまでも律儀で優しい彼に、それでも許しきれない自分に、いつかは、素直に向かい合うことが出来る日が来ると信じて。
「ちゃんと幸せになって、あぁ、あんなこともあったね、なんて、あんたのことを許せる日が来るから。…きっと来るから、」
その時が来たなら、また。
「……いいえ。」
今度は彼が私の声を柔らかな声で遮り、そっと私の手をとった。
「許さなくともいいのです。…許されることでは、ないのですから。」
「………でも、」
「…ただ、これだけは、絶対、何があっても、」
目を閉じた彼が、私の手の甲に口付ける。
「どうか、」
お幸せに。
囁く言葉は祈るように。その口付けは願うように。懺悔するでも許しを請うわけでもなく、ただ祝福を、と、唯一私の未来に光をと。
つまらない意地だって、溶けるほどに、彼の思いは潔くて、穏やかだった。
なんだ。結局、どんなにもやもやしていたって、顔を合わせてしまえば、こうなんだ。なんて厄介でなんて単純。それでも、それだからこそ、兄弟なのかも、なんて。
私は胸一杯の幸福感を感じたままに、視線の先の彼に、涙顔で笑って見せる。
「ありがとう。」
霞んだ視界の先で、彼も笑った気がした。
大丈夫。マリッジブルーも吹っ飛んだ。幸せになる準備が、もう、整った。
私達の帰趨
(ただ幸せに笑っているのなら)