histoire

□金曜日
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本を取り上げられた。何処に焦点を合わせていいのか分からない。
例えば時計を見れば、動く文字盤と静止する秒針との雑音が聴こえる。短針だとか、長針だとかそんなものはどうだっていうのだ。そこに罫線があれば私は文字を只管綴る、それだけなのだ。
ヒステリックな担任の女教師は、唾を飛ばして喚いている。不鮮明な文字が一層私を焦らせた。
さようならは緑と青、それに赤と紫と白、そして少しの銀色。
其れらが頭の中でどのように鳴っているのかは私にだって分からない。脳漿をぶちまけた映像はゲロと融合する。特に意味は無い。
嘔吐するというのは黄色の行為、それとハ短調。

雨は陰鬱なリズムを刻む。街灯は明滅する。
コンクリート壁の続く通学路に、鳩の死骸が落ちていた。一昨日の朝よりも強烈な臭いを放っている。コンクリートが赤に変わった。口の中は、いつか夢の中で食べたステーキの味で満たされた。

「迷子の迷子の」
その先が思い出せない。雨は強くなる。
ふと、すれ違い様に誰かとぶつかった。
ぶつかってきた相手は、舌打ちをしながら何やらブツブツと呟いていた。やがて発情期の雄鹿のような眼をこちらへ向けてきた。
「おい、喧嘩売ってんのか?」
そんなつもりはない。それより、カッターナイフは何処だろうか。
母から借りたものだから、無くしてはいけない。
ポケットの中も、鞄の中も、靴の中も、袖の中も、何処にも無い。
ああ、また今日も蛙の煮浸しを食べさせられるかもしれない。無い、何処にも無い。私は何を探しているのだ?さっきから、ループするベートーベンだかショパンだかの交響曲と共に、隣で眠る猫は今日の晩御飯。

「あら」
先刻、ぶつかってきた人が持っていた。所々錆びているカッターナイフ。母のカッターナイフ。
ありがとうと軽く礼をし、右目に突き刺さっているカッターナイフを引き抜いた。眼を押さえ、ダイナミックな嬌声をあげていた。耳を裂くような騒音は橋の向こうまで聞こえていた。あん、あん、ああん、あん、涙混じりの卑猥な悲鳴、喘ぎ。

赤と黒と白。

「迷子の迷子の」
その先が思い出せない。
迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の?迷子の迷子の?迷子の?の?の?

ラジオが聞こえる。煩い!迷子の迷子の?迷子?煩い!黙れ!迷子の迷子の?黙れ!気狂い!迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の迷子の?の?迷子の?

あったあった、あったよ、ママ。
カッターナイフ、見つかった
ね、
この煩いやつ、黙らせよう
良い考えだろう?

居場所なんて無いのだ。
なんせ、世界は常に廻り続けていて、一度置いてけぼりにされたら飛んでいってしまうのだから。

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