頂物

□幸福論(雪名生誕記念フリー文)
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幸福論(雪名生誕記念フリー文)






「出来たぞー……って、何やってんの」




綺麗に切り分けられた、出来立てほやほやのアップルケーキを片手に、木佐がひょいとリビングを覗けば、雪名はテーブルの上に何かを広げながら何とも幸せそうな微笑を浮かべていた。
その姿にコトリと首を傾げつつ声を掛けると、雪名は輝かんばかりの笑顔を木佐に向け、――見てください、と木佐にも見えるよう身体をずらし、テーブル上にあるものを指し示した。
そこにあったのは一枚の紙切れ。
けれどただの紙切れでは無い。
それは、記入済の婚姻届、だった。




「…さっき棚を整理していたら見付けたんです」

「〜〜〜〜っ!!!」

「――翔太さん、大事に取っておいてくれたんですね」




幸せそうに、嬉しそうにふわりと微笑む雪名に対し、木佐は、ただただその顔を下から上へと熟れた林檎のように真っ赤に染め上げ、言葉無く俯くばかりだった。




諸外国で急速に同性愛に対しての認識が広まり、許容されてきていることを受け、近年我が祖国でも同性婚に関しての議論がなされてきた。
そして雪名と出逢ってしばらくした頃に見事法案が成立、翌年には施行されることとなった。
それに伴い、同性と付き合っていた周囲の面々がこぞって婚姻届を提出したのには正直驚いたが、何より驚いたのは区役所の人達だっただろう。
婚姻届を提出しに来たのが揃いも揃ってイケメンカップルなのだ、何だこの顔面偏差値の高さは、とさぞ驚いたに違いない。
しかし、そんな沸き立つ周囲を余所に、木佐は何とも冷静だった、いや自分には関係の無いことだと思っていた。
なんせ付き合っている相手はまだ学生と若かったし、何より、幾ら公に認められるようになったとは言え、まだまだ世間の風当たりは強かったものだから、同性かつ9つも離れた自分と結婚、などとても考えられる話では無かった。
むしろ恋愛の先に、結婚という具体的なゴールが敷かれたことを理由に、いつ手を離すか離されるか、当時はそればかりを考えていた気がする。
―――けれど。
その年の9月、雪名の誕生日に、当の本人が記入済の婚姻届を木佐の前に差し出し、こう言ったのだ。
「もう少し俺が社会的に大人になるまで待ってもらえませんか」
――本当はすぐにでも籍を入れたいんですが、自信を持って木佐さんの隣に並べない今、それは出来ませんから。
そう今までに無く真剣な眼差しを向け告げられたとき、――雪名の明るく穏やかな未来を思うならここで手を離すべきだ、と、確かにそう思ったのに。
思いがけない雪名の言葉で呆気に取られていた筈の木佐の表情は、みるみる内に歪み、やがてはらりと一筋の涙がその円やかな頬を伝った。
そうして、どうやら時既に遅し、もはや手を離せないところまで来ていたのだと、木佐はこの時ようやく気が付いた。
それから数年、色々ありながらも何とか無事に結婚へと至り、そして、今。
まだ学生だった雪名が誓いの意を込めて記入した婚姻届が発見された。
結婚する際、改めて婚姻届を取りに行き、記入したものだから、当然雪名が以前書いた記入済の婚姻届は残っている訳だが、まさかこのタイミングで見付かるとは。
奇しくも雪名にそれを渡された日と同じ9月6日、雪名の誕生日に見付かるだなんて、一体何の因果だ。




(…もっと違うところに隠しておけば良かった……!!)




あぁぁ、と内心うなだれながら、木佐はチラとテーブル上のそれを見遣る。
擦り切れるとはいかないまでも、何度も開いたり閉じたりしたような折り目が付いていることに、雪名はきっと気付いていることだろう。
木佐は何かある度にそれを開いては勇気を貰い、励みとする、まるで一種のお守りのように大切に大事にしていたのだ。
――なんて、いま思うと何とも恥ずかしく、木佐はすぐにでも婚姻届を隠してしまいたい気持ちに駆られたが、雪名はそんな木佐の心情など露知らず、幸せを噛み締めるような至極柔らかな笑みをその綺麗な顔に掃き、甘やかな低音で木佐の名前を呼んだ。




「――翔太さん、ありがとうございます。何だか、思いがけないプレゼントを頂いちゃいました」




そう言って雪名は、じわりじわり内側から滲み出る幸せや喜びをそのまま表情に描き、まるで昔に戻ったみたいに幼い顔で笑った。
それが当時を思い起こすようで何とも照れ臭くて。
赤みの引かない顔を隠すよう木佐は、「あぁもう分かったから。それよりほら、ケーキ出来たぞ」と手に持っていたケーキを雪名に差し出した。






付き合い始めて3年目の誕生日、『木佐さんの手作りケーキが食べたいです』という雪名の言葉に乗せられ、幼い頃、母がよく作ってくれたアップルケーキを振る舞った。
とは言えそれは、フライパンで簡単に作れる手軽さ溢れるケーキであったが、雪名は非常に喜び、以来、雪名の誕生日には木佐がアップルケーキを焼くのが恒例となっていた。
そうして今年も例に漏れず、昼食後おやつ代わりを兼ねてせっせと作り、今、リビングにて向かい合ってそれを食している訳だが、




「……なに、」




ケーキを一口サイズに切り分けて、フォークに刺し、口に運び入れ、咀嚼する、その一連の流れを、雪名自身も同じくケーキを口に運びながら、横目でチラチラと木佐を見つめていた。
その突き刺さるような視線に、思わず木佐の眉がきゅっと寄せられる。
けれど雪名は口元に穏やかさを湛えて笑うばかり。




「いえ、翔太さんの食べてる姿はいつ見ても可愛いなぁ、と」

「もー、毎日それ聞いてんだけど。いい加減、聞き飽きた」

「えー、だってほんと可愛いんですもん」

「せめて他に何か違う言い方とか無いわけ」




出逢った当時と変わらず素直に思ったことを口に乗せる雪名に、知らずと呆れ混じりの苦笑が浮かぶ。
共に過ごす年月を積み重ねるにつれ、『可愛い』と言われて真っ赤になることは無くなった。
とは言え、嬉しくない訳でも恥ずかしくない訳でも無い。
ただ少し、雪名の想いをそのまま受け止める余裕が出来つつあるだけだ。
だからこうして軽口を叩けるようにもなったのだけれど――




「可愛いのは可愛いとしか言えないじゃないですか――って、翔太さん」

「なに、」

「聞き飽きた、って言うなら、この言葉も聞き飽きちゃいましたか??」

「――は、何を」




テーブル越しに右手を伸ばし、木佐の左頬に添え、雪名は目を閉じた。
そして、長い睫毛をふるりと震わせながらゆっくりと瞼を開くと、そこに現れたのは普段の穏やかなそれではなく、心の深淵をも見通すような深い色をした瞳。
それに捕われたように木佐は身動きひとつ取れず、ただただ瞳に映る自身の姿を見つめ、一秒、二秒、三秒。





「―――翔太さん、愛してる」





窓に雨が滴り落ちるよう、そっと落とされた音は胸でも心でもなく、背筋に、腰にジクジクと甘い震えを齎し、木佐の顔を瞬時に赤く染め上げた。
と同時に、声にならない叫びが木佐の内に何度もこだまする。




「『可愛い』って言っても昔みたいに真っ赤にならなくなったのに、この言葉には変わらず真っ赤になってくれるんですね」

「……あああ当たり前だろ、馬鹿っ!!」




『可愛い』と『愛してる』では、含まれた重みが、向けられる表情が、まるで違う。
故に前者はともかく、後者はきっと何度言われ続けたところで慣れる日など来ないだろう。
未だ鳴り止まぬ激しいまでの胸の高鳴りがそう告げている。
第一、あんな瞳で表情で見られたら堪らない。
重ねた歳の分、少女漫画から飛び出てきたかのような王子様は男の色気というスキルを身に付け、着々とレベルアップしているのだ。
耐性なんて作る暇も無い。
そしてそんな王子様は、歳を重ねてもやはりズルかった。




「…ね、翔太さん。
そういえば、お祝いの言葉、まだ聞いてないんですけど」




その瞳はすっかり凪いだ湖のようなそれへと変わり、深さを帯びたものから一変、甘さを含んだ声でおねだりを口にした。
…あぁ、昔からズルいと思っていたけれど、それはいつまで経っても変わらないらしい。
いやむしろ年々酷くなっている。
声、視線、笑顔。
その存在ひとつで雪名はいとも鮮やかに木佐の心を掻き乱す。
それが何だか悔しくて、




「……誕生日、おめでとう、皇」





――俺も…愛してる。





年甲斐も無く意趣返しのように甘さを舌に乗せてそう囁けば、雪名は目を見開き、そして、砂糖と蜂蜜を煮詰めたかのような甘ったるい笑みを浮かべた。

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