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::ふたり酒



 カラリと、両の手に包まれたグラスの氷が音を立てた。

「お客様、おかわりはいかがでしょうか」

カウンターの中からバカ丁寧に尋ねられ、わたしはすぐに同じものを頼んだ。

「‥ねぇ、マスター」

「なんでしょうか?」

「わたし、ロボットなのよ」

 マスターはカウンター越しに訝しげな視線を寄越した。

「毎日‥規則正しく生きて、仕事も形式ばってて、人との対話ですらわたしの中でアルゴリズムが構築されてる‥挨拶して相槌を打って、でも想定外の返答を貰うとフリーズしてしまう‥」

なみなみと酒が注がれたグラスを弄びながら切なげに目を細める。

「こうしてポンと休みを貰ったって、することが思いつかない‥整えられたプログラムを実行するだけの機械でしかないのよ、わたしは‥」

 ふらりと入った行きずりの店で溜めに溜めてた気持ちを吐露する。
神に懺悔をする時は、きっとこんな気持ちなのだろう。
とにかく、誰かに聴いて貰いたい。

「お客様‥」

「ごめんなさい、こんな愚痴、迷惑でしたよね」

 少し気まずくなってグラスを半分空けた。
 仕事自体に文句があるわけではない。そうやって四角四面にしか動けない自分が嫌なのだ。
 少し酔いが回ったのか、耳元で妙に鼓動が大きく聞こえる。
この規則正しく刻まれる音すらも時折、歯車の軋みなのではないかと疑ってしまう。
そしてわたし自身もこの広大な「世界」という名のプログラムを実行する一片の回路でしかないのだと気付かされて、死にたくなる。

「お辛いのですか?」

「‥えぇ、ツラいわ‥」

 この世界では自己が埋没して、気付けば深く、掘り下げられないほど深くに消えてしまう。
恋しくて手を伸ばしても空をきるばかりだ。
 マスターはわたしの答えを聞くと、表情を緩めた。

「機械はそんなことは言いません、プログラムを実行することが是ですから」

 その言葉に瞬いてマスターを見直す。

「機械は愚痴も言いません、不満など感じませんから。迷惑ではないかと気遣うこともしないでしょうね」

口の端に仄かな笑みを乗せて淡々と述べるのだが、しかしそれは不思議と暖かみのある言葉となってわたしに降る。

「"自分は機械だ"という比喩表現もお上手ですし、それも」

「"機械にはできない"?」
 
 続く言葉を奪ってみると、マスターはほんの少しだけ、笑みを深くして「ええ」と頷いた。

「規則正しい生活と仕事は、社会からそうあるべきと期待されて、それに添うようにあなたが努力しているだけです。
 人との対話も、機転の効いた受け答えができないことが、もどかしいのでしょう?相手がつまらなく感じているのではないかと、不安で」

「えぇ‥そう」

何故だろう、吐息が震える。

「わたしにはあなたが機械とは思えません‥真面目で、でも不器用で心優しい『人』にしか見えません」

「‥‥‥っ」

「『人』にしか、見えませんよ」

 優しく言い含めるように繰り返されて、自分の中で卑屈に凝り固まっていたものがじんわりと溶け出すのがわかった。
それは笑みをつくり、頬を濡らした。
 誤魔化すようにグラスの残りを干すと再び同じものを注文した。

「かしこまりました」

 そう応えたマスターが、とても優しい顔で微笑むから。
 貰った言葉を反芻しながら、歯車の軋みでは絶対ない音を聞きながら、もうしばらくはこのまま酒とこの空間に酔おう。

 胸の音が早いのはバグではなく、人間の特権。



【mechanization of a heart】心の機械化
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