BASARA

□幸せだった昨日 後編
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ちゃぷちゃぷと黒い波打ち際。
裸足で触れれば冷たく、けどそれが心地良い。
許可が出れば泳いでみたいが、辺りはそんなものではない。
真っ黒の空、真っ黒の海。
白いのは砂浜と月だけ。
太陽のように照り付ける月。
眩しいとさえ感じる感覚に違和感を感じる。

私は今何処にいるの。
波打ち際から離れ砂浜を歩く、延々と黒い空に沿う砂を足で掻き分けていく。

私は、何かしなくてはいけなかったのでは無いか。
何か、大切な事。



そう、生きる事だ。



頭の中にそれが浮かんだ瞬間、辺りの砂が水に変わる。
ジャポンッと水に飛び込み、口から酸素を吐き出してもがく。
きっとこの水は私を戻させない気なのだと。

戻る、何処に。
愚問だ。

私は久秀さんの頭を一発ひっぱたかなくては気が済まない。

そんな失礼な事をたぎらせた瞬間、水が弾け私の体は空中に浮遊する。
良く見れば水に火が着き、次々と蒸発していく。

小さな火。
暖かい。
それでいて寂しい。

まるで。















規則正しい心拍数を知らせるシグナルが揺れる。

真っ黒な空から私は真っ白な天井の場所へとやって来た。
暖かい、ベッドの上。
白いカーテンの外は晴れているのか淡く眩しい。
口に付けられたマスクのような呼吸器に、腕に何かが刺さっている感覚。
点滴だ、と横を向いた時。

心臓が止まるかと思った。

ベッドの横で椅子に凭れ居眠りをする小火、失礼、久秀さんだ。

そこで事の顛末が解った。
久秀さんは私を見付けてくれて、助けてくれたのだ。
私を生かしてくれたのだ。

じわっと込み上げる涙が枕へと吸い込まれる。
小さく漏れた嗚咽に、久秀さんの眉が僅かに揺れた。
そのままゆっくり瞼が開き、梟の様な眼差しが真っ直ぐに向けられる。

怪我をした恋人が目覚めて早々泣いている。

これは大層な事だったらしく。


「…何故、泣いているのか…」
「…っ」
「何処か痛むのか?鎮痛剤が切れたか…又はこの病院が藪だったか」
「ちが、います」


マスクを震える手で外し、久し振りに喋ったのか喉が乾燥している。
掠れる声で首を左右に振ると久秀さんが無事な方の手を優しく握ってくれて。
その余りにも甘美な表情に殴ってやろうと思っていた手を下ろすしか無かった。


「…私…どの位眠ってたんですか…」
「何、ほんの二週間だ」
「…うわ」
「卿のお陰で仕事が全く片付いていない、いやはやどうしたものか」
「…起きて、早々…酷くない、ですか」

「おや、卿は気付かぬ、か。二週間私は会社にも行かず此処でずっと卿の目覚めを待っていたのだと、暗に言ったつもりであったが」


回りくどい。
呆れる程欲しい言葉を吐くこの男が憎い。

一度は消沈した感情がまた込み上げる。
ぼんやりと揺らぐ視界に久秀さんが更に近寄り、覆い被さるように抱き止めてくれた。
暖かい、安心出来る、やっぱりコンクリートとは違う。
片腕しか動かせないけど、久秀さんに応えるように頬を寄せる。

戻って来れた。


「…卿が血溜まりの中で浅い呼吸をしているのを見て、私は酷く混乱した。可能性として予測出来た状態をいざ目の当たりにした瞬間、怖い、と初めて感じたよ」

「久秀さんの…恋人、って…言われて…疑わなかった私がいけないんです…、でも疑ったら自惚れに」
「自惚れたまえ、私の恋人の席は…生憎卿の名前で予約されている」


髪に顔を埋めリップ音を立ててキスをくれる。
あの暗く辛かった路地裏から出て、今はこんなにも明るく幸せな空間にいて。
主悪の根元で最愛の人に助けられた。

一頻りお互いを堪能した後、私の病状を教えてくれた。
両足、片腕骨折。
肺出血。
打撲。
擦過傷。
その他メンタルに至るまで。

短時間で欲張りな事で。

全治三ヶ月。
二ヶ月の入院の後暫しは自宅療養。
学校が、と等は言えないのは解っている。
自分だってこんな醜態見られたくは無いから。


「この病院で一番広い一人部屋を用意したから何か欲しいものがあったら言いなさい」


目覚めた事を知らせる為にナースコールを押して体を離すとお互い目が合う。
随分長い間会っていなかった気がする。

久秀さんの顔がまた近寄りゆっくり私に口付実に満足そうに笑みを溢した。


「…随分…帰宅に時間が掛かったではないか…道草かな?」
「誰かのせいでトラブりまして」
「おや、聞き捨てならないな」

「…ふふ、ただいま…久秀さん」
「あぁ、お帰り」



幸せだった昨日 後編

(それから三ヶ月、久秀さんはべったり私から離れてくれなかった)

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