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□幸運の鈴はすぐそばに。
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起きろ、と、低い声がしてぐらぐらと体が揺れる。
一度浮上したくせに、また眠りに落ちようとする意識を何とか保って四足で立つ。
ぐぐーっと背中をそらして伸びをして、ついでに出た大きな欠伸を噛み殺せるわけもなく大きく空気を吐き出すと滲み出た涙と一緒に眠気も大分飛んで行った。

「おはよう。」

「あぁ。」

今かぶっているものがいつもの毛布じゃないことに気づいて腕を伸ばすと、真っ白な枕に手が触れた。
昨日は自分の布団で寝たはずなのに、と首を傾げていると、ぐしぐしと大きな掌で頭を撫でられてまだあまり力の入らない体がぺしゃんとまた布団の上に沈む。
持っていた枕を抱きかかえながらごろんと仰向けになると、服を着替えているたけまるさんが見える。

「……。」

「お前も着替えろ。」

「んにゅっ!」

枕の隅を噛みながら着替えているたけまるさんを見上げていると、呆れた様に声がかけられて俺のTシャツが降ってきた。
もう少しごろごろしていたかったけど仕方ない。
パジャマを脱いで緑色のシャツに袖を通す。
同じように投げられた俺専用のズボンもちゃんと履いた。

たけまるさんに飼われ始めてから数か月が経った。
最初は凄く怖かったし人に飼われるのも初めてで、何をしていればいいのか何一つわからなかったけど、今ではこの生活にも慣れてきて毎日楽しんでいる。
最近は家の外にも友達ができた。
服の着方もわからなかったころが懐かしいなと思いながら上着のチャックを上げる。
たけまるさんが買ってくれた、おそろいのコートだ。
耳をフードの中に、尻尾もコートの中にきっちりとしまいこんで台所に行くと、ミルクを温めるいい匂いがした。

じっと台所で作業するたけまるさんの隣で手元を覗き込んでいると、マグカップで温められたミルクを深皿に移し替えたものが渡される。
いつも通りパン粥を作ろうとテーブルの上に器を置いて、隣にあった食パンを二枚トースターに入れてタイマーを回した。
袋からもう一枚パンを出して、湯気を立てるミルクの上に小さく千切って浮かべる。
ミルクを吸ってゆっくりと沈んでいくパンのかけらを眺めるのが毎朝の楽しみだ。

「冷めるぞ。」

「ねこじただもん。」

「……まぁ猫だしな。」

チーン、と軽い音がしてトースターが止まった。
たけまるさんが真っ白な皿に移した綺麗に焼けたパンにバターを塗るのは俺の役目だ。
がしがしとバターを塗ったパンを、たけまるさんの前に置くと優しく頭を撫でられる。
いただきます、と手を合わせて一緒に朝ご飯を食べていると、隣の部屋に置いてあった電話が鳴り始めた。
どうせたけまるさんは電話に出ないので口いっぱいに含んでいたパンを慌てて咀嚼して電話に飛びついた。

「もしもしっ。すどーです!」

あるに教えてもらった通り電話を取って挨拶をする。
モトっ!と、よく一緒に遊ぶすみおの声が聞こえた。
今日も遊びの誘いらしい。

「今日は公園に探検に行くぞ!」

「こうえん?」

「うむ、いつも空地ばかりでは飽きるだろう。今度は新しい遊び場に連れて行ってやるからな!」

「わかった!」

時間と集合場所を決めて受話器を元に戻す。
テーブルに戻ると、もうたけまるさんはご飯を食べ終わっていた。
俺も急いでパン粥を食べてしまってお皿を流しに持っていく。
たけまるさんがお皿を洗っている間に向こうから椅子を持ってきて(身長が足りないから椅子を使わないと流し台で作業ができない。小さいっていうなよ!)、洗われたお皿を布巾で拭いていった。
元の場所に食器を戻して今日の朝ごはんの時間は終わる。

後はすみおとの約束の時間まで何の予定もない。
何をしようかなぁと悩みながら布団の上でまたごろごろしていると、向こうに座っていたたけまるさんが俺を呼んだ。
モト、と名前を呼ばれてお気に入りの毛布を手に持ったまま近づいていくと、ぐりぐりと頭を撫でられた。
機嫌がいいのか撫でる掌がいつもより優しい気がする。
甘えてもいいサインなんだろうと勝手に判断して頭を掌に押し付ける。
何も言われないのでそのまま膝の上によじ登ろうとしたけど、椅子に足が掛からなくてひっくり返ってしまった。
ゴチン、という大きな音と一緒に目の前が一瞬真っ白になる。
ジンジンと痛む後頭部を押さえて悶えている俺を見て、たけまるさんが呆れた様に息を吐き出した。

「うー、うーっ…。」

「…お前、そろそろ身長伸びねぇのか。」

「もっ、もうちょっとで伸びるもん!」

「十年後か?」

「ちがう!」

床の上で完全脱力している俺の襟首を持って持ち上げられたと思ったら、ぽすんとたけまるさんの膝の上に乗っていた。
いつもより高い視点が楽しくなる。
まぁもともとたけまるさんの椅子の方が高いから仕方ないんだけどさ。
そんなこんなでたけまるさんの膝の上に座ったまましばらく話をした。
いつも思うけれどたけまるさんは【がっこう】とか言うところに行かなくていいんだろうか。
聞きたいけど、聞いたら怒られそうな気がするから今まで一度も聞いたことはない。

ふと時計を見ると、いつの間にか約束の時間の三十分前になっていた。

「とうっ!」

「!?」

「痛っ!!」

「…不安定な体制で飛び降りるからだ。」

出かける準備をしようとして膝から降りるためにジャンプすると、着地を失敗してまた頭を打った。
しかも今度はおでこだ。
高さも大分あったのでさっきとは比べ物にならないぐらい痛むそこを押さえて今度こそ床を転げまわる。
しばらくそのままじっとしていて、ようやく痛みが和らいで来たころにもう一度時計を確認すると更に針は進んでしまっていた。
けがをしたとき用にばんそうこうだけをポケットに突っこんで、玄関へと走る。
靴を履いて、玄関の扉を開けながら後ろを振り返った。

「じゃあいってきます。」

「ついていくか?」

「大丈夫だから!一人で行けるって。」

「事故るなよ。」

「う…わかってるよ…。」

一度、一緒に買い物に行ったとき曲がり角から出てきた自転車とぶつかりそうになった。
そのことをまだ覚えていて、近所に行く時でも毎回同じことを言ってくる。
煩いと思ったことはないけど、もう少し信用してくれてもいいのにと思う。
いってきます、ともう一度挨拶して玄関の扉を閉めた。
すみおの約束の時間まであと十五分。



「うわああああああ!」

すみおと約束していた空地に行こうとしていた途中で、大きくて怖そうな犬が向こうから走ってくるのが見えた。
思わず全然違う方向に走り出してしまったけど、今の俺は追いかけてくる犬から逃げることに必死でそれがどんなに大変なことか考える余裕もなかった。

なんとか犬を振りきって、気づいた時には見たこともない場所に来てしまっていた。
何度も転んでしまったのでコートも汚れてしまった。
林か山か正確には分からないけれど、生い茂った草や高く成長した木の所為で昼間のはずなのに薄暗い場所が肌寒く感じる。
風が葉っぱを揺らす音がすぐそばから聞こえて、何かがいるのかと身構えてしまった。
一度怖いと思ったらもう全部が怖いと感じてしまう。
元々そんなに気が強い方ではないから、早くたけまるさんの家に帰りたいと後込みしてしまう。
とりあえず明るい場所に出よう、と立ち上がろうと地面に手をついた瞬間、近くからガサガサと風とは違う力で草を動かす音がした。

ぞわっ、と頭のてっぺんから尻尾の先まで毛が逆立った。

「(だめだ。今、フードかぶってない。)」

多分尻尾もコートの隙間から飛び出てしまっているんだろう。
尻尾だけでもなんとか隠そうと悪戦苦闘しているうちに、草を掻き分ける音が更に大きくなる。
もう最後の手段だと服が汚れるのも構わずに草むらに飛び込むと、ガサッと大きな音がして俺がさっきまでいた場所に人がやってきたのが分かった。

何かを探すような気配がして、見つからないようにじっと息をひそめた。

元々、このフードだって俺が獣人だってばれないようにたけまるさんがくれたものだ。
新種の動物らしくて有名にはなっているけど、やっぱり怖がる人もたくさんいるらしい。

一回だけ、何も知らずに外に出て気味悪がられて家に泣きながら帰ったことがある。
たけまるさんやすみお達が優しくしてくれるから、みんなそうなんだと勘違いしてしまっていた。
びぃびぃ泣きながら帰ってきた俺をぎょっとしたように見たたけまるさんに飛びついて、一日中泣いて過ごした。
泣き疲れて眠ってしまって、次の日に目を覚ました時には枕元にコートが置いてあった。
何なのかよくわからなくてただそれを眺めていた俺の頭を優しく撫でて、これからはずっとそれを着てろと言ってくれた。

葉っぱを掻き分ける音が更に近くに聞こえた。
ぎゅっと身を縮こまらせる俺の心境なんてわかってくれているはずもなくて、ついに俺のいた茂みに光が射してしまった。

見つかった!と耳を押さえて蹲った俺を発見したのか、何かを探していた人の動きが止まった。

「(うぅぅぅぅ〜っ…。)」

怖い、怖い、怖い。
助けてすみお、くりす、あるっ…。



たけまるさん…っ!



「……何やってるんだお前。」

「…ふぇ?」

安心する声が聞こえて顔を上げると、軽く息を切らせたたけまるさんが俺に手を伸ばしていて、堪えていた涙が溢れてしまった。
いつかと同じようにびぃびぃと泣きながら飛びついた俺をしっかりと抱きしめて、背中を優しく撫でてくれるたけまるさんにしがみついて、枯れる涙なんてないんじゃないかってぐらいに泣き続けた。


その時はすぐに寝てしまったからこれはあとですみおに聞いた話なんだけど、どうやら約束の時間になっても来ない俺が心配になったすみおが家まで来てくれたらしい。
そこで俺がもう家を出たことを知って、みんなに声をかけて探してくれていたのだそうだ。

『でもな、一番モトのことを心配していたのはタケマルだったぞ!』

『えぇー…嘘だぁ。』

『嘘じゃないぞ!本当なのだ!』

でも、息を切らせながら俺を探してくれていたのは本当だと思う。
今だって膝の上に座って抱きついている俺を叱らずに頭を撫でてくれているたけまるさんにしがみついた。
不思議そうな顔で覗きこんでくるたけまるさんが見ているのを確認してから、俺の首につけられたそれを引っ張る。


「たけまるさん…。」

「……。」

「……ねこにすずって、ちょっと古いと思う。」

「うるせぇ。」

ちりんちりんと綺麗な音で鳴る鈴が、俺の喉元で小さく光った。


【幸運の鈴はすぐそばに。 終】



 
 

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