EVENT
□結局嘘か真かわかりゃしない。
1ページ/1ページ
我儘で、俺様で、どこまでも自己中で。
それが昨日までの榛名だった。
「なぁ秋丸…あいつ、なんかあったのか?」
「え?…あぁ、気にしなくていいですよ。臍曲げてるだけですから。」
「そうか…?」
先輩が視線をやる先には、大好きな投球練習も上の空で先輩に首を絞められている榛名がいる。
いつものそれなりな反応もほとんどないまま、体調が悪いと勘違いされたのか先輩がベンチに押し戻すように榛名の背中を押した。
ふらふらと、しっかりしない足取りで歩いていた榛名とふと視線があった。
不自然な動きで視線を逸らした榛名を見兼ねたのか、先輩が俺の背中を軽く叩いた。
「………。」
「…何があったか知らんが、ちゃんとフォローしてやってくれよ。あいつにそういうこと言えるのはお前だけなんだからな。」
「……はい。」
話していると全体の守備練習の時間になってしまった。
最初は加具山先輩がマウンドに立つから、俺と榛名はブルペンで軽く投げて待機だ。
「………。」
でも、榛名は一度も俺の方を見ない。
昨日は、数学つまんないとかこの間見に行ったプロ野球の試合のこととか、キャッチボールしながらいろいろ話していたのに。
俺だって、あの一言でこんなことになるなんて思ってなかったんだ。
榛名の挙動がおかしくなったのは昨日の帰り道だった。
練習メニューに加えて自主練をしている榛名を待っていると、いつものことだけど軽く九時を回ってしまう。
別に、待たされて怒ったりしていたわけじゃない。
寧ろ俺の方が、毎日毎日、もいなくなったトレーニングルームで一人筋トレをする榛名が好きだから、先に帰っていいという榛名の言葉を無視している。
だから、あの言葉には決してそんな意味は含まれてなかったんだ。
『もうちょっと自主トレの時間、減らしたら?』
それは、俺が前々から言おうとして言いあぐねていたことだ。
自主練習が悪いことだとは言わないけど、流石にあれはやりすぎだと前からずっと思っていた。
先輩達が思っているより、榛名は馬鹿だ。
膝の故障をまだ引きずっていて、しっかりした体をつくる為に筋トレの時間を増やした。
全力投球に榛名自信の体力が追いついてないことも十分理解していて、持久力をつけるために毎朝早起きしては近所を走っている。
いい心掛けだと思う。
でも、やっぱりそれにも限度があるってことだ。
朝練の前に走って、部活終わった後に二時間自主トレをしていたら、確実に俺の倍近い運動量になる。
それを毎日欠かさず続けていて、体を壊さないかこっちが心配になるくらいだ。
運動量が自分の許容量を越えていることぐらい榛名なら簡単にわかりそうなことだけど、やっぱり馬鹿だから気づいてないんだろう。
榛名は、どうすれば強くなれるかいつも考えている。
そのことばかり考え過ぎて、自分の体がぎりぎりセーフラインの上に立っている事に気づいてないんだ。
だからもう少し休んだ方がいい。
僕はそう言ったつもりだった。
『……別にいいだろ。自主トレなんてただの体力づくりだし。』
『でも、流石にやり過ぎだと思うよ。また故障でもしたら…。』
『故障なんてしねーよ。』
『そんなのわかんないだろ。』
『待つの嫌なら先に帰れよ。』
『そういうことじゃなくて…。』
榛名が人の話を聞かないのはいつものことだ。
でも、何かが違うような気がしていた。
俺は気づいていながらその違和感をなかったことにしてしまったんだ。
『大丈夫だって言ってんだろ!』
『この間そんなこと言って馬鹿のくせに風邪ひいたの誰だよ!しかもちょうどいいタイミングで家族みんないないから、俺が世話しにいくことになったんだろ。もっと自分の体のこと考えて…榛名?』
『……だ…よ…。』
『え?』
きっとそれは子供の喧嘩。
わかってもらえなくて、癇癪起こして、ただ泣いて叫ぶ赤ん坊と同じぐらい、俺達は子供だった。
『別に来てくれなんて頼んだ覚えはねーよ!』
『なっ…なんだよそれ!人が心配してたってのに…。』
『お前が勝手に心配してただけだろ!そういうの、もううぜーんだよ!毎日毎日ぐだぐだ言いやがって!』
『…〜っ!ならもう二度と榛名のことなんか気にしないからな!榛名なんか、大嫌いだ!』
売り言葉に買い言葉。
俺の頭はとっくに冷静なんか消え去っていて、そう言ったのもただのその場のノリだった。
最後の言葉にも、特に明確な理由はない。
それ以上、榛名に口喧嘩で勝てる気がしない俺の最終手段だったのかもしれない。
俺が榛名を嫌いになれるはずなんてないのに。
でもそれは、榛名にとっての天変地異だったらしい。
『………っ。』
『…え…。』
ただでさえ大きな目を見開いて、信じられないものを見るような目で俺を見ていた榛名の目から小さく光る何かが零れた。
え、なんて思う間もなく榛名は走り出してしまった。
練習中以外では稀にしか見ない全力疾走で、榛名の背中はすぐに見えなくなる。
気づいた時には、俺は一人取り残されていた。
榛名は、朝練の時も一度もこっちを見なかった。
少し寂しかったけど、俺も昨日のことが気まずかったから自分から話しかけることはなかった。
授業合間の休み時間も昼休みも、放課後も、榛名が俺の教室に来ることはなかった。
休み時間は誰とも話す気になれなくてただじっと外を見ていた。
昼休みはいつも通りクラスメイトと食べたけど、学食の袋を下げてくる榛名のために用意された椅子は使われることはなかった。
放課後、いつもならこっちがまだ片付ける準備をしてようと早く部活に行きたいがために俺を引っ張っていくのに、今日はゆっくりと帰り支度ができた。
別におかしなことは何もない。
でも、榛名がそこにいないだけで、なんとなく俺の気分は下がっていった。
『なぁ武蔵野行こうぜ!武蔵野!』
『俺進学校いけって言われてるから無理。』
『親に言われてんの?』
『そう。』
『へー…。』
『だから俺は、武蔵野には…。』
『秋丸は俺と野球したくねーの?』
『いや、そういうことじゃなくて…。』
『武蔵野で一緒に野球しようぜ!俺が投げてお前がとる。ずっとそうだっただろ?』
『……二年前まではだろ?』
結局、俺は親の反対を押し切って榛名と同じ武蔵野に入った。
入学発表会のあの榛名の笑顔がまだ脳裏に焼き付いている。
ぎりぎりだと言われていた榛名も無事に入学者用の封筒を受け取り、自転車を押しながら二人で帰ったあの日。
そう、ちょうど今から一年前だ。
『なぁ秋丸。』
『何?』
『俺今日から良い子になる!』
『嘘。』
『おう。』
榛名は、毎年エイプリルフールには似たような嘘をつく。
ちゃんと勉強する、真面目に授業受ける、わがまま言わない。
そんな分かりやすい嘘には慣れっこで、嘘をつく榛名もそれ以上何かを言うこともなかった。
その時の俺は、ちゃんと二人で同じ学校に進学できたことが嬉しくて、少し調子に乗っていたのかもしれない。
『なぁ榛名。』
『ん?』
『…俺と、いつまで野球したい?』
『………。』
榛名は何も言わなかった。
反対の言葉が見つからなかったのかもしれないし、ただ単に言いたくなかっただけかもしれない。
小さい時からずっと一緒にいたから意識することもなかったけど、この関係に依存してるのはきっと俺だ。
榛名は、俺のことなんか気にせずにどこでも好きなところへいってしまうだろう。
それを俺が追いかけて、また二人でバカみたいに野球してるんだ。
「なんであんなこと言っちゃったんだろ…。」
きっと、榛名だって俺があんなこと言うなんて思ってなかったに違いない。
ずっと一緒にいて、ずっと一緒に野球して、いろいろ振り回されたりしたけど、俺は一度さえあんなことは言わなかった。
愚痴とか説教とか戒める言葉じゃなくて、ただの拒絶の言葉。
どんな喧嘩をしても、お互いにそれだけは言うことはなかったから、榛名も驚いたんだ。
「秋丸ー!ぼんやりすんなー!」
「すっ、すみません!」
これ以上ぐだぐだ悩んでも仕方ない。
帰りにちゃんと謝ることにして、俺は練習に戻った。
練習が終わった後、もちろん榛名は一人でトレーニングルームに籠って自主トレをする。
俺は、外でそれが終わるのを待っていた。
「…遅いな。」
時計の短針が10を過ぎても榛名はトレーニングルームから出てこない。
これ以上はさすがにやりすぎだと仕方なく中に入ると、榛名はそこにはいなかった。
先に帰ったのかと考えもしたけど靴は入口に置いてあったからそれはないと思い直す。
トイレにでもいったのかと考える俺の目に、トレーニング機器に紛れて蹲っている榛名が写った。
「榛名…?」
「……。」
「どうした?腹でも痛いの?」
「…別に。」
膝を抱えて大きな体を精一杯小さくしている榛名が、小学生のあの頃と重なった。
昔から球の早かった榛名。
昔からコントロールの悪かった榛名。
何度も何度もデッドボールを出して、野球クラブのチームメイトから怖がられていた。
あの頃、榛名の球を取れるのは俺しかいなかった。
『榛名。もっとゆっくり投げないと、また六年生たちに怒られるよ。』
『野球なんて、速い球投げたほうが面白いだろ。』
『でも…。』
『いーの!秋丸がいれば俺は投げられるんだから。』
『なんだよ。俺が野球やめたらどうすうんのさ。』
『やめないだろ。』
『なんだよその自信…。』
『俺が投げる球は、全部お前がとるんだからな!』
『いや、だから無理だって。』
幼馴染、なんて大した関係じゃないと思ってた。
普通の友達と何ら変わりない。
そう思っていたけど、やっぱり違うらしい。
結局、中学生になって榛名はタカヤと組んだ。
それでも、帰ってきて時間があるとすぐに俺の家に来て、近所の土手にあるグラウンドでキャッチボールをしたりもした。
俺も、榛名のいない野球部は何一つ充実しなくて、やめようかなと思っていた時もあった。
でも、その度に榛名の顔が浮かんできて、退部届を出すことができなかった。
榛名には俺がいないとダメで、俺には榛名がいないとダメなんだ。
そんな今更なことに今更気づいてしまった俺は、どうやって榛名に謝ればいいんだろう。
榛名はずっと俺のことを気にしていてくれていた。
何をしても、絶対に俺が一緒にいるっていう自信があったんだと思う。
結局、お互いに依存しすぎてるんだ。
「…なぁ、秋丸。」
「…何?」
「………俺のこと…嫌いか?」
「………。」
一年前の今日、返事を返さなかった榛名の横顔が浮かんでくる。
確かにこれは何も言えない。
何を言ったらいいのかわからない。
ここで肯定すれば、榛名が好きだって意味になるんだろう。
もしこの質問自体が嘘の意味だとしても、俺は肯定するしかないだろう。
言いたくないことを言わなくちゃならないなんて、俺はなんて嫌な質問をしちゃったんだ。
「……うん。嫌いだよ。」
「…そか。」
「榛名なんて、大嫌いだよ。」
「…。」
「ねぇ榛名。俺のこと、好き?」
「……大っ嫌いだ。」
「そっか。」
もうどっちの意味かなんてわからなくなっているから、明日の朝、榛名のランニングに付き合いながらゆっくり話をしてみよう。
時間はたくさんあるから、ゆっくり話し合おう。
どう頑張ったって、俺たちは離れられないんだから。
「榛名、大嫌い。」
【結局嘘か誠かわかりゃしない。 終】