EVENT

□雨の魔法。
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雨が降っていた。
それなのに俺は傘と呼べるものは何も持っていなくて、雨粒を遮ることもなく男子寮に帰ることは憚られるような豪雨の中、教室に残っていた。

そう言っても、一人じゃない。

窓辺の机を椅子代わりにして外を眺めている俺から数歩離れた場所で、顔の割に真面目過ぎる勝呂がノートと教科書を広げて何かを書きこんでいる。
教室の隅の傘立てには黒い傘がぽつんと一本だけ置かれたままだ。

横目でそれを確認して、わざとらしく大きな独り言を漏らす。

「………雨止まねーなー」

「…おん」

律儀な勝呂が返事をすることは大体予想していた。

(お前に話しかけたわけじゃねーよ)

だから、そうやってからかってやろうと思っていたのに。
皮肉を込めたからかいの言葉は声にならないままただ胸の奥で反響して雨音に掻き消された。

話を続けない俺を不思議に思ったのか勝呂がさっきの俺の様に視線だけを寄こす。
それに何の反応も返すことができないままただ窓の外を眺めていた。


ついこの間までは、あんなに晴れていたのに。
三日前、勝呂にいきなり呼び出された日はあんなにも憎らしいほど太陽が照らしていたのに。

どっちかと言えば、呼び出されたというよりもいきなり連れ出されたって言った方が正しいのか。


いつも通り志摩や子猫丸と話していながら、斜め左前方から刺さる様な視線を感じていた。
少し前から似たような視線は感じていたけれど、あの日が一番強かった。
視線が鋭いのも確かだったけれど、ただでさえ悪い目つきが数割増しでその鋭さを上げていたのも確かだ。

その目には何かよくわからないものも含まれていたけれど、あの日の俺にはそんなことに気づく余裕もなかった。
とりあえず気まずかった。

それなのに、無言でむっつりと黙り込んでいる勝呂なんていないように志摩と子猫丸は話し続ける。
結局、勝呂の沈黙に耐えられなかったのは俺だけだった。

『何だよ…こっち見んな』

『なっ…お前なんか見てへんわ!』

『嘘つけ!穴が開きそうなぐらい見てただろ!』

俺の予想じゃ、『アホか!』ぐらいの罵倒が返ってくるはずだった。
でも、現実の勝呂は気まずそうに視線が逸らしたまま何も言わない。
一瞬だけ、教室に妙な沈黙が流れる。
その一瞬の静寂が耐えられなかったのも、俺だった。

『…あ!お前あれだろ、俺のこと好きなんだろ!だからって見過ぎなんだよばーか!』

言い切った後で、激しく後悔した。
気色の悪いことに俺はいつからか勝呂に妙な感情を抱いてしまっていて、どれだけ否定しても否定しきれなかった。
好きなのは俺の方なのに、そんなことを言って『お前なんか大っ嫌いや!』なんて叫ばれたら堪ったものじゃない。
自分で否定するだけでも、あんなに苦しいのに。

だから、すぐに冗談として笑い飛ばそうとした。
『嫌い』と言われる前に、話題をすり替えようとした。

『お前…』

『………え』

それなのに、勝呂はまた俺の予想と違う反応をした。
風邪でも引いたんじゃないのかと疑いたくなるぐらいに顔を赤くして、何か言おうとしているのか口をはくはくと開閉させている。

なんだよその反応。
まさか、なんて考えちまうだろ。

結局何も言わない勝呂からふと目線を逸らすと、何もなかったみたいに目を細めて笑っていた志摩と目があった。
困った様な苦笑を浮かべて肩を竦めた志摩の口がゆっくりと音のない言葉を紡ぐ。


【が】


【ん】


【ば】


【れ】


口の形では母音しかわからなかったけれど、なんとなくそう言っているように思えた。
志摩の目が、困った子供を見ているような優しい目だったからかもしれない。

とりあえず、何がなんだかわからないまま、俺はいきなり腕を掴んできた勝呂に引っ張られるまま教室を飛び出していた。


そのあと何があったのかは省略するとして、結局、俺たちは所詮両想いというやつだったらしい。
三日経った今でもあまり実感はない。
気持ちが通じたからといっても何が変わる訳でもなかった。

まぁ、そんなものかもしれない。

この間までは、嫌われていると思っていた。
だから忘れようとして、誤魔化そうとして、否定しようとした。
多分、あいつもそうなんだと思う。
だから、突然のことで何をすればいいのかわからない。
それ以前に、男同士っていうのがおかしすぎるんだ。

一時の気の迷いだった。
そう言われるのが怖くて、気持ちの再確認すらできない。
怖くて怖くて、何もできずに三日が経ってしまった。

そこで今の二人きりは、正直きつい。
大事なものを失うのが怖い。
だから、きっかけが一つでもあれば普段通り話せるのに、その一つで何かが変わってしまうのが怖くて、何もできない。
いつからこんなに臆病になったんだ。

いつのまにか雨は小降りになっていた。
勝呂はまだシャーペンを握っている。
でも、勝呂の目はまっすぐに窓の外を見る俺の横顔を見ていた。


きっと、今視線が合えば何かが変わる。
でも、いい方向に変わるのか、その反対なのかがわからなくて、どうしても勝呂と目を合わせられなかった。


しばらくして勝呂が動き出した。
ばさばさと教科書とノートをしまう音が聞こえてきた時も、勝呂を見ることができなかった。

「………俺、もう帰るで」

「…おう」

また沈黙。
思わず振り向いてしまいそうになる自分を制して、僅かな雨音に全神経を集中させる。
とても小さな音だったけれど、無音よりは大分マシだった。


「…」


ぽすん。
そんな軽い音を立てて、何かが俺の頭に乗った。
思考が止まる。
確かに俺の頭に触れていた勝呂の手はほんの数秒で離れていった。
振り向けない。
きっと、顔が酷いことになってる。


教室のドアが開閉する音が聞こえても、何分かはじっと窓の外を見たまま動くことができなかった。
ようやく意識が戻ってきた頃、しとしとと続く雨の音が情けないぐらいに早く鳴る心臓をゆっくりと沈めてくれた。

顔の熱が引いて振り返ると、足元に黒い傘が置いてあった。
慌ててまた窓の外を見る。
俺が振り返るのを知っていたみたいに、また大粒の雨が降り出した。

(追いかけ………ても、いい…のか?)

咄嗟に傘を拾い上げて走り出した足は、階段を駆け下りたところで止まってしまう。
そんなことを悩んでいる間にあいつがびしょびしょになっているかもしれないのに、暢気すぎる。
でも、これだけの雨ならもう傘なんて必要ないぐらいに濡れてしまっているだろう。

ゆっくりと玄関に歩き出す。
雨は、更に激しさを増していた。
追いかけても無駄かもしれない。
それでも俺の足は勝手に動いていて、傘を右手に持ったまま走り出した。

「おい」

「うえっ!?」

正確には、走り出そうとしたところを靴箱の陰に座り込んでいた勝呂に引き留められた。
呆れたような顔で立ち上がった勝呂は、手ぶらの俺を見て呆れた様にため息を吐いた。

「なんやお前。鞄置いて帰るつもりか」

「は?」

「どんだけ待たせるつもりやねん。早よとって来んかい」

「お、おう」

何が何だかわからないまま、また流されて教室へ戻ることになった。
とりあえず鞄を引っ提げて今度は歩きで階段を下りる。

玄関では、さっきと同じ場所に勝呂が立っていた。
その向こうでは雨が激しく降っていて、ざぁざぁと降りしきる水で勝呂の輪郭が少しぼやけて見えた。



【雨の魔法。 終】



―なっ!?なんで泣いとんのや!?

 泣いてねぇよ!

―泣いとるやろ!

 うるせーな!ちょっとしんみり来てるんだよ邪魔すんな!

―しんみりって何ねんしんみりって

 俺だってしんみりしたい時ぐらいあるんだよ!

―似合わんことすんなや!……あ

 ………雨止んだじゃねぇか

―…(相合傘狙ってた男)

 …(相合傘期待してた男)

 ……帰るか

―…おん

 ……昨日焼いたクッキー余ってんだけどさ、食う?

―食う

 じゃあ寄っていけよ。あ、でももうすぐ飯か…
 んー。ついでに飯も食っていくか?

―…おん



 
 

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