main

□おかえりなさい
1ページ/1ページ

めずらしくザンザスが『会議室』にいたのは、小腹が空いたからだった。
それだけなら執務室に誰かを呼びつけて軽食でも運ばせればすんだが、いつもなら煩く響いている声を、今日はまだ一度も聞いていない。

昨晩はたしかに横で眠っていたのに、目を覚ませばすでに姿はなく、それきり一度も見ていない。

外出するような任務はないはずだ。急用が入ったにしても、午後三時をまわってもまったく顔をださないなど近年にはなかったことだ。

なにかあったのかと、つい気になって脚を運んでみたものの、『会議室』にもいない。声がまったく聞こえてこないから、錬成場にもいないようだ。

ルッスーリアの給仕でカナッペを摘んでいると、ばあんと派手な音をたててドアが開いた。ずかずかと大股で入ってきた男はまっすぐにザンザスの傍まで来て、ソファに座ったその目のまえへ、小皿を突きだしてきた。

「……なんだ?」

しばらく待ってみたが、説明はなにもない。ザンザスは視線をあげ、視界を覆いかくすように立ちはだかったスクアーロを見た。

小皿の上にはほとんど黒に見える濃茶の小さな塊が乗っている。たぶん、チョコレートだろう。親指の爪の半分ほどのサイズで、市販のものではないようだ。

「味見してくれえ」

スクアーロは嬉しげに弾んだ口調で言った。やけに浮かれているようだ。

「味見?」

その言いかたでようやく、この日がなんの日かに思いいたった。つい、眉間に皺が寄る。

「いいから、ちっと舐めてみろって。ぺろっと」

朝から姿を消していたのは、このせいか。頬に茶色い筋がついているのは、汚れた手で擦ったのに違いない。

(――ガキか)

まばたきのたび睫毛の揺れる音さえ聞こえそうな距離で、スクアーロがザンザスを凝視している。その様子はまるで、褒めてくれるのを待っている子どもか、犬だ。

つっ撥ねようかとちらと考えたが、再度皿を突きつけられ、勢いに押されてつい、指で摘んでしまった。
小さい塊は、口に含むとすぐに溶けた。ブランデーの味がかなり強い。相当いい酒を使っている。仄かに混じった果実のピールも悪くない。

「どうだぁ?」

やたらきらきらと期待に満ちた眼差しで見つめられ、素直に美味いと言うのも癪に障った。褒めてやれば全力で喜ぶだろうとわかっているから、よけいに素っ気なくしたくなってくる。そうして悄気た表情を眺めるのも楽しいし、そのあと、銀の髪を一房軽くひっぱってやるだけで簡単に機嫌を直すさまもいい。

さて、どうしてやろう?

形だけは繊細に整ったスクアーロの顔を眺め、ザンザスはつかのま頭を巡らせた。そうして中指を立て、小刻みに動かして彼を呼ぶ。

「なんだあ?」

無防備に近づけてきたスクアーロの顔を掴み、ぐいとひき寄せて頬へ唇をつける。舌を伸ばして茶色い筋を舐めあげれば、まだかすかに甘かった。

「こっちのほうが、美味ぇ」

仕上げに自分の唇を舌で舐め、素っ気ない口調のまま言った。

「――――!」

効果は抜群で、スクアーロはたちまち頬どころか耳朶や首筋まで赤く染め、へたへたと床へ頽れていく。頭から蒸発していく湯気が見えないのが残念だ。

「晩メシまでには仕上げるんだな」

へたりこんだスクアーロの小さい頭へ向けて、薄く笑みながら伝えた。彼は俯いてしまっているから、どうせ表情は見えないだろう。

「なん、で、晩メシまで、なんだよ」
「そのあとは、ンなモンとじゃれてる暇はねえだろうが」

ベッドにひきずりこんで朝まで、チョコレートより甘い身体を貪ってやる。その程度の特権は、行使してもいいだろう。

ザンザスはソファからのそりと腰をあげる。へたりこんだままのスクアーロの横を通りすぎるそのとき、手を伸ばして髪をひっぱった。
スクアーロの肩がぴくんと揺れた。おずおずとあげた顔は案の定まだ赤いまま、拗ねて睨んでくる目元も見事に赤い。

「……なんだよ、それ」
「『いつものこと』だろうが。文句あんのか」

今日がなんの日か、彼らは決して口にださない。ザンザスが八年ぶりにヴァリアーへ還ったその日、けれど同時に、ザンザスにとっては忘れえない屈辱を思いださせられる日だからだ。
それでもスクアーロだけは毎年、こんなふうに小さな特別を寄越してくる。さり気なくしているつもりだろうが、浮かれた様子を隠そうとしても無駄だ。この男はことザンザスに関するかぎり、たった一つの例外を除いて、感情を隠しおおせたことなど一度もない。

呆れるほどわかりやすく、表も裏も腹の底にもなにもない。

だからこれも、いつものこと。普段となにも変わらない。スクアーロが手製でチョコレートなどつくってみせたのも、たまたま今日だっただけ。

そうだろう? とスクアーロ達の思惑に乗ったふりで眺めれば、彼は悔しげに唇を噛んだ。

「そう、だけどよぉ」

いつもと同じふりで、けれど心の中で特別な一日。

(どうせなら、一日べったりくっついてりゃいいだろうが)

好物をつくろうという意気込みは買うが、そんなものは前日に用意しておけばいい。この男は肝心なところが抜けている。
しあがったものは、本体ごと綺麗さっぱり平らげてやる。だからさっさとつくって持ってこい。

口にはしないまま、ザンザスはもう一度スクアーロの髪を摘んだ。
END

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ