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□不器用なハート
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その日のシリウス号は、少しだけいつもより騒がしい朝を迎えている。
普段多くは語らぬ料理人が珍しく声を大にして反論し、それに対して料理人に滅多に逆らうことのない女とのバトルは、つい先ほど火蓋を切って落としたばかりだ。
眉根をひそめて表情を顰めさせるナギに対して、ゆきじるしはむぅ、と頬を膨らませながらナギのことを見上げる。
しかしそれは、決して甘えたように見上げたものではなく、明らかに不満を募らせた彼女なりの表現である。迫力には欠けるものの、彼女の笑顔から想像はできない表情に、心の中では戸惑いを覚えたナギである。

だが、ナギは引き下がらない。これには料理人のプライドがかかっている。
ここで負けてしまえば、自分の腕がただ敗北を知らされるだけなのだ。

「何でよナギ、おいしいじゃない!」

ゆきじるしは目の前のサラダをナギに取られまいと、必死にサラダボウルを抱え込み、いとしい恋人の視界から消そうと試みる。
勿論小さな体で3人分くらいはありそうなサラダを盛ったボウルを隠そうとするのは到底無理ではあるが、それだけ彼女の必死さが伝わってくる仕草である。

「俺は、サラダに合うような調味料を考えて作っている。これだってうまい」

その彼女の必死な姿を見れば、普段ならば表情には出さないように微笑ましく思いながら眺めているのだが、今日にそんな余裕はない。
自分が手にしたハートのオブジェがついたガラスのボトルには、琥珀色の美しい液体が入っている。ナギ特製のドレッシングだ。
しかしその琥珀の液体は、なみなみに注がれたボトルの入り口から少しも減っている様子がない。

普段船員が食べてる間は給仕で忙しいナギが、しばらくして落ち着いてから食卓に戻ったときだった。
――彼女のために用意したドレッシングが、まったく使用されていないのを見たのは。

「あー、いいよ?私かけないで食べるから」

ドレッシングをかけてみろ、と最初は何気なく促したつもりだった。が、それを彼女は少しだけ迷いを見せてから、微苦笑を浮かべて答える。
ほかの連中は、そのドレッシングはナギが丹精を込めてゆきじるしのために作ったものだと知っているから手出しをしていたない。何せ、何処の町でいつの間に買ったのか、少しばかり不恰好で歪な形をしてはいるが――もしかしたらナギの手作りなのかもしれない――ハートの形のオブジェの蓋でできたボトルを用意しているあたり、それはもうナギからすればゆきじるしへのプレゼントなのである。
その上、その中身はナギが特製に作ったドレッシングだ。むしろナギがメインとしてゆきじるしに渡してあげたいプレゼントはこっちに間違いないだろう。

「あ、ナギ、私しばらくサラダを大盛りで食べるから」

と、ゆきじるしがリクエストをしたのは昨夜のことだった。
料理人のナギは、それに対していつもどおり「あるよ」と答え、どうせなら毎日食べるサラダを美味しく食べてもらおうと考えた。これは料理人として当たり前の思考回路である。

普段肉しか食べないハヤテに野菜を食べさせるのは苦労した。野菜を美味しいと思ってもらわなければ食べ続けることはできない。
ハヤテに美味しいと思わせるために作ったドレッシングが、今回の中身の根源である。
多く食べるなら美味しく食べてもらいたい、とハヤテ用のドレッシングをゆきじるし好みに少し甘く柔らかな口当たりに仕上げた。
そのためにオリーブオイルと、オレンジオイルを組み合わせた女性に好評であろう甘さに仕立て上げて、その上ゆきじるし好みの刻んだオレンジピールを混ぜたという手間隙をかけたドレッシングである。
それを、その本人に差し出し、やんわりと拒絶されたナギの気持ちを推し量ることは難くない。

「…そんなに不味そうか?」
「え?いや、ナギの料理は美味しいよ?うん」

ナギの声色が低くなったことにぴくりと少しだけ肩を震わせて、困ったようにゆきじるしが言葉を返した。
しかしその返答は、彼の問いかけの本意に答えているものではない。
何かをはぐらかすような答えはただナギをいらつかせるばかりである。
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